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yom yom ヨムヨム 23号 特別定価:780円(743円)

汝の父を敬え

(品切れ)
 高知出身者のサガで大河ドラマ「龍馬伝」をつい見続けています。序盤で心に残ったのは、主役三人の男たちも、広末も貫地谷も寺島しのぶもいいけれど、児玉清さん(「yom yom」の寄稿者のお一人でもあります)演じる龍馬の父でした。時代が目の前で変わろうとしていることを漠然と感じながら、自らは旧時代に殉じるように毅然として生きて、しかし息子には新しい時代を生きさせたいと願っている寡黙な父。児玉さんは、失礼ながら実際の龍馬の父親よりずいぶん歳が上ですから、息子思いで、かつ時代から取り残されていく「老父」という感じがよく出ていて、これがどうにも感動的でした。

 昨年村上春樹さんの『1Q84』のBOOK1、BOOK2が出た時、印象深かったのは、天吾くんの父親の肖像でした。今度のBOOK3でも、あの元NHK受信料集金人である老父が活躍(?)するので僕は大いに満足したのです。週刊文春の書評で内田樹さんが指摘しているように、作者はここで初めて「父と子」のテーマを正面に据えて全面展開させています。
 内田さんは「『父』というのは、生物学的な父親のことではない」と話を高級なほうに持っていっていますが、僕はある「生物学的な父子」を思い出していました。昭和40年代から50年代にかけて日本の「笑い」を代表した二人の、それぞれの父親のことを。

 ひとりは赤塚不二夫の父・藤七。赤塚さん自身の言葉によれば、バカボンのパパのモデルは口ヒゲがトレードマークだった藤七ですが、性格は天と地ほども違っていました(武居俊樹『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』文春文庫)。
「親爺、死ぬ間際まで、NHKの受信料の集金人やってたの。辞めろって言っても、聞かなかった。働きづめの一生だった。受信料払ってくれない家には、オレの色紙持って、何回も頼みに行ったんだって。親爺、本当に誠実に仕事やってた」
 バカボンやニャロメの色紙を持った誠実なNHKの集金人!

 もう一人は、いかりや長介の父親です。築地の魚河岸で働いていたのが、戦争中に疎開した静岡に居ついて、ずっと工場勤めをしていました。いかりやさんは「8時だョ!全員集合」の公開生放送が静岡近辺であると、父親の家に泊まりに行きます。「話すことがなくなると、私は親父が詳しい魚について、質問した。(略)すると親父は得意になって、自分の魚の知識を披瀝し、いつまでもしゃべっていた。(略)私は親孝行したつもりはない。喜色満面として魚を語る親父を見るのが好きだから、魚の話を振っただけだ」(いかりや長介『だめだこりゃ』新潮社、品切れ)。
「ある朝、目を覚ますと、外が騒がしい。(略)近所の子供たちが、私が帰ってきていることを知って、集まってきたのだ。(略)子供たちを制する親父の声がした。(略)何をしているのかとおもったら、親父は自分で作った番号札を整理券として配っていたのだ。なるべく私を休ませてやろうという、親心だった。その代わり、ようやく起きた私に、何十枚と色紙を差し出す。/『すまねえけど、これだけは書いてやってくれないか。大人だったら追い返すけどよ、子供相手にそう邪険にもできねえからさ』/整理券と引き替えに、子供たちから預かった色紙なのだ」

 息子の世話になることを潔しとせず、恵まれているとは言えない境遇の中で篤実に生きる老父の肖像は、彼らの息子たちが必死で繰り広げるドタバタ、全国の子供たちから喝采を得、大人たちの眉をひそめさせる狂騒的な笑いを背景として、僕たちの胸に迫ってきます。

 こういう不器用で、時代遅れで、不遇でさえある律儀な父親像を小説に描き続けたのは安岡章太郎さん。代表作『海辺の光景』(新潮社、品切れ)は、「母親と息子」という視点から論じられがちですが、今度読み返してみると、戦争から帰ってきて、戦後日本でほとんど為すすべもなく生活無能者として生きていく父親の肖像が実に素晴らしいのです。

 母は息子にハッキリと「あたしは見合ひとつせずに結婚させられたんだからね。式の日になって、頭を青ゾリゾリに丸めた人が、首をカメの子みたいに着物の襟からつき出して、ノソノソこっちへやってくるのを見たときは(略)その場で逃げて帰ろうかと思ったよ」と言うくらいですから、「終戦の日から翌年の五月、父親が帰還してくるまでが、信太郎母子にとっての最良の月日であったにちがいない」、「いってみれば信太郎と母とは、父親の帰還ではじめて敗戦を迎えたわけだった」。
 父の信吉が帰還すると、もう軍隊からの俸給はなく、一家はその日暮しを始めざるをえません。信吉は郷里の高知に伝手を求めたり、養鶏を始めようとしたりするものの、どれもうまく行かず……やがて朝鮮戦争のおかげでようやく一家の経済が立ち直ろうとした頃から、母親は狂気に蝕まれていきます。一人で便所へ行けなくなった妻に付き添い、用を足すのを外でじっと待っている信吉の姿は、「いかにも一人の男の“生涯”を象徴しているようにもおもわれた」。
 そして、父を嫌いぬいたはずの母親は、死の床で手を握ってくる息子へ向かって、「おとうさん……」とつぶやくのです。
 
 信吉のタバコの吸い方、ご飯の食べ方、喋り方、目つき――父を描き出していく文章の一つ一つが充実して、光り輝いています。読んでいくうちに、信吉は日本の父の一典型となり、龍馬の父親、天吾の父親、赤塚不二夫の父親、いかりや長介の父親と縁戚のように思えてきます。ひょっとしたら、僕たちの父親とも。
『海辺の光景』の後、安岡さんは『流離譚』などで父方の家の歴史へと踏み入っていきます。「龍馬伝」にも出てきたように、武市半平太(大森南朋)が命じて土佐藩参政吉田東洋(田中泯)は暗殺されますが(この罪を問われて土佐勤王党は弾圧され、武市は切腹させられます)、東洋を襲った刺客の一人が安岡さんの父祖安岡嘉助でした。

「yom yom」編集部(K瀬)

2010年05月17日
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