
スターという生き方
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社内の掲示板に貼られた新潮文庫新刊の広告に、美しく佇む高峰秀子さんの姿を見つけたとき、あるフレーズを思い出しました。
「私の皮膚は他の女の子たちよりも早く老けるだろう」
綿矢りささんの『夢を与える』に出てくる一節です。主人公は、長年チーズのCMキャラクターを務め、お茶の間にその成長を見守られ続けてきた国民的アイドルの夕子。彼女は歌や芝居と徐々に活躍の場を広げてゆきますが、初めての恋愛が夕子の芸能界での成功をあっという間に崩壊させます。仕事も恋人も失った夕子は体調を崩し、入院します。
私はいろんなことが分かった、夕子は乾いた瞳で思った。当たり前のように世間の人々から得ていた信頼がどれだけ貴重なものだったかということ。空を飛び続けられる鳥などいないこと。(中略)
分かったことがありすぎて脳みそが追いつかないくらいだ。頭より先に私の皮膚が理解するだろう。私の皮膚は他の女の子たちよりも早く老けるだろう。そしてすべて分かるということは、ほとんど一度死んだのと同じことだ。
幼い頃からスポットライトを浴び続け、多くの人に見られ続けるとはどういうことなのか。五歳で子役として映画デビューし、女優として活躍し続けてきた高峰さんも、夕子のように感じたことがあったのだろうか。そんなことが気になって、自伝的エッセイ集である『わたしの渡世日記』を手にとりました。
高峰さんの生涯は、幼少期から波乱万丈です。すでに三人の男児をもつ実の両親は、お腹の中の秀子を今回も男の子だろうと思い込み、妹志げに養子に出す約束をします。生まれた秀子を志げは嬉々として引き取りに行きますが、初めての女の子が可愛くて仕方ない両親は志げに子どもを渡そうとせず、彼らの間で秀子の取り合いとなります。しばらくのち、秀子は志げに引き取られることになりますが、それからも秀子はたびたび「家族」に振り回され、苦しめられることになります。
彼女を気に入り、引き取りたいと熱望する東海林太郎と、娘を取られると狂乱する志げとの間で板挟みになり、苦肉の策として母娘で東海林家に移り住んだ二年間。血は繋がっているものの、ずっと離れて暮らしていた兄からの度重なる金の無心。大人になり自立しようとする娘を監視し、なじり、金をむしり続ける志げ……。
次から次へと迫り来る波にさらされながら、秀子は女優の仕事に邁進します。その人生の濃密なことといったら……。エッセイの随所に、当時の年齢が記されているのですが、「ええっ、こんなに若くして……」と、秀子を襲う出来事の熾烈さと彼女の年とのあまりのギャップに何度も仰天してしまいます。
例えば、東海林太郎と志げの間で苦しむ秀子はまだ十歳、突然訪れた兄に商売の元手にするからと金品を要求されたときは十五歳、プロデューサーに映画の出演料を着服されていたことが発覚したときは、二十五歳。
秀子もまた、若くして「いろんなことが分かっ」てしまう、そんな激動の半生だったと思います。夕子が「早く老ける」と独白するその意味が少しわかったような気がします。目まぐるしく自分を取り巻く環境が変化し、恐ろしい速さで月日が経ってゆく。秀子もまた、人の二倍も、三倍も生きてしまったような疲労感に襲われたことが多々あったはずです。
それでも『わたしの渡世日記』には、悲愴感がありません。あるのは、逞しく向学心に溢れ、「なるようになるさ」と肝が据わった高峰さんの姿。本書の最後の篇「骨と皮」で、高峰さんは母志げとの関係についてこう書いています。
私は渡世日記の随所で、くりかえし、母をそしり、恨み、憎み続けた。そこには一片の誇張も嘘もない。が、考えてみれば、私にこうした母がついていてくれたからこそ、逆に、私自身が発奮し、生きることへのファイトも湧いたのだろうとおもう。(中略)
いまさら母におべんちゃらを言ったところではじまらないけれど、母なりの母に、私は私なりに「かあさん、ありがとう」と言いたい。
こう言える高峰さんがどんなにすごいかは、本書を読めば深く実感できることと思います。(つまり、それくらい凄まじいお母さんなのです。)
『夢を与える』では、入院中の夕子のインタビューを終えた記者が、「痛手を負ってかしこくなり簡単に笑わなくなった女の子を、テレビで見たいとは思わないものだよ」と夕子を評します。対して高峰秀子は、いやというほど痛手を負いかしこく在りながらも、タフに笑い続けた人だったのではないでしょうか。だからこそ、多くの仕事仲間とファンに愛され続けたのだと思います。強く明るい「渡世」の記録を、ぜひお読み下さい。
「yom yom」編集部(H・M)
2012年01月16日
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