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不思議な時計 本の小説

北村薫/著

1,980円(税込)

発売日:2024/03/27

  • 書籍

第51回泉鏡花文学賞受賞の『水 本の小説』に続く著者独自の連作小説。

記憶の森を探り行き、本との出会いを綴る。深まる謎を追い、魅惑の創作世界へ――映画、詩歌、演劇、父との思い出。萩原朔太郎『猫町』とジャン・コクトー、江戸川乱歩「パノラマ島奇談」と美術館のパノラマ。塚本邦雄生誕百年、シェークスピア劇での松たか子、大竹しのぶの慧眼……はるかな異界へ連れ出される9篇。

目次
不思議な島
島から星へ
星からブランデー
ブランデーから授業
授業から映画
映画から手品
手品から蜂
蜂から時計
不思議な時計

書誌情報

読み仮名 フシギナトケイホンノショウセツ
装幀 大野隆司/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 288ページ
ISBN 978-4-10-406617-9
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,980円

書評

終わりなき探究の旅

萩原朔美

 世の中に流布する書籍には、要約しやすいものと、要約させまいとする(笑)タイプがある。映画もそうだ。DVDに簡単にストーリーが書いてあり、観たらその通りです! と言いたくなるタイプ。反対に、ストーリーは「女が一人傷心の旅をする」だけれど、出来事以上に風景が全てを物語っている、観た後は風景描写しか覚えていない、要約など全く無意味な映画、である。
 実は、本書、北村薫著『不思議な時計 本の小説』を読んで、つくづく思い知らされたのがこの、要約不可能という面白さなのだ。誰か、この本を紹介するのに要約してみて貰いたい。入試問題で本書の要約を出題してもらいたい。見事に出来たら、それは間違いなく合格だ。
 しかし、その要約は、本書に限りなく近い字数になるに違いない。
 何故か。本書は、謎が謎を呼び、好奇心が好奇心を呼び起こし、いったいこの先には何が待ち受けているのか全くわからない怒濤の展開記録なのだ。スケジュールの決まった旅行ではなく、自由気ままな独り旅。疑問を肩に背負って、明日はどこに居るか自分でも分からない表現にまつわる旅。読み手は、そのスリリングな旅行に付き合って移動するうちに、知ることの快楽、調査の奥深さ、意味のある偶然の摩訶不思議さを知って、表現の本質と面白さを堪能するのである。
 もちろん、疑問には、解答がひとつある訳ではない。完璧な正解などあるはずもない。完成のない疑問。正解のない質問。未完ではなく、非完である疑問だからこそ、探索のプロセスが輝きを増すのだ。
 そう言えば、三島由紀夫は小説は建築だと言っていた。因果律の設計図をもとにしてストーリーを構築しないと小説は成立しないのだろう。
 しかし、本書には設計図はない。まるで、表現の現場報告、表現にまつわる事象の日々の生中継を観ているようなハラハラドキドキの連続だ。
 例えば、一番初めの「不思議な島」という章で、著者は、神田神保町の本屋の店先で、「猟奇島」というタイトルのDVDを見かける。そこから、江戸川乱歩の『パノラマ島奇談』、『現代猟奇尖端図鑑』、佐藤春夫の「探偵小説小論」へと探索旅行が始まって、韓国映画「猟奇的な彼女」、エラリー・クイーン、はたまた、フランク・キャプラの「群衆」にまで飛翔する。こう要約すると、なんのことやら、サッパリ分からないと思う。探索と連想とイメージの連鎖。だから、要約不可能なのだ。
「分からない、は、知りたい、に繋がります。」
 と、著者は言う。好奇心があらゆるものを繋げてしまうのだ。繋がりがないと思えていたものが繋がる。散文の繋がりは、意味という接着剤によって繋がり、韻文は音やイメージなど意味を排したもので繋がりを生み出す。本書の繋がりは、なんとこの散文と韻文両方の接着剤が顔を出すからその飛翔ぶりが面白いのだ。
 ちなみに、この最初の章「不思議な島」には、ざっと、映画は14本、小説、書籍、雑誌などが、25本ぐらい登場する。全部を読み、全部を観ていれば、本書のジェットコースターのような疾走感が心地良いかも知れない。
 もしかすると、本書に出現する作家、作品全てを書き出し、その繋がりの糸を構造分析すると、北村薫という作家の本質にかなり接近出来るのではないだろうか。
 私は、登場した小説だけは全て記録した。映画はほとんど観ている。小説はほとんど読んでいない。だから、大量の本のタイトルに目眩がしてしまう。これからの楽しみの宿題が出された感じがする。
 実は、告白しなければならない。本書を読んで、本当に目眩が起こり、泣いてしまった。私の母親が前橋文学館に寄贈した時計のエピソードが出てくる章がある。その時計は、宮さん、宮さんという歌で時をしらせるものだ。その一文を読んだとき、自分がそのメロディを口ずさめることに愕然となった。そんな時計など見たことも聞いたこともないのに、口ずさめる。それは、母親が子どもの私に子守り歌のように聴かせていたからに違いないのである。まさか、本書を読んで泣くとは思わなかった。
「同じものも、何歳の時に出会うか、読むか観るかで、全く違って感じられます。年と共に、見えなかったところが見えて来る。意味が分かったりする。」
 と、著者は言う。ほんとうにそうだ。本書も、私が若ければ、きっと別の個所で泣いていただろう。本書のどの個所を楽しめるのか。その意味では、何年か経って再読すると、全く別の表情をした本がそこにあるに違いない。

(はぎわら・さくみ 映像作家/前橋文学館館長)

波 2024年4月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

よむ・××・かく――永遠につながる喜び

北村薫穂村弘

発見、連想、調査……ぐるぐるまわる面白さ!

北村 今日はいらしてくださり、ありがとうございました。以前、劇団キャラメルボックスが、私の『スキップ』を上演してくれたとき、打ち上げがありましてね、私が行ったら、劇団の人たちが、「北村さんはえらい。この間、宮沢賢治をやったんですが、宮沢賢治は来てくれなかった」。

穂村 あはは。ほんとですか。

北村 今回ひじょうに稀な体験ができる。なんと登場人物と対談。この本には、前半に穂村さんが出てきて、後半は萩原朔太郎が出てくる。萩原朔太郎はたぶん――

穂村 来てくれない、と。

北村 来てくれないと思うんですけど、穂村さんは来てくれた。

穂村 そういうことですか。

北村 はい。

穂村 この本、このシリーズは、めちゃくちゃ楽しそうですよね、作者が。北村さんの本は、新ジャンルを切り開くものが多いと思っていて、『空飛ぶ馬』が《日常の謎》――その後にずっと繋がるあの大きなジャンルを開いたのはもちろんですが、お父様の生きた時代の、さまざまな人物像を描いた『いとま申して』の三部作も、時間と人間の運命の話で、神様にはすべて見えているけど、本人にはわからない。でも、子孫というか、要するに我々未来人が読むと、運命の綾が俯瞰できて、それを見せてもらえる作品。痛切な運命の持ち主ってやっぱりいますよね。ああ、よくこの人を捉えてくれた、と。

北村 誰も知らない脇役の人物が、こんなふうに亡くなって消えていく、というのを。

穂村 ええ、誰にも気づかれないその人の思いに、北村さんが光を当ててくれるから、我々は、彼のような人がたくさんいたことを知ることができる。もちろん折口信夫や西脇順三郎のすごさも知りたいけど、一方で消えてしまった人の思いも同時に書いてもらえて、あのシリーズ、すごく好きなんです。それから、『空飛ぶ馬』の日常の謎もそうだし、お父様の『いとま申して』のシリーズにも共通する要素として、読書探偵って言うのかな、そういう要素があって、今回の本はそこが思う存分展開されて、北村さんの筆も弾んでいて、「こんなに楽しいんだ!」って思いました。飲む・打つ・買うをやってきた人より、後半生は本好きのほうが楽しくなるのかもっていうのがわかって、心強かったです。

北村 『いとま申して』でも、書きながら、いろんなことを思い返していて、それを、あれから十年とか過ぎて、自分で読み返しても、もう忘れていることが、けっこうあるんです。あの時は、子どもの頃のことを覚えていたのに、今は、あ、そういえばそうだったなって。それは悲しいことなんだけど、脳の中の記憶って薄れていくんですね。最近、本を読んでいても、数時間前に読んで、ああ、面白いなと思ったことを、何だったか忘れていたりするんですよ。どんな内容だったかも覚えてない。そういうことが自分の頭の中から消えていってしまうのは、とても残念なんでね、それをとどめておきたいという気持ちがあります。

穂村 北村さんは日記を?

北村 書いてない。

穂村 じゃ著作が日記みたいな感じですかね。記憶といえば、僕は本を買って読んで、面白いとこを折る癖があるんですけど、読み終えて書棚に収めるとき、同じ本があって、見ると同じところが折られていて、ああ、同じ人が読んだんだって――自分なんですけど、怖いですよね。

北村 そういう自分なので、この本を読んだ時のあることと、昔に読んだあること、さらに記憶の奥のなにかがぶつかって、玉突きの玉のように動く。それを書き留めていけば、思いがけないものが、そこから生まれる。単体ではない、いろいろドラマがある。

穂村 発見、連想、調査、発見、連想、調査っていう流れですね。これがじつにスリリング。発見するには知識がないとダメ、連想するにはひらめきがないとダメ、調査するには真面目さがないとダメ、北村さんはその全部を持っているから、これはすごい。それがぐるぐるぐるぐる回って、しかも読書探偵の仲間というか盟友がこう、登場人物的に、担当さんがいたりね、編集長がいたりして、どんどん面白くなっていく。たとえば、「猟奇と言えば殺人と答える」ってところがあって、「山のこだまのうれしさよ」と続くんだけれど、これは説明がなくて。本歌取りですよね。「二人は若い」とかなんでしょ、僕の世代でギリギリ知ってるぐらい。元ネタは「あなたと呼べばあなたと答える」、それが「猟奇と言えば殺人と答える」で「山のこだまのうれしさよ」っていう。

北村 いや、注がついたら、つまらないですよね。

穂村 ブラックユーモア極まれり。

北村 で、自分としては小説だから、現実のままのようでいて、じつはちょっといろいろね、作っているところもあります。

穂村 あ、そうなんですか。

北村 穂村さんの言ったことはゆるがせにできないんで、事実。担当さんのことはけっこういじらせていただいたりとかして。

穂村 仲間だから。

北村 私が言ったことを担当さんのところに入れさせていただいたりとか、塩梅してる部分はあるので、そういう点ではこう、ひじょうに小説的な操作はやってはいるんです。

穂村 じつに繊細な操作があるようで。あれっ、書かれるべき一行がないまま飛んでるって思ったりして、『悪魔が来りて笛を吹く』の元ネタの詩の話で、何が来たんだ? ってところが、書かれてないから調べてみたら、なるほど。伏せたほうが、という一行が――

北村 木下杢太郎の詩に、書かないほうがいい一行がある。

穂村 そもそも僕はあれが本歌取りだって知らなかったから、あ、そうなんだ、と。

北村 この対談を読んだ人は、また気になると思うね。

穂村 なりますよね。なんなんだ? と。今はネットがあるからスマホで検索すれば、ああ、そういうことか、という。

北村 でも、そこで疑問にすら思わず通り過ぎちゃう人もいるだろうし、穂村さんのように、あれっ、何だ? って調べてくれたりすると、そこからまた能動的に世界が広がっていくっていうのが嬉しいことですね。

穂村 あそこも好き。あの、江戸川乱歩と朔太郎が「木馬心酔者」って。その言葉、面白いですよね。なんだ、木馬心酔者って? と思うけど。木馬に心酔した二人が、当時で言えばもう中年もいいとこなんだろうけど、一緒に乗ってしまうという夢のような実話。この二人の才能の秘密は童心だと思うから、木馬はタイムマシンみたいな感じがする。

北村 記憶だと二人とも木馬に乗ってるような図が浮かぶんだけど乱歩は……

穂村 自動車型のに乗っていたと。

北村 その辺が面白いですね。

穂村 あとトランプの手品の違いもね、二人の作風を考えるとなんか面白いですよね。ミステリと韻文と。ジャンルの起点になるような巨人たちがあんなにこう、子どもの純度が高いっていうのが、やっぱり嬉しい。乱歩がミステリのトップでよかったなとか、朔太郎から口語自由詩が始まってよかったな、みたいにね、思いますね。森鴎外とかだと、偉すぎて無理みたいな。鴎外になんか誰もなれないじゃんみたいに思っちゃうけど、乱歩や朔太郎はね、なんかこう、もちろんなれないんだけど、でもやっぱり鴎外とは違いますよね、大人じゃない。

北村 穂村さん、木馬は?

穂村 えっ、乗りますか、今度一緒に。
「ここまでおいで、乱歩さん」
――ここはやっぱり小説たるところですね、この辺がね。
 これは、「当時は明治期、少年時代の郷愁に満ちたジンタ楽隊の伴奏つきであった」と、乱歩が実際に書いてますものね。やっぱりこういうイメージですよね。タイムマシンみたいにこう、それに乗った時、我々は、禿げてるけど子どもなんだ、みたいな。

北村 それで、ちょっと朔太郎のほうがお兄ちゃんって感じになっているっていうのがね。

穂村 年上ですもんね、朔太郎のほうがね。

北村 今回は萩原朔美さんからとてもいいお言葉を、「波」2024年4月号の書評でいただいて、このものがたりは、こうやって完結するのかと思いました。

穂村 この時計の話もね、すごかったです。

北村 私が古本屋回りをしていて見つけた萩原葉子さんのエッセイにその時計のことが書かれていて、私の大事な父・朔太郎の遺品です、と。それはわりあい知られていない文章だった。たまたま神保町でそのエッセイが収録された本を手に入れて、ああ、なるほどなと思って読んで、その時計に出会えて、これがそうか、朔太郎はこのネジを回したのかって思っていたら、それは全然違って間違いだった、と。それもまた、葉子さんらしいんですけどね。

穂村 本は買っておくべきってわかっているんですけどね、置き場所はどうなってるんですか。

北村 いや、べつにそれほどでも。

穂村 買うべき本を買っている。引きが強い。

穂村 あれも面白かったな、「もゝちどり」について、以前書いたことの訂正が入っていたりするのも、メタ的で。

北村 本当はね、ちゃんとその本で訂正版を再版してほしいんですけど。

穂村 あの形が面白い気も。すごくリアルな感じがするんですよね。たしかに、読書探偵の調査に終わりはないんです。どこまでも新発見って続くわけだから。

北村 日々ありますよ、いろんなことが。で、生きててよかったなと思う。

穂村 ね、こんなに楽しいなら、神保町、僕も久しく行かなくなっていたけど、また行こうかなって思いました。

北村 だからいろいろ読んでると、ああ、これ、死んでいたらこれ読めないから、知らないままだったな、と。

穂村 知らないままで死んでいくんだってね――いや、後からこれをあの人に教えてあげたかったみたいなこともありますよね。あの人にこそ、これを知ってほしかった、みたいな。

穂村 北村さんの連想力ってやっぱりすごくて、パノラマの話からモネの睡蓮、あの部屋が一種のパノラマ的な空間だっていうのもびっくり。そういう発見、やっぱり肝は連想の部分ですよね。“そう言えば”あれと繋がる、と。それで、本を探してるうちに、また偶然、出会ってしまう。その臨場感を読者も一緒に味わうことができる。
 さっきも言いましたが、飲む・打つ・買う的に行くと、だんだんすさんでくるけど、こんなに楽しいならいつまでも生きて本を読み続けたい、と。年を取れば取るほど、本の偶然性の繋がりって深く広くなっていくから、ほんとうに北村さんの場合は、古今であり東西でありね、韻文と散文みたいな繋がりもあるし、すべての要素が含まれていて。この本は、いつまででも読んでいられるっていう感じがしました。

2024年3月28日 新潮社クラブにて

(きたむら・かおる 作家)
(ほむら・ひろし 歌人)

波 2024年5月号より
単行本刊行時掲載

イベント/書店情報

著者プロフィール

北村薫

キタムラ・カオル

1949年埼玉県生まれ。早稲田大学ではミステリクラブに所属。1989年、「覆面作家」として『空飛ぶ馬』でデビュー。1991年『夜の蝉』で日本推理作家協会賞を受賞。小説に『秋の花』『六の宮の姫君』『朝霧』『太宰治の辞書』『スキップ』『ターン』『リセット』『盤上の敵』『ニッポン硬貨の謎』(本格ミステリ大賞評論・研究部門受賞)『月の砂漠をさばさばと』『ひとがた流し』『鷺と雪』(直木三十五賞受賞)『語り女たち』『1950年のバックトス』『ヴェネツィア便り』『いとま申して』三部作『飲めば都』『八月の六日間』『中野のお父さん』『遠い唇』『雪月花』『水 本の小説』(泉鏡花文学賞受賞)などがある。読書家として知られ、『謎物語』『ミステリは万華鏡』『読まずにはいられない 北村薫のエッセイ』『神様のお父さん――ユーカリの木の蔭で2』など評論やエッセイ、『名短篇、ここにあり』(宮部みゆきさんとともに選)などのアンソロジー、新潮選書『北村薫の創作表現講義』新潮新書『自分だけの一冊――北村薫のアンソロジー教室』など創作や編集についての著書もある。2016年日本ミステリー文学大賞受賞、2019年に作家生活三十周年記念愛蔵本『本と幸せ』(自作朗読CDつき)を刊行。近著に『中野のお父さんと五つの謎』。

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