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 24:01 外苑前-青山一丁目駅
 大辻淳一
(おおつじ じゅんいち)


     死ぬだろうか――。

 また、淳一は思った。
 殺人……。
 あいつが死んだら、僕が殺したことになるのか?
 殺人者。人殺し……。

 窓の向こうから、自分の眼が見つめている。
 ひ、と、ご、ろ、し――と、声に出さず口の形だけで言ってみた。

 手錠をかけられる自分を思い浮かべてみる。
 あまりうまくいかない。手すりをつかんでいる腕に目をやる。銀色に光る輪をその腕にかけてみる。

 逮捕されるだろうか?
 警察は、僕のところへやってくるだろうか?
 僕がやったという証拠があれば……。

 淳一は、自分の手を見返した。
 手すりをはなし、その金属の表面に眼を近づける。
 ぼんやりと、指紋が白く残っていた。

 なにか、厭な気持ちがして、淳一は、手すりの上の指紋を指先でこすった。
 指紋。
 残っている。あいつの家には、僕の指紋がいくらでも残っている。

 ごくり、と唾を呑み込んだ。
 なにも、後始末はしてこなかった。
 あいつを地下室へ閉じ込め、そのまま玄関を出た。手の中に鍵を持ったままだと気づいて、それを隣の家の庭へ放り込んだ。玄関の鍵は開いたままだ。

 グラスが二つテーブルに載っている。片方はあいつが飲んでいたグラス。もう片方は淳一が渡されたもの。そのグラスには、はっきりと指紋が残っている。グラスだけではない。ボトルにも、淳一の指紋は残されているはずだ。

 淳一は、自分の手に触れたものを数え上げた。
 ドアのノブ。靴を脱いだとき、脇の壁に手をついた気がする。腰を下ろした椅子の肘掛け。テーブルの表面と、その天板の裏側。グラス。ボトル。アイストング。マドラー。サラミを載せていた皿。洗面所の蛇口のコックと、トイレの水洗コック。洗面台にも手をついただろうか? ついたかもしれない。
 テーブルの上に置いてあった週刊誌。テレビのリモコン。あいつは、定期入れの中からガールフレンドの写真を取り出して見せた。写真は受け取って眺めたから、やはり当然指紋がついている。あいつは、そのガールフレンドとホテルへ行き、そこでオフクロとかち合わせしたと言った。
 そして、もちろん、地下室のドア。その中の棚板。ドアの錠。隣の家の庭に放り込んだ鍵――。

 指紋だらけだ。
 淳一は眼を閉じた。

 指紋だけじゃない。髪の毛だって何本かは抜けて落ちただろう。
 僕が、あそこにいたことを証明するものは、いくらでもある。
 あいつは、外側から鍵のかかった地下室で死んでいる。しかも、顔と腹を殴られている。どう見ても、それが事故や自殺になるわけはない。
 殺人罪……。
 あいつが生きて助け出されたとしても傷害罪――。

 目の前が、再び明るくなった。
 駅に着いた。駅名表示を見る。青山一丁目。
 電車がスピードを落とし、停車してドアが目の前で開いた。

 どうする?
 引き返すのか?
 あいつの家に戻るのか?

 淳一の足は動かない。
 喉がひくついた。

 戻るとしたら、なんのためだ?
 証拠を消すためか?
 それとも、あいつを地下室から助け出すためか……?


 
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