![]() | 23:58 稲荷町駅
|
むろん、この《越後屋トミー》という名前は、[o:oo:..OO.]――つまり、この惑星のホモサピエンスどもの慣習に倣って仮につけているものであって、彼生来の識別コードではない。 故郷へ帰れば、彼には[.oOo.oOo.]という立派な個体識別コードがある。ホモサピエンスどもには、まず発音のできない優美な波形を持ったコードである。 第二次調査隊の一員として派遣されることが決まったとき、[.oOo.oOo.]は派遣地のデータから最もポピュラーな名前を選択し、組み合わせることによって《越後屋トミー》と名乗ることにした。まずもって、実に自然なネーミングであったと、自らこれを評価している。 トミーは、岩石を切り出してタイル状に張り合わせた床の上へ降り立ち、慎重に自分の座標を確認した。計算に間違いがなければ、現座標は地下鉄銀座線稲荷町駅第1番線ホームであるはずだ。 まずは、地下鉄ホームというものの形状を正しく把握しておかなければならない。 ほぼ直線に形づくられたホームの端から端までを、トミーはゆっくりと移動した。途中で気づいて、ホモサピエンスどもの二足歩行による移動に切り換えた。現在、このホームに奴らは1匹も存在していないが、やはり、用心に越したことはない。なにせ、奴らは、ほとんど無能な生命体でしかないくせに、きわめて獰猛な行動パターンを有しているのだ。 トミーは、第一次調査隊が捕獲してきたホモサピエンスのサンプルが、結構気に入っていた。 なかなか美味だったのだ。 特に、奴らが自ら「脳」と呼んでいる部分は、すこぶるおいしかった。無能な生命体にも、なにか有用なところはあるものである。「眼球」もなかなかのものだが「脳」のとろけるようなおいしさにはかなわない。ただし、「肝臓」だけはけっして食してはならない。奴らの「肝臓」は猛毒なのである。 ホームの一番端まで移動して、トミーは、ふと、足を止めた。 壁際に寄せて、細長い金属製の容器が二つ並べて置かれていた。 休息機の形状に似ているが、かなり不潔であるし、報告にあった奴らの休息機とは別のもののような気がした。 見ると、容器の表面に赤い「文字」が書かれている。ホモサピエンスどもは、線を組み合わせた図形を用いて共振活動を行なっている。その図形のことを「文字」というのである。 手前の容器には「防水板格納函」とあり、奥の容器には「防水板格納箱」とあった。 奴らの腕時計に似せて作られた特別仕様のサーチパネルに、データを呼び出してみる。 「防水」とは水素と酸素の化合物からの攻撃を回避するためのシステムをいうものらしい。「板」とは、この惑星に存在するもっとも穏やかな生命体を殺して作られた平面体。「格」とはクラスの意味であり、「納」は物体を開かれたスペースから閉ざされたスペースへ移動することである。 ここで、トミーは、やや戸惑った。 「箱」は、どうやら容器のことであるらしいのだが、「函」のほうは、不明、という結果しか得られなかったのだ。 しかし、トミーは、この二つの容器の発見に満足した。 ホモサピエンスの弱点を知ることができたからだ。 奴らは、水素と酸素の化合物からの攻撃に弱いのだ。 だから、こうして「防水板格納箱」といったものを置いているに違いない。 トミーは、一つうなずいた。 |