23:58 青山一丁目駅 |
冗談じゃないよなぁ、まったくぅ! ピンクのタイル壁に背中を押しつけながら、西尾琢郎(仮名)は大きく息を吐き出した。 いったい人をなんだと思ってるんだ。 あの井上夢人の人使いの荒いことといったら……このお! 考えているうちに、また腹が立ってきた。 本邦初のハイパーテキスト小説もいいけれど、原稿をページの上に載せてネットにアップするこっちの身にもなってくれ。 ただでさえ忙しいんだぞ! 寝るな、と言うのか? このボクに、寝るなと言うのか! 西尾(仮名)は腕の時計に目をやった。 終電の到着までには、まだ3、4分の余裕があった。 ポケットから借り物のデジタルカメラQV-10を取り出し、スイッチを入れて液晶画面の表示を確かめる。 スイッチを切り、もう一度ため息をついた。 連載が始まる前には、調子のいいことばっかり言ってたくせに、次の原稿はどうしたの? 次の原稿! 更新まであと3日しかないっていうのに、まだ2ページ分の原稿しか届いてないじゃないかぁぁぁ! 「あ、西尾(仮名)君、あのね。ちょっと悪いんだけどさ、もう一度、終電に乗ってもらえないかな。どうも、この、なんというか、新しい登場人物の設定が、もう一つ決まらなくてねえ。実際に、人間観察をやったほうが早いんだけれども、僕は、ほれ、山ん中に住んでるでしょ? 思い立ってすぐに地下鉄に乗るってこともできないんだよね。で、西尾(仮名)君に、代わりにね」 ふざけるんじゃないっ! あんたのイマジネーションが貧困なんだろ! その貧弱な想像力を、どうしてボクが補ってあげなきゃいけないの? 最終電車の乗客を盗み撮りして、そのファイルを電子メールで送って……ああ、いいですよ。やりますよ。やればいいんでしょ、やれば。 でも、それでちゃんと原稿、書くんだろうね? また、この前みたいに、風邪ひいて頭が痛い、とか言って逃げるんじゃないだろーね。 しめころすよ、ほんとに。 よくあれで、プロの看板かけてやってるよなあ。 信じられないよ、まったく。 西尾(仮名)は、肩に提げたバッグからノートパソコンを取り出した。 ホームを見渡して向こうのベンチを眺めたが、歩いていくのも煩わしく、タイルの壁に背中を押しつけたままそこへしゃがみ込み、自分の膝を机代わりにして、パソコンのカバーを開いた。 せめて、電車が到着するまでに「落合綾佳」のページのバグ取りぐらいは片づけておきたかった。 |