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 24:01 稲荷町-上野駅
 兼田勝彦
(かねだ かつひこ)


     兼田は、クーラーバッグに額を押しつけた。
 そのまま眼を閉じる。

 あまりの緊張に、気を失いそうになる。
 こんな極度の緊張を味わうのは、生まれて初めてだった。プレッシャーには強い人間だと、兼田は自分のことを思ってきたが、それが大きな間違いだったと悟った。
 プレッシャーに強かったのではない。そもそも、私はこれまで、本物のプレッシャーなど受けたことがなかったのではないか。あるいは、普通のプレッシャーに関して、私の精神はあまりにも鈍感にできているのではないか。
 これが、プレッシャーなのだ。プレッシャーとは、こういうものなのだ。

 喉がカラカラに干上がっていた。
 脇の下を冷たい汗が伝い落ちていく。
 肋骨が、万力で締めつけられているように痛んだ。

 お願いだ。
 お願いだから……。

 唇を、強く噛んでみた。
 感覚が失せている。力一杯噛んでいるのに、まるで痛みを感じない。
 あるいは、噛む力が失せているのかもしれなかった。顎に力を入れているつもりで、まるで力などなくなってしまっているのかもしれない。

 尻に伝わってくる振動が、唸るような音を作って鼓膜を振動させていた。
 息ができない。
 誰か、助けてくれ――。


・・・


 はっとして、兼田はクーラーバッグから顔をあげた。
 いつの間にか、電車が停まっていた。
 ドアが大きく開き、斜め前にいたはずの酔っぱらいたちの姿が消えている。

「…………」

 兼田は車内を見回した。
 様子が違っていた。何人かの乗客が消え、別の何人かが現われている。

 寝ていた……?
 まさか、と思い、兼田はホームに目をやった。駅名表示がここからでは見えない。
 どこだ? まさか、銀座を通り過ぎているわけじゃないだろうな。

 あ、と思って腕の時計に目をやった。
 もうそろそろ、零時2分。

 ふう、と息を吐き出した。それと同時に、ホームで「はい、ドア閉まります」とアナウンスが鳴った。

 どうやら、ほんの一瞬、気を失っていたらしい。
 眠ってしまったのか、気が遠くなったのか、どちらかよくわからなかった。
 泣きたいような気持ちになった。

 音を立てて、ドアが閉じた。


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