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マサルは、1段おきに階段を駆け下りた。
ホームに向かって階段を下りながら、腰のMDのスイッチを入れる。
ズンズチャッチャ、ズンズチャッチャ、とリズムセクションの響きが両
耳のイヤホンから伝わり始める。MDには、単純なリズムセクションだけ
が録音されている。マサルは、いつもそれを耳の中に鳴らしながらラップ
の練習をやる。ラッパーになるには、とにかくひっきりなしに練習を積む
ことだとマサルは思っていた。
最後の段を飛び降り、ホームに立つと、数人の乗客が電車を待っていた。
へっへっへ、と笑いながら、マサルはイヤホンからのリズムに身体をあ
わせた。
つぶやくように、ラップする。
「お~うぉう!
零時1分、電車はまだだ。
今日もギリギリ、間に合った」
だめだめ、とマサルは、自分の下手なラップに苦笑した。こんなんじゃ、
ノレねえよ。
バンド仲間のシンは「マサルのラップは、爺さんのドドイツだぜ」と笑
う。くそお、とマサルは首を振る。そんなことあるもんか。
サラリーマン風の男のやや後ろに並んで、マサルは左の足でリズムを刻
む。
「こんな時間に、バイトが終わり。
ウチへ帰れば、母ちゃん一声。
明日はテストだ、準備はいいのか。
バイトばっかり、いっしょうけんめい。
ラップばっかり、いっしょうけんめい。
肝心かなめの、勉強どうした。
数学、英語に、物理に、化学。
古文、漢文、現代国語。
世界史、日本史、政経、倫理。
ウチの母ちゃんデベソ。
それ!
けっこう毛だらけ。ネコ灰だらけ。
ケツの周りはクソだらけ。
ほれ!」
「だけど、母ちゃん。隣をごらんよ。
そこにいるのは誰だっけ。
フロ、メシ、ネル、しか言葉を知らぬ。
休みにゴロゴロ、掃除のじゃまだ。
パチンコ、競馬は、まじめにやるが。
ウチじゃ、ただのロクデナシ。
東京大学、卒業したけど。
けっきょく、いまだに課長さん。
テストの点数、100点とっても。
安月給の、甲斐性なし。
ネクタイ選べば、とんちんかん。
靴下はかせりゃ、みぎひだり。
冬はラクダで、夏はステテコ。
セカンドバッグは、ワニ革製。
けっこう毛だらけ。ネコ灰だらけ。
ケツの周りはクソだらけ。
ほれ!」
電車が到着し、マサルの前でドアが開いた。
赤と緑のぶっ飛んだジャケットのオッサンが、降りようとしている女性
を押しのけてドアから飛び出した。女性は、連れていた男の子の手を引っ
張りながら、オッサンに文句を言っていた。
マサルは、サラリーマン風の男に続いて電車に乗り込んだ。
いつものことだが、この時間の電車はがら空きだ。
一番後ろのシートに腰をおろすと、マサルは、再びイヤホンのリズムに
身体を乗せた。
「こんなはずではなかったと。
ため息ついても、もう遅い。
父ちゃん選んだ、あなたは母ちゃん。
東大卒の、キンキラキン。
末は博士か大臣か。
社長か、医者か、弁護士か。
夢は大きくふくらんで。
出っ歯もタレ眼もなんのその。
ちびで短足、あぶら性。
男は顔ではないなどと。
東大卒には、かなわない。
それで文金高島田。
選んで、あなたはウエディング。
キンコンカンコン、鐘が鳴る。
けっこう毛だらけ。ネコ灰だらけ。
ケツの周りはクソだらけ。
ほれ!」
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