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階段をホームへ下りたとたん、一瞬、立ち眩みに似たものが飯塚耕治を
襲った。
ずうん、と頭から血の気が引く。視界が狭まり、音が遠のいた。
腹に力を入れ、足を踏ん張る。
ほんの数秒で、立ち眩みは去っていった。
ただ、動悸が激しく胸を打っている。
なぜ、突っ返さなかった。
どうして、すぐに突っ返さなかった。
飯塚は、大きく呼吸を繰り返した。
酔いは消えていた。
後悔とも、怒りとも、屈辱ともつかぬものが、高価な酒の酔いをすべて
消し去ってしまっていた。
胸を押さえる。
内ポケットの封筒の感触が、掌と胸を等分に押し返す。
なぜ、お前はこれを受け取ってしまったのだ?
「あ、これ、お車代、ということで」
あの財前という部長は、なんの悪びれもなく、この封筒を飯塚に手渡し
た。まるで、それが自分の名刺でもあるかのように。
「いえ、そんなこと、結構ですよ」
辞退する飯塚に、財前部長は笑いながら首を振った。
「別に気になさるようなものじゃありませんよ。ほんのお車代ってことだ
けですから」
なぜ、あのとき「こういうものを受け取るわけには参りません」と断ら
なかったのか。
この封筒の厚みを、お前は本当に気づかなかったというのか?
車を呼びましょうと言うのを「自動車は弱いんです。私はすぐに酔うん
ですよ」と断り、地下鉄まで1人で歩いた。券売機の前でふと気がつき、
封筒の中を覗いてみた。
「…………」
何かの間違いだと思った。
そこには、ピン札で50万が入っていた。
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