![]() | 24:04 銀座駅 |
伸嗣は、正面の壁に目をやりながら、ぐい、と背伸びをした。 恵利子がレイプされたのは、半年前だ。 勤めていたレストランの同僚にだまされ、飲めない酒を飲まされ、そのあげくレイプされた。 伸嗣は、警察に訴えようと言ったが、恵利子はイヤだと言って首を振った。結局、彼女がレストランを辞めた。レイプした男は、今でも同じところに勤めている。ぶん殴ってやる、と言う伸嗣を、恵利子は必死になって止めた。 「あなたまでレイプされたらどうするの!」 その時ほど、自分の身体が憎たらしく思えたことはない。 そうなのだ。どんなにあがいてみたところで、伸嗣の身体は〈女〉なのだ。 腕っぷしには自信がある。 そんじょそこらの男には負けない。子供のころ、男の子と喧嘩して負けたことなどなかった。男の子を泣かせるのは気持ちがよかった。 ボクシングジムに通ったこともある。周囲の好奇の目がイヤになってやめてしまったが、いまでもアスレチックに通って身体は鍛えている。女子プロレスを考えたこともあるが、背が低すぎると言われてあきらめた。 だから、恵利子をひどい目に遭わせた野郎をコテンパンにしてやるぐらいの自信はある。何発か殴られたってかまわない。間違っても逆にレイプされるような隙など見せない。 しかし――恵利子の言葉は伸嗣の胸にこたえた。 彼女の前では強がってみせたが、1人トイレに入って、伸嗣は泣いた。声を出さずに、泣いた。涙が止まらなかった。くやしくてくやしくて仕方なかった。そのくやしさは、恵利子がレイプされたことに対するものなのか、自分の身体が女だからなのか、よくわからなかった。 しばらくして、伸嗣は、恵利子から妊娠したことを告げられた。 彼女は、堕ろす、と言った。 それに反対したのは、伸嗣のほうだった。自分自身でも、びっくりした。 「どうして?」 と恵利子は訊いた。 「子供に、罪はないよ。恵利子のお腹の子供を殺すなんて、俺はイヤだ」 「だって、あいつの子供よ」 「恵利子の子供だ」 「あなた、イヤじゃないの?」 「俺と、お前の子供だ。あんな奴のことなんて、考えなくていいよ。神様がくれたんだよ。俺たちに子供を授けてくれたんだよ」 強がりだということは、伸嗣自身にもわかっていた。たぶん、恵利子も知っていた。 その時の伸嗣には、心の中にねじ曲がった感情があった。恵利子に子供を産ませることで、レイプした男に対して復讐するような気持ちになっていた。堕ろしたら、完全に負けてしまうように感じた。 恵利子には、そんなばかげた復讐心などなかっただろう。そんなことで復讐になるなどと思うわけがない。彼女は、泣きながら伸嗣に抱きついてきた。 伸嗣を抱きしめながら、恵利子は「うれしい」と言った。 もちろん、今では伸嗣の中にも、そんなくだらない復讐心などない。 そんなねじ曲がった気持ちでは、生まれてくる子供がかわいそうだ。 今では、本当に恵利子と自分の子供だと思っている。あのときは、たんに口をついて出てしまった言葉だったが、ほんとうに神様が2人に授けてくれた子供なのだと思えるようになった。 恵利子と、自分と、そして子供。 完璧に、俺たちは家族になれる。本物の家族になれる。ひとつになれるのだ。 伸嗣は、すうっ、と息を吸い込んだ。 |