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 24:06 神田駅
 八重樫巧
(やえがし たくみ)


     これまで、ラブレターなどというものは、書いたことがなかった。

 恋人と言えるものかどうかわからないが、女の子とは2人とつき合った。言いたいことは電話で言えばすんでしまったし、会って話をすればそれでよかった。
 年賀状を書いたぐらいで、手紙など出したことはない。そんな必要がなかったのだ。

 しかし、茜とはオフで会っただけ。
 メールのやりとりだけは、週に何度も続けてきたが、住むところも仕事も何もかもが別々だ。
 メールしか、接点はない。

 茜のことは、これまでのメールでずいぶん知っているつもりだった。だからオフで本人にあったときびっくりしてしまったのだ。
 彼女のことを、自分は何も知らないのだと、はじめて気がついた。

 メールではだめなのだ。
 会いたい……。

 八重樫は、カバンの中へザウルスを押し込んだ。

 今度はオフではなく、茜と2人だけで会いたい。会って、直接話がしたい。
 しかし、会うためには「会いたい」ということを伝えなければならない。だからメールを送る――。

 プレゼントなど、早かったのかもしれない。
 まず、気楽に会える段取りを作り、会って仲良く話ができるようになって、それからでもよかったではないか。
 それを、気ばかり焦ってスカーフなど送ってしまった。贈り物をするには理由が必要だ。誕生日とか、クリスマスとか、彼女が気に入っているものを教えてもらったとか……。
 そう、どうしてそれができなかったんだろう。

 メールって、なんだろう。
 と、八重樫は思った。

 文章を相手に送るのだから手紙のようではあるが、しかしそれとはまるで違う。気楽で、簡単で、形式張ったところなどどこにもない。時候の挨拶などいらないし、拝啓や敬具も無用。
 はじめての相手にメールを出すときは、もちろんそれなりに緊張もするが、手紙を書いたり電話を掛けたりするのに比べれば、まるで抵抗がない。

 だから、八重樫にはメールをやりとりしている相手も何人もいる。どんどん増える。
 だけど……本当は、メールの相手のことを、何も知ってはいないのだ。

 騒音が近づいてきて、八重樫は左に目をやった。
 トンネルの向こうに光が見える。やっと電車が来たらしい。
 ホームの反対側から、女の子が3人こちらへ歩いてきた。女子大生だろうか。そのさらに向こうから、騒がしい集団が八重樫のいるホームの端へ駆けてくる。みんな学生だろう。神田は、学生の街だ。

 電車が銀色の車体をみせて構内へ進入してきた。
 風圧が八重樫の身体を押す。最後尾車両が、目の前で停車し、チャイムの音とともにドアが開いた。

 いきなり、ドアから茶髪の男の子が飛び出してきた。
 驚いて八重樫はドアの脇に避けた。
 続いて汚い身なりの男が降りてくる。その2人は、奇妙な声を上げ、踊るように身体をくねらせながらホームを出口のほうへ歩いて行く。

「…………」

 なんとなくその2人を見送り、電車に乗り込んだ。ドアの向こうに立っていた男も、出て行った2人のほうを見ていた。
 すぐ手前のシートには、さっきの女子大生3人が腰を下ろした。その正面にも女の子が1人座っている。女の子の反対側には酔いつぶれた客が1人手すりのパイプにしがみつくような格好で座っていた。
 八重樫は、その女の子と酔っぱらいの間に腰を下ろした。

 ふう、と、なんとなく溜息が出た。

 メールを出す以外に、茜に気持ちを伝える方法はない。
 しかし、どのようにメールを書けばいいのか、それが八重樫にはわからなくなっていた。

 こんなことははじめてだ。
 たかが、メールじゃないか……。

 ドアが閉まり、電車が走りはじめる。


    茶髪の 
男の子
汚い身な
りの男
ドアの向こ
うに立って
いた男
    女の子  酔いつぶ
れた客

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