奥歯にイカの繊維が挟まっているのが気になって仕方なかった。
プラットホームへ出ると、京徳好晴は壁に背中を押しつけるようにして立
ち、小指の爪で奥歯にへばりついているイカをひっかき出そうと試みた。か
なりがっちりとくわえ込まれているようで、なかなか取れてくれない。こう
いう場合は、楊枝を使うのが一番だというのはわかっているが、まさかディ
レクターやクライアントのいる前で、シーシーハーハーもできないだろう。
格闘の末、ようやくイカを引っぱり出し、好晴は、ふう、と息をついた。
しかし、まあ……と、ショルダーバッグのファスナーを開けながら首を振
る。
どうしてまた、2週間も締め切りを勘違いしていたんだろう?
自分としては、まだ半月先だと思っていたのだ。だから、今日の打ち合わ
せが、まさかクライアントの前で曲を披露することになっていただなんて、
思ってもいなかった。
ディレクターはカンカンになって怒るし……まあ、そりゃあ、怒るのも無
理はない。クライアントには、何とかごまかしてくれたものの、結局、明日
の正午までにテープを届けなきゃいけないってことになっちまった。
しかし、どうして2週間も……まあ、いいか。
と、好晴はバッグから小型のキーボードを取り出しながら肩をすくめた。
電車で移動しながら曲を作るなんてことは、あまりほめられたものじゃない
が、明日の昼までに打ち込みを終えなきゃいけないとなれば、そんなことを
言っている場合じゃないだろう。
とにかく、15秒CMソングを1曲、なんとしてでもひねり出さなきゃな
らないのだ。
胸のポケットからメモを取り出し、キーボードの上に広げて、そこに書か
れた歌詞を眺めた。

なんだかなあ……と、苦笑しながら歌詞を見つめる。
焼肉のたれのコマーシャルソングだ。「じゅじゅじゅぼんぼん」というの
が商品名。
ディレクターの説明によれば、フライパンの上で肉が踊りながら歌うのだ
そうだ。フライパンを舞台に見立て、おいしく焼いてね、と3枚のお肉がク
ネクネ踊りながら歌を歌う。最後の「じゅじゅじゅ」のところで、お肉たち
は焼かれてお皿の上へ――そんなアニメを使ったCFになるらしい。
3拍子、かな。
好晴は、歌詞の語数を数えながらつぶやいた。
バッグからイヤホンを取り出し、両耳に差し込む。キーボードのスイッチ
を入れ、リズム設定を【3/4】に切り替えて、鍵盤を押した。リズムを出し
ながら、歌詞カードを眺める。

うむ。と、好晴はうなずいた。
3拍子だ。8小節に最後の「じゅじゅじゅぼんぼん」の1小節を加えて9
小節。速度を120にしてやると、ちょうど13秒の長さになる。
3拍子、決定。
じゃあ、とにかくメロディを載せてみよう。
凝った旋律はダメ。もっとも、この歌詞じゃ、凝ったメロディなんて載せ
ようとするほうが難しいが。
どちらかというと、ダサイぐらいのメロディのほうがいい。CMソングと
いうのは、とにかく歌詞がちゃんと聴き取れることが第一なのだ。
単純なメロディを、繰り返し聴かせるのが狙いなんだから。
歌詞を眺めながら、リズムを鳴らし、思いつくまま鍵盤を叩いてみた。
いくつか試してみて、ふむ、と好晴はうなずいた。
これは、どうだ?

自分で、ぷっと吹きだした。
まあ、こんなものだろう。
これを、一応、基本において、いじくり回してみることにするか。
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