|
あれ……?
弥生は、ふと足を止めた。
ホームの前方。その最前部のあたりに、一組のカップルが向かい合って立
っていた。女のほうはこちらに背を向けているが、男の顔ははっきりと見て
取れた。
松尾さんじゃないの。
まあ、どうなってるんだろう、と弥生はつい、クスッと笑った。
あの松尾さんが女性と?
これは、明日第3次世界大戦が起こったっておかしくないわ。あの松尾さ
んが、女性と?
いけないな、と思いながら、弥生は2人のいるほうへ足を進めた。
今日は、馬鹿な客ばかりでいい加減うんざりした。
「頼むよ、1本でいいから」
あの客はしつこく弥生の陰毛をほしがった。あまりのしつこさに、マモル
ちゃんに一本頂戴といって、それをティッシュに包んでくれてやった。あの
バカは、大喜びして、なんとその場でマモルちゃんのケを口に含んだのだ。
しかし……と、松尾とその前に立っている女性を眺めながら、弥生は首を
傾げた。
どう考えてもあの松尾さんとつき合おうという女性がいるなんて信じられ
ない。
そりゃあ、弥生は一度松尾と寝てあげた。あのときは、どうしようもなく
落ち込んでいたときだったし、本気で自殺しようと思っていたときだ。どう
でもよかった。相手が松尾だという意識はどこにもなかった。
ところが、驚いたことに、松尾はほとんど童貞としか思えない男だったの
だ。彼は感激のあまり、パンツを脱ぐ前に果ててしまった。あんな男がいる
とは思わなかった。
醜男なのはいい。べつにそんなのは気にならない。しかし、ケチなのは最
低だ。あの松尾も、部屋を出ていくとき一応財布をとりだした。しかし、そ
の財布から引っぱり出したのは千円札一枚だけだったのだ。
バカにするな、と言って部屋から放り出した。
弥生は、松尾たちから数メートルの距離で立ち止まった。
吹き出したくなるほど、松尾は真剣な顔をしていた。そして、彼の前に立
った女性の口から、信じられないような言葉が発せられるのを、弥生の耳は
聞いた。
「私、松尾さんが大好きですから」
うそ……と、弥生は思った。
大好き? 大嫌いの言い間違えじゃないの?
ところが、松尾は、以前弥生も目撃したことのあるあの大感激の表情で女
性を見つめている。
いったい、どんな女なの?
急激に興味がわいた。松尾に「大好き」と言う女の顔を拝んでみたくなっ
た。
不意に、松尾の目が弥生に気づいた。
弥生は、その松尾に微笑んでみせた。同時に女がくるりとこちらを振り返
った。
「…………」
びっくりした。
美人だったのだ。それもとびきりの美人だった。
しかし……その彼女の眼が奇妙な光を持っているのに、弥生は気づいた。
「こんばんは。お久しぶりですね」
えい、という気持ちで、弥生は2人のほうへ進んだ。
「このごろお見えにならないから、松尾さん、どうしたのかなって思ってた
のよ」
そしておもむろに、松尾のお相手へ目を向けた。
「ごめんなさい」
と挨拶すると、彼女は小さくお辞儀を返してきた。
「いや、最近は接待もあまりないので――」
邪魔だから消えろと言われるかと思ったが、なんと松尾はそう言い訳した。
「この方、松尾さんの彼女? 隅に置けないんだから」
訊きながら女と松尾を見比べる。
「え、いや、その……」
困ったように、松尾は口ごもった。
なんだかへんだ、と弥生は思った。
さっき、この女は「松尾さんが大好きですから」と言っていた。
しかし、彼女の眼には、好きな男に愛を告白したばかりの高揚がどこにも
ない。聞いた言葉の調子と、眼の光がまるで違う。
なにか、きな臭い……。
弥生は、理由もなく、そう直感した。
そこで松尾に言ってみた。
「紹介していただけない?」
|