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 24:09 三越前-日本橋駅
 深沢英和
(ふかざわ ひでかず)


     ふと、思いついた。

「お前、自分の性別はわからないと言ったな」
《ああ、それがどうかしたか?》
「ということは、お前はオレの身体にできた吹き出物みたいなものではないってことだ」

《つくづく失礼なヤツだな》と、肉腫は顔をしかめた。《吹き出物だと? この私のどこがオデキに見えるのだ》
 英和はニヤリと笑った。
「つまりさ、問題なのは、お前はオレの細胞の一部が変化してできたものかどうかということなんだよ。オレの細胞が増殖してお前ができたのなら、染色体はオレと同じものであるはずだ。オレは男だから、性染色体はXYだ。だから、オレと同じ細胞を持っているとすれば、お前もまた男であるはずだ。ところが、お前は、自分が男であるか女であるかは半々だと言った。ということは、お前は、オレの一部ではなくて、オレとは別個の生き物だっていうことになるだろ」

《ほう》と、肉腫が口をすぼめた。《お前も、少しは論理的な思考をするようになったな。いいことだ。お祝いをしなきゃいけないな。ハッピ・バースデー・ツー・ユーでも歌ってあげようか》
「けっこうだよ。お前の歌なんか、聞きたくない」
《あ、そんなこと言って》と肉腫は、横目使いに英和を見た。《照れなくてもいいのに。可愛いなあ。ほれほれ》

 ふう、と英和はため息をついた。
「誰も照れてない。いいか? お前が、オレとは別個の生き物なら、オレはお前を殺してもいいということになるな」
《なんだと?》
「お前がいるのは、オレの手首の上だ。そこは、オレの身体だ。人間は、いや、どんな生き物でも、自分の身体に入った病原体や寄生虫なんかは殺してもいいのだ。それが、生物界の決まりだからね」

《ふうん》と肉腫は眼を細めた。《そんなことを考えたのか、お前さんは》
「殺されたくなければ、少し静かにしているんだな」
《では、ひとつ忠告しておこう。たしかに、私はお前とは別個の生命体かもしれない。しかし、だとすれば、お前が私を殺せると主張しているように、私もお前を殺す権利は持っているのだぞ》
「…………」

《どうも、お前さんの考え方は一方的だな。私を病原体だの寄生虫だのと言うが、もし、そうであるなら、病原体によって殺された人間がどれだけいるか、お前が知らないわけはあるまい》
「…………」
《エボラ出血熱ウィルスなんてものは、数日で宿主を殺してしまうのだぞ。ところが、人間どもはエボラウィルスに対して、まったく手も足も出せないでいるのが現状だ。なにゆえ、人間は自分の身体に侵入した他の生命体を殺そうとするのか? 邪魔だからとか、家賃を払わないからとか、そんな理由ではないぞ。殺さなければ、自分が殺されてしまうからだ。それは、生物界に於ける、普遍の「強いほうが勝ちよ」という原理に基づいた行動なのだ》

 なんだか、また、頭が混乱してきた。
 身体のあちこちから、肉腫たちの静かに歌う歌が聞こえてきた。

《ぼーくらは、みんなー、いーきているー。いきーているから、うたうんだー~~》

《さらに、問題なのは》とバックコーラスを従えながら手首の肉腫は続ける。《果たして、我々の場合、宿主とはいったいどちらなのか、ということだ》
「……なんだ?」
《お前さんが宿主か、私たちが宿主かということだよ》
「オレが宿主に決まってるじゃないか」
《誰がそんなことを決めたのだ? お前さんこそ、私たちに寄生した邪魔者かもしれないではないか》
「…………」

《ものごとを一方的に決めつけるのは、人間の悪い癖だ。何でもかんでも、人間中心に考える。世界中のすべてのものを、自分の役に立つものと役に立たないものにわけて分類してしまう。役に立つものは、犬でも、豚でも、杉の木でも、大理石でも、自分の所有物だと思い込み、自分の役に立たないものは排除しようとする。そんな勝手な考え方が許されると思うか? みんな生きているんだよ。ぼくらは、みんな生きているんだ。そして、愛に支えられているんだ。ぼくらは、みんな兄弟なんだ。姉妹なんだ。家族なんだ。君も、僕も、あなたも、私も、私たちは、みんな、私たちなんだ!》

 自分の言葉に感極まったのか、肉腫は、くっ、と喉を詰まらせた。

 英和は、もう一度、大きくため息をついた。


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