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 24:10 新橋駅
 浪内勝己
(なみうち かつみ)


     なんでこうなっちゃうのかなあ、と浪内は受話器でコンコンと額を叩いた。

 口論になるといつだってそうだ。
 言い合いをして、好恵に勝てたためしがない。彼女は、どんどん自分のペースを作っていってしまって、いつのまにか浪内が追いつめられてしまう。

「別れたいのね」
「なあ、待ってくれよ。そういう話じゃないだろう」
「この際だから、はっきりさせておいたほうがいいわ」
「待ってくれってば。頼むから、待ってよぉ」

「なによ」
 好恵は、受話器の向こうで怒ったように言った。
「今さ、新橋の駅なんだよ」
「ええ。知ってるわ」
「地下鉄のホームにいるの」
「だからなによ」
「これから、帰るんだから、帰ってから話さないか?」

 好恵の溜息が聞こえる。
「帰ってからじゃ、ダメなのか?」
「あなたは、帰ったらお風呂に入るじゃないの」
「…………」
「お風呂の後は食事だし、食事してるときはテレビを見てるわ」
「……いや」
「いつだってそうじゃないの。話なんてしないでしょ。あなた、あたしと話をするのを、いつだって避けてるじゃない」
「いや、避けてなんかいないよ」

「うそよ」
 好恵は、冷たく言い放つ。
「何がうそだよ。オレ、話を避けたりしてないぜ」
「じゃあ、あなた、あたしといつ話したって言うの?」
「……いっつも話してるじゃないか」
「ただいま。新聞。ごちそうさま。行って来る――それが、話すってことなの?」
「いや、もっといろいろ話してるじゃないか」
「なにを?」
「…………」

 浪内は、靴でホームの床を蹴りつけた。
「どんなことを話したの? この1ヶ月の間に、あなたとあたしが話したことって何があるの?」
「いや……ええと、いろいろ話したじゃないか」
「だから、何を話したのか言ってみてよ」

 ええと、と浪内は顔をしかめた。
 突然そんなこと言われたって、思い出せるものか……。

「言えないんでしょ? だってそりゃそうよ。話なんてしてないんだもの。あたしが話しかけたって、いつだって上の空で、ああ、とか、うん、とか、そればっかりじゃない。あなたにとっては、あたしは冷蔵庫と同じなのよ」
「……ちょっと、まってくれよ」
「冷蔵庫と、洗濯機と、掃除機と、風呂沸かし機と、炊飯器なのよ。子供が生まれたら、それに育児機が加わるってだけね。機械に話なんてしたってしょうがないものね。テレビにはよく話しかけてるみたいだけど。テレビのタレントには、ツッコミ入れたりしてるものね。でも、あたしに話すことなんて、何もないわけでしょ?」
「…………」

 浪内は、またガリガリと頭を掻いた。
「なあ、頼むからさ、帰ってから話そうよ。な? もうすぐ電車、来ちゃうからさ」
「…………」

 突然、好恵が泣き出した。
 その泣き声を聞いて、浪内は眼を閉じた。


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