『もつれっぱなし』担当の辞
   ―― 文藝春秋 文藝部 荒俣勝利  
 
 
 ――井上夢人の前に道は無く、井上夢人の後に道はできる――
 
 私どもの業界では、このように言い慣わされております。
 井上さんはつねに、今までなかった新しい作品、新しい分野に挑戦して
いくパイオニアです。その一番わかりやすい例が、このオンラインマガジ
ンに連載されている「99人の最終電車」でしょう。99の物語がお互い
にからみ合いながら展開され、しかも読者は時間と空間を前後左右、縦横
無尽に移動することができてしまう。ハイパーテキストと言うのでしょう
か、いま猛烈に普及し始めている新しいメディアの特性を活かした、新し
い小説。この連載の行方を、興味津々で見守っている同業者が、たくさん
いるにちがいありません。
 さて、新発売の『もつれっぱなし』にも、そんな井上さんらしいこだわ
りが満ち満ちています。
 まずこの作品集には、いわゆる「地の文」というやつが一行もありませ
ん。全篇セリフのみ。すべてが括弧の中なのです。収録されている、「宇
宙人の証明」「四十四年後の証明」「呪いの証明」「狼男の証明」「幽霊
の証明」「嘘の証明」の六作品どれもが、一組の男女の対話のみで成り立
っています。
 と、言うと、「それってもしかして、芝居や映画のシナリオと同じなん
じゃないの?」という声が聞こえてきそうですが、さにあらず。これはあ
くまでも小説なのです。役者の演技や映像が前提となっているシナリオと
違って、登場する男女の関係からおかれている状況までが、セリフを通し
てありありと描かれているのです。そのテクニックの絶妙なこと! さり
げない一言で、鮮やかなイメージが目の前に広がってしまう。これはやっ
ぱり小説家の手なんですねえ。
 しかもですよ、セリフのみの小説を作るというだけで、すでに前代未聞
の域に達しているというのに、井上さんはさらに自らに過酷な条件を課し
たのです。「ここに収録されている作品はすべてミステリーになっていな
くてはならない」。これはもう、無理難題というものではないでしょうか。
 ところが井上さんは、それを成し遂げてしまったのです。まるで、手足
を縛られ、目隠しをされ、樽の中に押し込められてナイアガラの滝を転げ
落ち、そして無事に生還してみせるマジック・ショーのような作品とでも
申せましょうか。皆さんも早く井上さんの華麗なマジック・ショーを見に
来てください。
 最後に、ゲラを読み返していた時にふっと思ったことを一つ。
 いずれの作品も、男と女が一つの問題点というか、互いの認識の相違を
抱えて、あーでもない、こーでもないと論争を続けます。で、結論の如何
に関わらず、物語のお終いでは、二人の気持ちがぐっと親密になっている
んですね。私、本の帯に「謎と笑いの対話体小説集」と書きましたけど、
もう一つ追加して、「謎と笑いと愛の対話体小説集」なのだと言っておき
たいのです。