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金閣寺

三島由紀夫/著

737円(税込)

発売日:1960/09/19

書誌情報

読み仮名 キンカクジ
シリーズ名 新潮文庫
発行形態 文庫
判型 新潮文庫
ISBN 978-4-10-105008-9
C-CODE 0193
整理番号 み-3-8
ジャンル 文芸作品
定価 737円

コンプレックス。挫折。美。23歳の男は、なぜ金閣を炎上させたか。

一九五〇年七月一日、「国宝・金閣寺焼失。放火犯人は寺の青年僧」という衝撃のニュースが世人の耳目を驚かせた。この事件の陰に潜められた若い学僧の悩み――ハンディを背負った宿命の子の、生への消しがたい呪いと、それゆえに金閣の美の魔力に魂を奪われ、ついには幻想と心中するにいたった悲劇……。31歳の鬼才三島が全青春の決算として告白体の名文に綴った不朽の金字塔。

  • 受賞
    第8回 読売文学賞 小説賞
  • 舞台化
    金閣寺-The Temple of the Golden Pavilion-(2014年4月公演)

書評

世界の見え方が変容する体験

落合陽一

 美に対する執着のようなものを言葉を通じて体感できる歳になったのは二十代以後だったような気がする。三島文学に始めて触れたのは小学生だったか中学生だったかの学校の授業で、そのときは言葉によって世界の見え方が変容するような体験を知覚したことがなかった。その後、時は流れて大学の頃、学生の自由な時間で濫読を繰り返す中で再び三島に出会う。作家として創作したり、文脈を整理したり、自分なりに表現と向き合うようになって以後、三島の言葉は常に僕にインスピレーションを与えてきた。
 自分が三島の文章に評を書くなどと烏滸がましいが、段落を一つ抜き出しても三島と分かるような美しさがあること、そしてそこに美醜を合わせ呑むような憑りつかれたような解像度の高い筆致が常に含まれていることが自分の世界認識を常に改めさせるのだと思っている。多様な美の形に果敢に挑む姿が垣間見えるところに没入性があるのだろう。私の好きな著作を三つ挙げるとすれば、『金閣寺』『仮面の告白』『美しい星』あたりだろうか。『潮騒』も好きだが、今回はこの三つにしよう。

三島由紀夫『金閣寺』

『金閣寺』の、世界の認識を変えるほどの夢想と行為との関係性。夢想によって育まれたものが現実と交錯していく世界観に恋い焦がれながら読んだ。主人公の金閣寺に対する美的な倒錯がたまらない。社会的インパクトがあった事件がモチーフになっていると言われるものの、1987年生まれの自分にとっては『金閣寺』を読みながら得た体験が、僕の中では実際の事件と一体化しつつある。失われつつある幽玄の美、たくましさと艶かしさ、闇を地として聳え立ち輝く炎の交錯、高揚感の果てに生きるということを選んでいくということはどういう意味を持つのだろうか。ほの暗さの中で輝く柔らかな光に照らされた金糸や銀糸のような、舞と京刺繍のような美しさと人間の醜さを合わせて味わう瞬間が好きだ。じっとりとした夜に読み返すことが多い。

三島由紀夫『仮面の告白』

 三島が二十四歳で『仮面の告白』を書いたことに愕然とする。確かに表現とは自分を曝け出すことなのかもしれないが、内的な反芻の長時間の蓄積によって描かれる性的描写の端正さに惹かれる。フェティシズムの描画、葛藤、コンプレックス、真っ直ぐにはいかない美的なねじ曲がり方と、その周囲に存在するプラトニックな美や男性美へのストレートな倒錯の混在が味わい深さを生んでいると思う。直線的な感情と渦巻く感情の二つが入り混じって、表と裏を行き来し、反芻され、文体のあちらこちらに現れては消えていく。このねじれが至るところから感じ取れる。主人公が対象と向かい合う時に始まるループを客観的に眺めるたびに、自分の中でも語り出そうとする何かを発見することができる。自ら創作するときに、「言葉が出やすくなる小説」という観点では、十九歳ごろによく読んでいた。何かと向かい合って、それが自分の中で対話可能なループを作るまで集中する、そんなものの見方を教えてくれる気もする。

三島由紀夫『美しい星』

『美しい星』のSFかと思わせる荒唐無稽なストーリーから、人類を外側から眺めてみる壮大なテーマを感じとる。終末観と不安の中で描かれるテーマに関する議論の様子を追いかける感覚は他の三島作品とは異なっているが、後半の人間存在について外側から眺める議論が心地よい。自分は大学時代に『幼年期の終わり』(アーサー・C・クラーク)とか『夏への扉』(ロバート・A・ハインライン)みたいなSFと同時にこの作品を読んだ記憶があるが、1950年代から1960年代の時代性の中に確かにこのような作品を揺籃する空気が存在したのだということを感じさせてくれる。虚無と希望の中で振動する自分を発見し、黙想する対話相手なのかもしれない。人類にして人類を外側から眺めているような感覚は自分自身がコンピュータと向き合っているときの感覚に近い。人間性とは何か、メディア装置を用いた芸術とは何か、そういった気分を喚起してくれる。
 というわけで三冊ほど好きな三島作品について書かせていただいたが、駄文失礼。思えば何かを参照するわけでもなく、作品に想いを馳せるだけで、ついつい言葉が自然と湧き出てくる。偏屈で曲がりくねっていてそれでいて真っ直ぐな、年代物の癖の強いウイスキーのような、そういった特徴が三島作品にはあると思う。

(おちあい・よういち メディアアーティスト)
波 2020年9月号より

どういう本?

タイトロジー(タイトルを読む)

 写真や教科書で、現実の金閣をたびたび見ながら、私の心の中では、父の語った金閣の幻のほうが勝を制した。父は決して現実の金閣が、金色にかがやいているなどと語らなかった筈だが、父によれば、金閣ほど美しいものは地上になく、又金閣というその字面、その音韻から、私の心が描き出した金閣は、途方もないものであった。
 遠い田の面が日にきらめいているのを見たりすれば、それを見えざる金閣の投影だと思った。福井県とこちら京都府の国境をなす吉坂峠は、丁度真東に当っている。その峠のあたりから日が昇る。現実の京都とは反対の方角であるのに、私は山あいの朝陽の中から、金閣が朝空へ聳えているのを見た。(本書6ページ)

*金閣 一三九七年(応永四)西園寺家の山荘北山殿を足利三代将軍義満が譲り受け、金閣などの殿楼を造営したのに始まる。義満の没後は、その遺命により、これを禅寺に改め、インドの鹿野苑の名をとって鹿苑寺と名づけた。当初は舎利殿(金閣)のほか十数の殿舎が立ち並び壮観をきわめたが、応仁の乱で多くが失われた。金閣は名園鏡湖池にのぞむ三層の楼閣。初層は藤原期の寝殿造、中層は鎌倉期の武家造、上層は禅宗の仏殿造で、屋根は唐様を用いた。浄土信仰と禅宗信仰、仏殿と住宅建築という異種のものの結合は、伝統の公家文化と新興の禅宗文化の融合を象徴したものといえる。また漆地に金箔を押したところから金閣寺と通称され、創建当時のまま厳存されてきたが、昭和二十五年焼失。現在のものは昭和三十年に再建。(注解・田中美代子 本書331ぺージ)

一行に出会う

寺が寝静まる。私は金閣に一人になる。(本書168ページ)

著者プロフィール

三島由紀夫

ミシマ・ユキオ

(1925-1970)東京生れ。本名、平岡公威(きみたけ)。1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。

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