ホーム > 書籍詳細:小林秀雄の恵み

小林秀雄は、「学問する」喜びを伝え、慰め励ましてくれる「永遠のじいちゃん」なのだ。

小林秀雄の恵み

橋本治/著

1,980円(税込)

本の仕様

発売日:2007/12/20

読み仮名 コバヤシヒデオノメグミ
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 415ページ
ISBN 978-4-10-406110-5
C-CODE 0095
ジャンル 評論・文学研究、ノンフィクション
定価 1,980円

物のあはれを知らなければ“考える”ことなど始まらない――ここに出発する小林秀雄の思索のゴールが、晩年の大著『本居宣長』だった。元祖「学問する人」宣長を徹頭徹尾肯定するこの本に励まされ、日本の歴史・古典と本格的に格闘する作家、橋本治が誕生した。小林秀雄が与えてくれた人生の恵みを綴る、愛のある論考。

著者プロフィール

橋本治 ハシモト・オサム

(1948-2019)1948年東京生まれ。東京大学文学部国文科卒。小説・戯曲・評論・エッセイ・古典の現代語訳・浄瑠璃などの古典芸能の新作ほか、多彩な執筆活動を行う。2002年『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で小林秀雄賞を、2005年『蝶のゆくえ』で柴田錬三郎賞を、2008年『双調 平家物語』で毎日出版文化賞を受賞。著書に、『窯変 源氏物語』『巡礼』『リア家の人々』『ひらがな日本美術史』『失われた近代を求めて』『浄瑠璃を読もう』『九十八歳になった私』など多数。

書評

波 2008年1月号より 考えるスタイル、考えるプロセス  橋本 治『小林秀雄の恵み』

永江朗

『小林秀雄の恵み』は橋本治による小林秀雄論である。でも、ふつうの小林秀雄論とは違う。小林秀雄の全体像に迫ろうとかなんとか、そんなことを橋本治は考えない。それどころか、小林秀雄が何を考えたのかも、あんまり問題にしない(少しは問題にする)。橋本治が関心を持つのは、小林秀雄の考えかた、考えるスタイル、かたちである。私は、ここが大変おもしろいと思う。というのも、橋本治は一貫して、ものごとについて考えるプロセスを読者に提示する思想家であり続けてきたからだ。「AはBである」というとき、「なぜAがBであるのか」ではなく、「なぜ橋本治は『AはBである』と考えたのか」を、延々と読者に説明し続けるのが橋本治だ。『広告批評』でずっと続いている連載のタイトルを借りれば、「ああでもなくこうでもなく」と。ものごとで大切なのは結論じゃなくてプロセスである、考えかたである。私が橋本治を最強の啓蒙家と考えるのはこのためだ(こんな言いかた、橋本治には迷惑あるいは心外かもしれないが)。
 だから『小林秀雄の恵み』は、「小林秀雄の考えかたについて」の(橋本治の)考えかたについてを語る評論である。題材は主に小林秀雄の『本居宣長』だ。タイトルの通り、本居宣長論であり、小林晩年の代表作である。つまり、小林秀雄が本居宣長を読んで考える、そのプロセスやかたちが、橋本治の関心事となる。ところが、小林秀雄が『本居宣長』で考えているのは、本居宣長が『源氏物語』や『古事記』を読んだり考えたりするときのプロセスやかたちなのである。ということは、この本には、『源氏物語』や『古事記』を読む本居宣長、を読む小林秀雄、を読む橋本治がいて、さらにこの本を読んでいる私がいる(そして、その私の文章を読んでいる読者諸姉諸兄がいらっしゃる)。
 もっとも、小林秀雄が本居宣長を読む姿勢や考えるプロセスと、橋本治が小林秀雄(の『本居宣長』)を読む姿勢や考えるプロセスは同じではない。この本の最初のほうで橋本は、〈『本居宣長』は、読み手のあり方を問題にする本〉であると言い、〈「小林秀雄を読む」ということは、結局、自分を語ることなのである〉と言っている。小林秀雄イコール橋本治ではない。本居宣長イコール小林秀雄でないように。読者にとっては、橋本がこのように小林秀雄を読むことによって、橋本治と小林秀雄の共通点と相違点がはっきりと見えてくるという利点がある。小林秀雄を読みながら自分を語る橋本治が、読者にとっては小林秀雄や橋本治を読むときの思考の補助線になり、ひいてはものごと一般を考えるときのヒントになるのだ。
 もうひとつこの本は、ものごとの考えかただけでなく、文章の読みかたも教えてくれる。文章には一読しただけで理解できるものと、なかなか分からないものとがある。たんに難解というのではなく、二度三度と読み返すうちに分かってくる。小林秀雄、そして本居宣長の思想はそういうもので、橋本治は『本居宣長』読解を通じて、こういう「一度読んだだけで分かってたまるもんか」的文章の読みかたのお手本を示してくれる。
 橋本治は〈『本居宣長』を何度読んでも、私は本居宣長にまったく関心が湧かないのである〉と言い、〈本居宣長は「退屈な存在」なのである〉とも言うが、〈その「退屈な存在」である本居宣長を書く小林秀雄には、一向に飽きないのである〉と第二章の最初のほうで言っている。しかし、関心が湧かないと言いながら、この本の後ろの方になると、たとえば上田秋成にばかにされた本居宣長にちょっと同情したりもする。けっして〈まったく関心が湧かない〉ということでもないのだ。こういう橋本治の気持ちの小さな変化も読んでいておもしろい。本書は、小林秀雄を読む橋本治のライブ、ドキュメントのような評論であり、最強の啓蒙書である。


(ながえ・あきら 書評家)

目次

第一章 『本居宣長』の難解
一 小林秀雄から遠く
二 『本居宣長』再読
三 「歌」とはなにか
四 宣長の歌と『古事記』への道
五 「物のあはれ」を人問はば
六 学問
第二章 『本居宣長』再々読
七 小林秀雄と本居宣長と『本居宣長』
八 六十三歳の小林秀雄
九 マクラとしての折口信夫
十 戻るべき《其処》
十一 恋する本居宣長
十二 あなものぐるほし
十三 私的な歌人
第三章 「語る小林秀雄」と「語られる本居宣長」
十四 消滅する動機
十五 求められる「一致」
十六 「語られる宣長」と「宣長を語る小林秀雄」
十七 小林秀雄の位置
十八 小林秀雄の拒絶
十九 本居宣長を溯る
第四章 近世という時代――あるいは「ないもの」に関する考察
二十 学問の誕生
二十一 「ないもの」への考察
二十二 空気としての儒教
二十三 儒教ルネサンスからの転回
二十四 「孤独」という方法――あるいは、社会的視野の欠落
二十五 江戸時代という背景
二十六 近代的孤立と近世的孤立
第五章 じいちゃんと私
二十七 私=橋本治が小林秀雄から与えられたもの
二十八 小林秀雄はどう「いい人」なのか
二十九 なぜ《孤立》が必要か?
三十 『当麻』の問題点――あるいは、《美しい「花」》と「美しい花」
第六章 危機の時
三十一 戦争と小林秀雄
三十二 美の襲撃
三十三 怒れる小林秀雄
三十四 敗北からの転回――『無常といふ事』
三十五 小林秀雄――その戦時下の戦い
第七章 自己回復のプロセス
三十六 「徒然草」と自己回復
三十七 読まれるべき「テキスト」の再生と、拡大
三十八 誰からも理解されないまま安全であるという不幸
三十九 思想ではなく、人として、私として
四十 我は西行
第八章 日本人の神
四十一 そこにある「線引きのなさ」について
四十二 近世――神のいる合理性
四十三 西行と神
四十四 神に近似する桜
四十五 居場所のない西行、神ではない神を見つめる芭蕉
第九章 「近世」という現実
四十六 穏やかな二面性
四十七 「近世」という現実
四十八 生活者の内面
四十九 「自分を語る言葉」を持たないでいた人
五十 強情なる宣長
五十一 「関係ないじゃん」という拒絶
第十章 神と仏のいる国
五十二 『本居宣長』――その終局の難渋
五十三 「直毘霊」を書く本居宣長
五十四 《彼の最後の自問自答》
五十五 そういうことなのか――
五十六 「店子」としての世界
五十七 『古事記』と『日本書紀』――あるいは、内的な真実
五十八 神と仏のいる国
終章 海の見える墓
五十九 あとがき――あるいは「小林秀雄の思想」について
六十 トンネルとしての評論
六十一 海の見える墓に立って

判型違い(文庫)

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