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戦争を強力に推進した主戦派の陰で戦局を横目に早期講和を模索した「参謀本部・戦争指導課」の奮闘。

主戦か講和か―帝国陸軍の秘密終戦工作―

山本智之/著

1,430円(税込)

本の仕様

発売日:2013/06/28

読み仮名 シュセンカコウワカテイコクリクグンノヒミツシュウセンコウサク
シリーズ名 新潮選書
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 254ページ
ISBN 978-4-10-603731-3
C-CODE 0331
ジャンル 日本史
定価 1,430円

アジア太平洋戦争で終戦の地固めをしたのは、強硬かつ頑迷で悪名高い陸軍内で、極秘の工作活動を行った一派だった! 第二次大戦開始から戦争後期までドイツ軍の戦局に応じて立案された作戦の推移を追いながら、服部卓四郎率いる参謀本部作戦課と松谷誠の戦争指導課との対立を示し、「“陸軍一枚岩”観」を覆す、異色の終戦史。

著者プロフィール

山本智之 ヤマモト・トモユキ

1973年東京都に生まれる。1997年明治大学文学部史学地理学科(日本史学専攻)卒業。2007年明治大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程学位取得修了、博士(史学)。現在、明治大学文学部兼任講師。著書に『日本陸軍 戦争終結過程の研究』がある。専門は日本近現代史。大学時代から一貫して先の大戦における戦争終結プロセスについての研究を進めている。

書評

波 2013年7月号より 「狂気」の集団か、日和見集団か

森山優

戦後歴史学において、昭和の日本陸軍ほど評判が悪い組織はないだろう。確かに、張作霖爆殺事件や満州事変などの謀略、二・二六事件、ノモンハン事件、日米開戦など、陸軍の「悪行」は枚挙にいとまがない。惨敗に終わった太平洋戦争を終わらせる際も、本土決戦を主張してポツダム宣言受諾に反対し、広島・長崎への原爆投下とソ連の参戦を経た後も、条件闘争に固執した。ポツダム宣言受諾の「聖断」が下ると、三笠宮を通じて天皇に再考を迫ろうと画策して、一蹴される。さらに、若手将校が「終戦」前日に玉音放送の録音盤を奪うべく反乱を起こし、鎮圧された。まさに「狂信的」な陸軍の「暴走」を象徴する幕切れであった。戦争の人的・物的被害の大半が最後の半年に集中していることを考えれば、既に勝ち目が無くなっていたにもかかわらず、ずるずると敗戦の決断を遅らせた政府、特に最大の阻害要因となった陸軍に非難が集中するのは当然であろう。
それでは、陸軍はレミングの群れのように玉砕への道をひた走っていたのだろうか。冷静に国際情勢を判断し、講和こそ最良の選択と考えた者は居なかったのだろうか。
もちろん、居た。本書の主人公である松谷誠陸軍大佐である。松谷は酒井鎬次陸軍中将と共に、早期講和の担い手として従来から知られてはいたが、「終戦」史のエピソード的に扱われてきた。確かに一九四四年六月末、サイパン島の失陥をうけ、参謀本部二十班長だった松谷は「国体護持」のみを条件とした早期講和を東条参謀総長(兼首相兼陸相)に直言し、数日後に職をおわれている。時を同じくして、酒井も召集解除となった。陸軍の主流を主戦派(本土決戦派)が占めていたとすれば、松谷ら早期講和派の影響力は微々たるものに過ぎず、従来の陸軍イメージはゆるがない。
しかし、松谷は南方のような死地に追いやられたわけではなく(支那派遣軍参謀)、約四ヶ月で小磯内閣の杉山陸相秘書官として呼び戻されている(後任の阿南陸相秘書官、さらに「聖断」を導いた鈴木貫太郎首相の秘書官も兼ねた)。
著者は、このような松谷の処遇の背景に、陸軍内の中間派(日和見派)の存在を見る。そして、従来は主戦派と考えられてきた杉山、梅津さらに阿南も中間派であり、状況によって主張を使い分けていた彼らこそが陸軍の中心だったとされる。
「終戦」工作は、その主体となった鈴木首相を筆頭に、表面上は強硬論を唱えつつ、お互いの腹を探り合いながら、徐々に進めざるを得なかった。このことを勘案すれば、主戦派の圧力を最も強く感じていた陸軍内部で、その傾向が強かったことは、容易に想像できる。
果たして、陸軍は妄想に駆られた「狂気」の集団だったのか、それとも「スーダラ節」よろしくわかっちゃいるけどやめられなかった日和見集団だったのか、考えさせられる一書。

(もりやま・あつし 歴史学者・静岡県立大学准教授)

目次

日本陸軍は「一枚岩」だったか
序章 陸軍の虚像と実像
「陸軍対終戦工作派」という通説/破棄された資料と「聖断」説の流布/参謀本部作戦課と戦争指導課/戦争指導課の任務/海軍・外務省・宮中との連携/中間派=日和見派の存在/主戦派対早期講和派
第一章 ドイツ頼みだった主戦派 一九三一年九月~一九四三年二月
羨望の対象だった新生ドイツ/電撃戦の衝撃/膠着状態に陥った中国戦線/対ソ強硬論を主張した服部・辻両参謀/「バスに乗りおくれるな」/「開戦」に至った主戦派の論理/服部の作戦課長就任/南部仏印進駐と北方進攻作戦却下/「奥の院」=作戦室/「(御下問)奉答資料」の作成/「独ソ戦が終わると日本の発言力がなくなる」/開戦時の戦争終末促進「腹案」/翌年の独夏季攻勢に望みをかける/印度洋―西亜の日独打通構想/二転三転する対ソ戦計画/重慶進攻作戦計画/ガダルカナル敗北と田中・服部の解任
第二章 戦局の転換と早期講和派の形成 一九四三年二月~一九四四年七月
松谷の戦争指導課長就任/「消極論者」「悲観論者」の抜擢/独伊対米英講和への不信/一九四三年春の世界戦争終結案/「五カ年長期戦争指導計画」/ソ連挟撃のため温存された関東軍/戦争指導課による「終末方策」案出/八月案と九月案の相違点/早期講和論の浮上/二通りの対英米講和条件/ソ連仲介の戦争終結構想/松岡洋右に期待された外交手腕/組織改編と服部の復帰/ソ連完勝を予想した「独観察」/ドイツの運命を決める「ドニエプル」線攻防/「国体ノ護持」に初言及した「説明」/ドイツ降伏を前提とした「第三案」/主戦派主導の大陸打通作戦/太平洋の劣勢を大陸作戦で補う/陸軍外組織との連携/重光―松谷ラインの成立/東条陸相の参謀総長兼任/酒井予備役陸軍中将の役割/近衛ら重臣との交流/広く読まれたクレマンソー『大戦回顧録』/高松宮・近衛に伝わった参謀本部極秘情報/酒井・松谷の密接な連携/サイパン陥落と晴気の怒り/戦争継続困難と判断した「観察資料」/活発になる東条内閣打倒工作/高松宮を頂点とした戦争終結勢力/東条参謀総長への意見具申/酒井の召集解除と東条内閣総辞職
第三章 中間派の形成と戦争終結 一九四四年七月~一九四五年八月
「実務的な」杉山と「家康の如き」梅津/「予は対米戦争に当初から反対であつた」/「戦争収拾だな」とピンと頭にきた/レイテ決戦に期待をかける主戦派/本土決戦準備の内実と主戦派の新たな牙城/松谷の対杉山・阿南説得工作/「腹を明かさぬ」梅津/阿南「大臣異存なし」/「抗戦意欲は少壮年将校連に移りつつある」/ドイツ崩壊が変えた梅津の戦争認識/対ソ工作への期待と悲観論の充満/「大陸の陸軍は壊滅状態」と上奏した梅津/国策となったソ連仲介終戦工作/戦争終結の布石、陸軍中央人事/若手暴発を恐れた阿南/「聖断」と中堅若手将校の決起/過大視されたクーデター計画/梅津流「鳴くまで待つ」の是非/「終戦の際、君を殺そうと思った」/松谷と服部の戦後/服部、警察予備隊入りの頓挫/陸軍幼年学校と中学校/GIIとGSとの対立/戦前の対立構造の継続性
終章 戦争終結にむけて積極的に動いた陸軍
【あとがき】
【参考文献一覧】
【関係年表】

担当編集者のひとこと

主戦か講和か―帝国陸軍の秘密終戦工作―

今を1943(昭和18)年7月と想定してみると…… 今年は西暦2013年。ほぼ70年前、日本は米英、オランダ、そして蒋介石の国民党を敵に回して総力戦をしていました。現在(2013年7月初旬)のちょうど70年前になにが起こっていたか、年表で見てみましょう。1943年7月5日、ロシアで独ソ戦の天王山・クルスクの戦いが起こります。太平洋では、ソロモン諸島が日米の主戦場でしたが、6月にはアリューシャン諸島のアッツ島に米軍が上陸し日本軍の守備隊が玉砕。前後しますが、4月には山本五十六搭乗機が撃墜されています。
 その時点からさらに一年、時計の針を戻してみると、前年のその時期(1942年6、7月)頃までは、枢軸国側の優勢が続いていて、北アフリカではロンメルの快進撃が、ロシアではドイツ軍がスターリングラードの包囲を進め、「印度洋―西亜の日独打通」、つまりインドや中東辺りで日本軍とドイツ軍が出会う、そんな希望までささやかれるほどでした。しかし、その時期を境に双方ともに消耗戦の状態が続き、その一年のちの43年夏頃から、いよいよ枢軸国がひたすら退却のみを強いられる状況になります。
 そんな「今」から一年半と少し前(1940年12月)は真珠湾攻撃でした。そして、「今」から先、終戦までには、2年と1ヶ月の時間があります。
 それでは、その2年と1ヶ月の間、帝国陸軍の参謀本部は戦争をどのように終わらせようと考えていたのでしょうか。参謀本部でも花形部署と言える「作戦課」が中心となって立案した「五カ年長期戦争指導計画」をベースにした「長期戦争指導要項」を見ると、太平洋方面は白黒がつかないままに日本と英米の双方が折れて講和を結ぶ、と考えていたことがうかがえます。戦争はずるずると1948(昭和23)年頃まで続くという予想も立てています。
 では、ソ連に対してはどうでしょうか。現在から考えて驚かされるのは、1943年の春頃までは、日本はヒトラーとスターリンによる独ソ和解に期待を持って、その感触を探っていたことです。その頃、独ソは激戦の最中で、どう見てもヨーロッパでは両国の和解など想像もつかなかったでしょうが、日本側は、ソ連を三国同盟側に引き入れて英米と対峙するという構想を胸に抱いていたのです。
 しかし、一方で、この時期は満州に居る関東軍が極東ソ連軍と戦火を交える最後のチャンスでした。選りすぐりの精鋭部隊をもちいてドイツ軍とソ連を挟み撃ちする……参謀本部作戦課参謀の真田穣一郎や服部卓四郎の証言からもそのような考えが感じ取れます。現在から見ると荒唐無稽な構想と感じますが、当時の秀才中の秀才が集まった参謀本部「作戦課」では、その2年後、日本が完膚なきまでにアメリカに叩きのめされて降伏するなど思いもよらないことだったのです。これを現在から振り返って批判するのはたやすいことですが、時代や状況はまったく違うものの、今から2年後の日本や世界がどうなっているか、正確に予測できる人はいるでしょうか。
 本書は、日本陸軍で秘密裏に戦争の終わらせ方を研究していたもうひとつの組織「戦争指導課」に注目しながら、陸軍がいかに敗北を受容したか、そのプロセスをたどりますが、どんな優秀な人間であれ、将来を予測することがいかに大変なことかがわかるのも、読みどころのひとつといえましょう。

2016/04/27

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