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初めて明かされる悲しき真実。失われたフィルム発見! DVD付録『七色の花』

新潮45特別編集 原節子のすべて

1,512円(税込)

本の仕様

発売日:2012/11/08

読み仮名 シンチョウヨンジュウゴトクベツヘンシュウハラセツコノスベテ
シリーズ名 新潮ムック
発行形態 ムック
判型 A5判
頁数 223ページ
ISBN 978-4-10-790234-4
C-CODE 9474
価格 1,512円

「美女」のそばには「怪物」がいた。それは小津監督ではない。彼女は、別の“ある男”に呪縛されていたのだ。知りたくはなかった「永遠の処女」の真実。

書評

「原節子」と呼ばれた女の一生

石井妙子

 懇意にしている新潮45のW編集者より、「原節子の別冊を作る事になったので評伝を担当して欲しい」と言われたのは、今年の初め頃のことだったと思う。
 いくつかの理由で戸惑ったことを憶えている。まず第一に、「なぜ、今、原節子なのか」。
 W編集者によると新潮45は昨年、まったく偶然に原節子が出演した、ごく初期のフィルムを入手し、それをDVDにし付録として発表した。すると、思った以上に読者からの反響が大きかったのだという。
「それで原節子には読者のニーズがあることを知ったわけです。実はまた東京国立近代美術館フィルムセンターにも所蔵されていない『七色の花』という原節子主演作品のフィルムを手に入れることができました。そのDVDをつけた別冊を作りたいのです」
 W編集者は、普段は殺人事件や深刻な社会問題などを手掛けている。また彼自身が映画狂、あるいは小津映画の信奉者、原節子ファンというわけでもなかった。
 そのWさんが、「読者のニーズがある」、というだけの理由で「原節子」を取り上げたいと思うものなのか、きっとそうではないのだろう。「原節子は『何か』を背負った存在である。取り上げるに値する人だ」という編集者としてのカン。それを刺激する何か。口では説明しきれない、その「何か」に突き動かされているのだろうと、説明を聞いていて思った。
 しかし、Wさんが映画ファンでないのと同様、私も映画に関しては門外漢だった。古い日本映画は好きで、小津や成瀬、木下恵介らの代表作は大体見ている。とはいえ、それは単に「見た」というだけのことで専門的な知識など持ち合わせてはいない。
 原節子の評伝は映画評論家の手により、すでに分厚いものが何冊か出ている。そういう方に頼む方がいいのではないかと問うたところ、W編集者はこう言うのだった。
「映画女優として見るのではなく、女性の一生として捉え、『原節子』を書いてみて下さい」
 それからは、ふたりで走った。
 可能な限りの資料を求め、親族に会いに行き(多くは取材拒否であったが)、所縁の土地を訪ね歩いた。地道な、ノンフィクションの手法をそのまま用いた作業だった。だが、調べるに従い、私は昭和の歴史がそのまま重なる彼女の生涯に惹かれ、あるいは、日本映画界の黎明期から、黄金期、衰退期に至るまで映画界と常に深く係わり続けた、この家の歴史を興味深く思い、次第に調べることにのめり込んでいった。
 数は少ないが原節子にはいくつかの手記とインタビュー記事がある。そこに残された言葉から彼女の思想や、ものの考え方を知り、共鳴を感じることも少なくなかった。
 やがて取材を重ねる中で、私たちはいくつかの新しい事実に突きあたった。だが、私には一貫して奇をてらったことを書きたいという気持ちも、また、今までに書かれていなかったことを書いてやろうというような気持ちも、まったくなかった。
 ただ、調べる中でわかったことを出来る限り正直に、淡々と書きたいと思った。彼女のスキャンダルを求める気持ちは私にはなく、また、そのように私の書いた今回の短い評伝が取り扱われることも望んではいない。
 原節子ともっとも深い関係にあった存在として私は義兄の熊谷久虎に注目した。熊谷は節子の姉の夫であり、つねに節子に寄り添い続けた。節子の外遊にも同行している。また戦争中、ふたりきりで暮らした時期があったことも今回の取材でわかった。だが、だからといって、彼を「恋人」と断定してよいのか。私は正直なところ、今もまだ掴みかね揺れている。この点ではW編集者とも意見が分かれた。できれば、読者の方、それぞれに考えて頂けたらと思う。
 なお、取材の中で、「原節子」と呼ばれた女性は今も元気で暮らしていることを知った。彼女だけでなく、ふたりのお姉さんもご健在だった。原家は戦争の影響もあり、寿命をまっとうできずに若死にされた方が多い。しかし、その分、残された家族には長寿が授けられたのであろうか。
 今回のムックが作られたきっかけは、幻のフィルム『七色の花』が発見されたことであった。その監督・春原政久の遺族を訪問したことから、原節子が義兄の熊谷とふたり春原邸の二階で暮らしていたという事実を知ったのだが、偶然の導きは他にも多く、何か道筋がつけられているように感じられることが度々あった。
 ここまで自分のことばかり話してしまったが、このムックには総勢二十数名の筆者が寄稿している。
 W編集者の考えで約半数が映画の専門家、半数がノンフィクション系の書き手で占められている。他にも、編集部がその編集力を生かして作った資料部分などがあり、非常に多角的な出来栄えとなっている。
 安直さとは無縁だ。どのページにも著者と編集者の思いが詰まっている。カラーページの発色もよく、デザインも美しい。他の本には載っていない原節子の写真も収められている。
 と、最後は何やら非常に宣伝めいてしまったが、できればお手に取っていただき、「原節子」という不世出の女優の一生に、ともに思いを馳せて頂けたら嬉しい。

(いしい・たえこ ノンフィクション作家)
波 2012年12月号より

関連コンテンツ

立ち読み1

評伝 原節子
「永遠の処女」の悲しき真実

引退、独身生活、土地売買、そして本当の恋人。数々の謎が、いまここに初めて明らかとなる。

石井妙子(いしい・たえこ ノンフィクション作家)


疎開の謎

 真夏日だった。
 容赦なく照りつける太陽は常に頭上にあって、身を隠す場所もない。
 大分県中津市豊後町――。
 かつては下級藩士や商人が暮らしたという町の一角を、私と編集者は一軒ずつ、戸口を叩いて回っていた。
 まっすぐに伸びる路地。その両側には、古い家並が続く。だが、朽ちるに任せた家も多く、あたりには静かな荒廃が漂っていた。
 漆喰の白塀も、灰色の瓦屋根も、あるいはアスファルトの道も、全てが強烈な陽ざしを跳ね返して眩しい。
 陽炎――、という言葉が思い出されたのは、だが、この暑さのせいばかりではなく、自分たちの行いが、いささか徒労と感じられていたからだろう。
「このあたりに、昔、熊谷さんというお宅はありませんでしたか。
 熊谷久虎という映画監督の生家で、戦争中、女優の原節子が、その家に疎開していたという噂があるのですが」
 この町に来たのには理由があった。一つには、原節子の次姉の夫、熊谷久虎監督について知るため。この町は彼の生まれ故郷だった。また、もう一つには、原節子が、ここに疎開していたという噂を確かめるため。
 しかし、終戦から六十数年。人びとの記憶は風化しており、そうたやすく証言者が見つかるものではなかった。
 原節子には空白の時がある、と気づいたのは、資料を読みながら、彼女の年譜をノートに写し始めてからのことだった。
 彼女は十四歳で女優になってからというもの、スター街道を歩み続け、休む間もなく映画出演を重ねてきた。
 戦争中は数多くの国策映画に出演している。だが、さすがの原節子も、あまりに戦争が激化した昭和十年代の終わりには、出演する映画が減っていった。映画そのものが、ほとんど作られなくなったからである。
 その間、軍の慰問に駆り出された女優も多い。しかし、人前に出ることを好まぬ彼女は、そのわがままが通って、軍地慰問は強いられずにすんだという。
 では、それならばなお、戦時下に得た、一瞬の自由な日々を、彼女は、どこで、誰と、どのように過ごしていたのか。
 彼女自身は、後年、こう語っている。
「大東亜戦争がはじまると『ハワイ・マレー沖海戦』とか『望楼の決死隊』とか『決戦の大空へ』とかいったいわゆる国策ものが多くなり、また空襲がはげしくなると同時にだれもかれも生きることに精一杯で映画どころでない時代になりました。仕事の方もだんだんヒマになり、この時代はもっぱら本を読んで暮しました。トルストイ、ドストイエフスキー、チェホフと手当り次第に読みあさり、いま考えると一見ムダに過したようなこの時期が私という人間を作ってゆくのに大変貴重なときだったように思えます」(「東京新聞」夕刊 昭和三十四年三月二十七日付)
 彼女は、自分の身の上や体験を、あまり語らなかった。だが、その彼女にしては、幾分、饒舌と感じられるほど、戦後の食糧難をどう生き抜いたか、どこまで買い出しにいった、何キロの荷物を背負った、というような類の話を、割と詳しく雑誌などで語っている。
 また、終戦の日は保土ケ谷の生家で迎え、その後も保土ケ谷で暮らしたと語る一方で、他の記事では、「終戦直後まだ笹塚に住んでいたころ」(「東京新聞」夕刊 昭和三十四年二月二十七日付)と述べてもいる。どうして、発言にそのような齟齬があるのか、少し気にかかった。
 なぜなら、東京で終戦を迎え、戦後も東京で過ごした、と原節子が主張する傍ら、映画界ではまるで別の噂が囁かれていたと知ったからだ。
 その噂とは、「原節子は九州に疎開していた」というものだった。
 例えば、山本嘉次郎監督は、
「終戦の年、原節子が一年間消息不明で、後に九州に家を借りて住んでいたと判った」と周囲に語っていたという。
 節子自身は「疎開した」とは一度も自分の口から公にしてはいない。しかし、映画界では広く蔓延した噂であったようで、雑誌に書かれたこともあった。
 原節子は本当に疎開していたのか。しかし、だとしたら、なぜ隠すのか。
 九州に疎開したというのであれば、それは義兄・熊谷の生まれ故郷である、豊後町の可能性が強いであろう。そう考えて、私たちはこの町を訪ねたのだった。
 疎開の真偽を確かめるために。
 その時には、まだこの空白の時期に、それほど大きな意味があろうとは、思ってもいなかったのだ。

(続きは本誌でお楽しみ下さい。)

立ち読み2

【衝撃の実名告白】
「私は原節子と大プロデューサーの逢引を手配した」

月に1、2度、二人はやってきた。そして階段をあがって2階の寝室に消えた。

上條昌史(かみじょう・まさし フリーライター)


下北沢の喫茶店「マコト」

“永遠の処女”である原節子には、現役時代から具体的なゴシップ話があまりない。その数少ない噂のなかでも有名なのが、日本映画の黄金期を創った映画プロデューサーで後に東宝映画初代社長になった藤本真澄との関係である。一説によると、藤本は原節子に結婚を申し込んだことがあったが、原節子に軽くあしらわれてしまったという。
 その藤本は、生涯独身を通した。原節子への純粋かつプラトニックな思いを持ち続けたために、独身を貫いたのではないかという話もある。
 だが、じつはある時期、ふたりは逢引を重ねていた、と証言する人物がいる。川崎市に在住する藤井哲雄氏(82歳)である。
「これまでどこにも出ていない秘話なのですが、私が実際に“体験”したことであり、当時のことを知る人はみな物故してしまった。このまま墓場に持ち込むのも如何かと思い、お話しすることにしたのです。なぜ原節子が若くして引退してしまったのか、なぜ独身を通したのか、そのことを知る手がかりにもなると思うのです」
 話は、終戦間もない、昭和20年代の下北沢にさかのぼる……。
        *
 小田急線の下北沢駅の北口に、「マコト」という喫茶店があった。駅を出て、道をはさんだすぐのところにある、2階建てのバラックである。1階を店舗、2階をマスターが夫婦の住居として使っていた。店内には5、6席のカウンターと、テーブル席が2つ。数人来店するだけで一杯となってしまうような、狭くて小さな喫茶店だった。
 出すものは、進駐軍放出の闇物資のコーヒー。チョコレートやココアが少々。まだ砂糖も貴重な時代だった。店には看板もなく、一般の客はほとんど訪れなかった。常連客は東宝の砧撮影所からやってくる俳優たちだった。
 マスターは藤井氏の遠い親戚にあたる柴田真という人物で、店名は彼の「真」という名前に由来する。藤井氏はちょうど学校を卒業したところで、「暇だったら手伝いに来てくれないか」と柴田氏から頼まれ、アルバイトで働くことになった。
「柴田さん自身が、以前に俳優の端くれで、映画に出ることをめざしていたんです。その関係で、お客に映画関係者が多かった。まだニューフェイスだった三船敏郎や、池部良、藤田進といった俳優たちが兵隊服(復員服)姿でやってきて、騒いでいた。池部良さんが、前線で乗っていた船が撃沈され、父親から貰った銘刀を失ってしまったとか、そんな話をよくしていました。たまに誰かが酒を持ち込むと、それで盛り上がる。まさに英雄豪傑が出入りする、梁山泊のような店だったのです」
「マコト」は東宝の砧撮影所の門の前にも出店していた。撮影所内から注文を受けると、出前のサービスを行う。藤井氏は砧の店にも時々手伝いに行き、撮影所内のスタッフや俳優たちにコーヒーを届けていたという。
 この「マコト」について、元東宝製作部長の馬場和夫氏はこう語る。
「『マコト』、ありましたね。下北沢の駅前と砧撮影所の表門の前にありました。撮影所では、『監督どこにいるの?』『おれ、マコトに探しに行って来る』といって、探しに行くところでした。一番よく利用していたのは、成瀬巳喜男監督かな。いつもスタンドにぽつんと座っていた。砧の方は、スタンドとテーブルと奥座敷があって、日本シリーズとかが始まると、みんなその奥座敷へ見に行っていた。下北沢の店にもいろんな人が出入りしていましたよ。安いアルコールが飲める場所といったら下北沢で、俳優も電車に乗って移動していました。砧撮影所のある成城から来て途中下車。確かマスターは役者崩れで、ママの方もわれわれの間では有名でした。美人というわけではなかったけれど、調子のよい人でね」
 いわば「マコト」は、東宝の映画関係者御用達の店として繁盛していたのだった。

(続きは本誌でお楽しみ下さい。)

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