特別対談 終わらない世界へ 古井由吉・蓮實重彦
古井 蓮實さんとは初めての対談になりますが、大学では同級生ですね。 蓮實 そう。東大では駒場の二年間同じクラスだったわけだし、立教大学では紛争中に教員として同僚だった。 古井 そうなんですよ。 蓮實 これも二年一緒でした。二人が立教を離れてからも何かの折りに会って挨拶はしているし、一番最後にお会いしたのは、後藤明生氏の大阪での葬儀のときですね。だから、対談が初めてというのは不思議な気がします。別に避けあったわけではないし、疎遠というのとも違う。古井さんは作家としてしかるべき道を歩んでおられて、私も批評家として古井さんの作品はずっと読んできたわけです。一つ心残りだったのは、『仮往生伝試文』を発表された80年代の終わりから90年代の初めにかけて、古井由吉論を書くぞと決意して準備したことがあるんですが、それがさまざまな理由で流産してしまったことです。 古井 その頃は、分かれ道に直面していたから、僕も書かれると苦しいときでした。 蓮實 それ以後、個人的に妙に忙しくなったり、老後の設計ミスがいろいろあったりして、結局、古井論は書けないままでいました。それでも96年に「新潮」に短いながら『白髪の唄』について「狂いと隔たり」という文章を書き(『魅せられて』所収)、今回また最新作『辻』(小社刊)を読ませていただいたのですが、これにはとても深いところで動かされました。「この人枯れてない」っていう印象が最初に心に浮かびましたが、これはしょうがないんですね。 古井 しょうがないんですね(笑)。書いている最中だけは年齢不詳になる。あんまりいいことではないと思うんだけど。 蓮實 それから、どこにいるのかもわからない感じで書いておられる。 古井 そうなんです。 続きは本誌にてお楽しみ下さい。
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