まーやー 遠藤 徹
一
お天道さんのやつ、気が狂っちまったのに違いないや。 阿南といっしょに岩石をひっくり返そうと力を振り絞りながら、薙はここ数日頭にこびりついて離れない同じ考えを反芻した。呼吸をしたり、瞬きをしたりするだけ で、水桶三杯分の汗が噴きだす始末だ。腕をじっとみつめていると、いたるところから濁った水滴が膨れ上がり、やがて弾けて皮膚の表面を滑り落ちていく。しかも滑り 落ちる途中で干上がってしまうために、体じゅういたるところに、白い塩の筋が描かれている。眼にも絶えず汗が流れ込むのに、これを洗い流す涙が涸れてしまっている せいで塩まみれの眼球がひりひり痛む。 足の裏は、融けてどろどろになった泥炭状の物質がこびりついたのと、焼け焦げた砂利の上を昨日一日歩いたせいとで、まっ黒になっていた。夜の闇でさえかくはと思われるほどだった。このまま足の裏から順に生きたまま炭の塊になっちまうのかもしれない。薙はそんな考えにしばしとらわれたのだったが、それはあながち馬鹿げた空想でもなさそうだった。体中の水分は血液や淋巴液にいたるまで、強力な揚水機で汲みあげられる井戸水のように勢いつけて出て行くばかり。日焼けしてどす黒くなった肌の下にはもう肉など残っているようには見えず、二人はさながら皮を被せられた二体の骸骨であった。 頭蓋骨の下にあったはずの脳味噌だって、ひからびて干し柿と化していたに違いな い。だから、薙が何日も同じひとつのバカげた考えしか思い浮かべることができな かったとしても、責めるわけにはいかないだろう。二人のかわききってぱりぱりの頭の中には、天照が口にしたひとつの言葉だけが繰り返し繰り返し響いていたのだ。 「生き延びよ! 生き延びて七面、毛無らと合流し、強羅を倒せ!」 見上げるばかりの巨躯をもった天照。二人の憧れの人。その憧れの感情はほとんど 崇拝に近いものともなっていた。あの時も、自分の大河の三角州のように広い影の中に二人を導き入れてくれた。たとえ一時なりと容赦のない太陽から守ってやろうとい う配慮からだった。そうしながら、天照はこの言葉を投げかけたのだ。天照のつくったその闇の中でほんのひとときのやすらぎを感じながら、薙と阿南は、水に飢えた海 綿のように、この言葉を吸い込んだ。いかなる疑問の余地も許されぬ、それは絶対の命令であった。 天照は立ち去るまでの暫時のうちに、夥しい量の汗をかき、それは地面にめりこん だ天照の足跡に溜まって二つの湖となった。薙と阿南は久方ぶりに湯浴みをしようと喜び勇んで飛びこんだが、すぐに悲鳴を上げて飛び出さねばならなかった。というの も、天照の体温と、気が狂っちまったお天道様のせいで、その湖は酷いほどにも煮えくり返っていたからである。それゆえ飲む事もかなわず、またたとえ飲めたとして も、あの塩辛さではかえって渇きが増すだけであっただろう。それが間違いではなかったことがすぐにも得心されるほど、まもなく干上がった湖の底には、巨大な塩の 結晶が剣呑に尖りながら、たち現れたのでもあった。 天照がどこから来て、どこへ去ってゆくのかは薙にも阿南にも皆目見当がつきかねた。二人に理解できたのは、ただ自分たちが、 「生き延び」 そして、 「七面、毛無らと合流し」 さらには、 「強羅を倒さねばならない」 ということだけであり、それで十分だったのである。抵抗運動の闘士(パルチザン)天照について、それ以上を求めることは冒涜に等しい、と彼らには思われた。 続きは本誌にてお楽しみ下さい。
|