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美よ永遠に――Keats, my genius(抄)
青山光二
 十一月二十六日(土曜日)、原木夫妻を乗せ、夫妻の
長女加奈の運転するくるまが、サフォーク州の中心都市
イプスウィッチを早朝に発ってから、ロンドンの東側の
外郭を廻って、はるばると英国の南端に近いチチェスタ
ーまで、およそ二百粁にも及ぶ走行が間もなく終ろうと
していた。チチェスターの町の象徴ともいえる大聖堂の
尖塔がそろそろ望見されそうなあたりまで来たのが午後
四時近く――、加奈の運転は、老齢の両親の疲労度を考
慮してか、日頃の暴走ぶりからすれば悠長といっていい
くらい英国流に落ちついたものであった。
 ウェスト・サセックスの原野のなかの一本道を走りな
がら、
(百七十五年前の一月、たぶんこの街道を、ジョン・キ
ーツは馬車でチチェスターへ向かったのだ)
 と、原木は何度となく呟いたものだ。げんざい、チチ
ェスターはウェスト・サセックスの州都に当る。
(そして、チチェスターの西方約八粁のスタンステッド
では、年上の女友達イザベラ・ジョーンズ夫人が装いを
凝らして彼の到着を待っていた。二十三歳のロマン派詩
人の心はずむ旅――)
 謎めいて神秘的な雰囲気の持ち主だったらしいイザベ
ラ・ジョーンズ夫人は、キーツが真に愛した、おそらく
ただ一人の女性だった。
「お父さま」と、原野のひろがっている前方を見たまま
加奈が云った。「今日はもう、大聖堂へ行ってみる元気
ないでしょ」
「元気はあるがね、お母さんも疲れてるようだし、明日
のことにしようか」
「そうね」
 助手席で眠りこけている母攝子の方を覗きこむように
見て、加奈は云った。母を自分の隣りに坐らせたのは、
後部座席に攝子一人を坐らせるのは不安という父の意見
に従ってのことだった。時おり意識の曖昧になりがちな
彼女が発作的に扉をあけることがないともいえないとい
う気がし、考えるだけで原木はぞっとするのだ。長女の
くるまは、運転者が坐ったまま四つの扉をロックできる
装置がなかった。十二世紀様式とかのチチェスターの大
聖堂は、沿岸を航海中の船舶から尖塔が見える英国で唯
一の寺院とされ、原木はむろん、中世からの遺産である
その荘大な内部を見るために、というより一八一九年に
ジョン・キーツが訪れたときとほとんど同じ機構や華麗
なステンド硝子、側廊の重厚なたたずまいなどを現在も
そこに見ることができるはずの内部を見学するために、
チチェスターへ向かおうとしているのであった。前年の
夏、やはりキーツにゆかりのワイト島(アイル・オブ・
ワイト)へ行くとき、ロンドンからポーツマスまで鉄道
を利用したが、そのときは、ポーツマスの少し手前に当
るチチェスターは素通りだった。ポーツマス港からワイ
ト島へは連絡船の便があり、目と鼻のさきといえた。