城北綺譚
――あるいは、「忘れな草」
中村真一郎
その一
僕は、この半世紀、小説を本業としながら、その他の
文学ジャンル、詩、戯曲、評論、随想、飜訳と、およそ
興味の赴くままに、またその時々の生活の要求に従って、
制作し発表して生きて来た。しかし、必ずしも無計画に、
気紛れの命ずるままに、才能を「バラ銭にして浪費」し
た訳ではない。この心に残る名文句は、僕が中年の頃ま
で、最も推重し、学ぶところの多かった大正作家、佐藤
春夫の晩年における述懐である。この不用意に似た慵斎
先生の言葉は、その頃の僕の胸を射した。
ところで、僕の好みが、今もって必ずしも正当に評価
されていない未完の大作、あの『この三つのもの』の作
者から転じて、荷風、谷崎の両大家に向って変ってきた
経緯については、ここでは語らないが、それは僕が西欧
の前衛作家に伍して、日本の後進的保守的な文学風土の
なかで、生涯の頂上を飾るべきライフ・ワークに取り掛
る前後からであったと思う。いわゆるヨーロッパの「二
十世紀小説」という文学革命を追って、第二次大戦終了
直後に起った、わが「戦後派作家」の群のなかで、精力
の溢れた中年の僕が、少年時代以来、蒐集し来ったすべ
ての資料や感想類をその一作に投入した、分量で申せば
『源氏物語』の二倍もの厖大な連作小説を完成させたの
は、もう二十年の昔になろうとしている。
そうして、青年時代以来の僕の精神を緊縛しつづけた
「文学的使命」から解放されて、自分の好むままに原稿
用紙の上で自由に遊ぶ余裕を獲得したのは、漸く老境を
迎えた近年である。
しかし、僕は或いは、生き過ぎたのかも知れない。戦
後派の戦線で肩を並べて奮戦した、『富士』の作者も、
『生々死々』の小説家も、『死の島』の抒情家も、今や
いずれも幽明、境いを異にして、僕だけが八十歳を迎え
ようとしている。蕭条たる人生の冬である。
僕が少年時の末に、作家として師事していた『風立ち
ぬ』の作家は、青年の僕が佐藤春夫や芥川龍之介のよう
に、文学的興味の異常に拡散しがちなのを警めて、いか
に精神的冒険の手を拡げても、その中心たる根幹を常に
意識して忘れないようにと忠告してくれた。そして、そ
の最良の見本として、ゲーテの「樹木的生長」という観
念を教訓とするようにと、慈愛をこめて諭してくれた。
僕は佐藤さんの「才能バラ銭」説に、一時、動揺しか
けたが、いや、僕の生む、どのような奇異な変種も、一
本の太い幹から様々の方向に伸びた枝々の果実だと、思
い返すことのできたのは、ゲーテという大木を見上げ、
勇気付くことができたお蔭である。
八秩に及ぼうとしている僕のペンは、――断っておく
が、二十世紀も末年を迎えようとしている昨今でも、僕
は少年時代の古風な習慣を墨守していて、自分の空想を
展開するのに、近時流行の機械類は用いることなく、原
稿用紙の枡目を一字ずつ埋める手仕事を続けているが、
――青年期以来の文学的理念というようなものから解放
されて、精神を自由に逍遥させることを自らに慣れさせ
た近年では、その奔放さが行き過ぎて、屡々、話の筋を
縺れさせがちのようである。
さて、僕が曲折を極めた六十年に及ぶ文学的事業を、
時間をかけて振り返る閑暇を得たのは、パリの大学街の
入口の宿舎でだった。そこはかつてジェイムス・ジョイ
スが、最期の冒険作『フィネガンの通夜』のフランス版
を作製したジャコブ街の外れの部屋と、プルーストが、
ゲルマント公爵邸のモデルに選んだといわれる、現在の
フランス最高の官吏養成機関「エナ」の建物とに挿まれ
た、二十世紀前衛の老戦士にとって最適の宿であった。
僕はコレージュ・ド・フランスの講演のために、『宇津
保物語』と『サチュリコン』との比較という、内外の何
人も試みたことのない道楽とも見える講演の主題に空想
を遊ばせながら、近くのN・R・F社や、メルキュール・
ド・フランス社、プロン社などの文学出版社や、聖トマ
ス・アクイナス寺院や、前衛美術の本拠、マーグ画廊の
あたりを、足に任せて歩きながら、終点として、サン・
ジェルマン・デ・プレ教会の広場に面した、かつての実
存主義者たちの溜り場であった、カフェ・ドゥー・マゴ
や、カフェ・ド・フロールに息うのが常だった。
そうして、そのような肉体と精神との散策の途中で、
僕が従来は想像もしなかった「牧歌小説」というジャン
ルに挑戦しようという思い付きに捉えられたのだった。
それは僕には奇想天外のアイディアだった。そうして、
丁度、その時期に枕頭にあったゲーテの『詩と真実』の
冒頭で、彼にとって各種のジャンルの交互に全く無関係
に見える諸々の自作が、作者の魂の深奥においては秘か
に繋がっているという事情を、説得的に解明しようとし
ている個所に出会ったばかりだった。僕は「牧歌」など
という、従来は想像さえもしなかった、僕の精神の眠っ
ていた領域に、突然に明るい光の投ぜられたのに、思わ
ず、古代のギリシア人のように「我、発見せり!」と、
心の裡で叫んだものだった。
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