チクタク日が暮れて
八月十九日 四歳半の次男と、映画「ゴジラ」を観るた
めに、家を午前十一時半に出る。JR高円寺駅まで自転
車で行き、三階建てのてっぺんの駐輪場まで上がる。ぎ
っしりの自転車の中に入れようとすると、三十台ほどが、
間断なく将棋倒しとなった。放っとこうとしたが、「父
ちゃん、これどうする」と子供が言ったので、一台ずつ
起こさなければならず、ひと汗かいた。
新宿に着いてから、割引券を売っている店に行き、千
八百円の券が二百円安くなるだけの一枚を買う。子供は
割引かないという。映画館にたどりつき、四歳ですがと
言ってみると、確かに千円かっきり取られた。上映時間
まで二十分あったので、デパートの周辺を歩いて、缶ジ
ュースを一本買う。妻に、映画館の中で売っている紙コ
ップジュースは、買うべきでないと言われているためだ
が、フライドチキンの店で、ついでにポテトフライも買
う。
映画館に入ると、スクリーンから三列目の前に坐った。
コマーシャルを流している時は、引き起こした椅子にち
ょこんと坐っているだけだったが、「ゴジラ」が始まっ
たとたんに、子供もじっくり観ようとしたのか、深く腰
を沈めた。とたんに、折りたたみの椅子が、子供の尻を
くわえたまま、上に戻った。ジュース缶は引っくり返り、
ポテトはばらまいてしまった。
「ゴジラ」は、いちおう二人とも黙って見つめていたが、
二時間程の映画が終って館内が明るくなると、なにげな
く、「寄ってたかって、なに追いつめやがんだ」と言っ
た。それに対して、四歳の子も「うん」と立ち上らずに
うなずいた。
八月二十日 劇団の事務所で午后一時より会合がある。
下井草にある事務所の前は、西武線の電車がひっきりな
しに通っていく。今迄借りていた事務所は、三十人程の
者が集まるので、常に怪しがられ、どこも二年ぐらいで
追い出されてきた。が、ここばかりは、電車の騒音で、
台本読み合わせの声はめだたず、苦情がこない。
今日は、一時間ほど打ち合わせもしたが、二時から酒
を飲むことにした。
線路側の戸を開けると、風が吹き抜けてクーラーもい
らない。
秋公演の「改訂の巻・秘密の花園」について、思い浮
かぶプランを肴にちびちび飲む。六時からアルバイトに
行く者もいて、ややさびしくなるが、八時頃まで飲んで
いた。家に帰ったのが九時で、倒れるように寝たようだ
が、夜中の二時にふと起きた。
それから一時間も眠れないでゴロゴロしていると、犬
がコンクリートを引っ掻くように苦しくなってきた。大
酒飲むと、夜中にかならず、こうした空白に襲われる。
八月二十一日 昼過ぎに駅前のプールへ二人の子を連れ
て泳ぎに行く。長女で七歳の美仁音と、その下の佐助は、
自転車の前後に乗せると、そうとう重い。善福寺川に沿
って一キロほど走ると、見馴れていた都営の公団住宅は、
半分ほど空地になって、平家のひしゃげた家の代りに、
マンションふうな建物が立っていた。かっては雑草も多
く、虫の声などがにぎやかだったが、新らしい建物の周
囲には、なんの音もない。
プールに着くと、いつもより空いていた。足を洗う溜
り水に入ってから、プールに近付けるのだが、その溜り
水の中で、下の子が小便をしてしまう。
その下の子は浅いプールで遊びたがるが、上の美仁音
は、深いプールで泳ぎたい。下の子を抱いて、深いプー
ルに入ろうとしたが、看視員に、小学生以下の子は入れ
るなと言われた。そこで、下の子を浅いプールに残して、
美仁音に付き、二十五メートルのクロールを見守りなが
ら、水中を横這いに歩く。時々、浅いプールを見やりな
がら付き添うから、時間がかかる。下の子が水に見えな
くなると、クロールをやっている美仁音を止めて、一緒
に上り、浅いプールへ走っていく。すると、看視員に
「走るな」と怒られる。
帰りに雲が湧き、夕立ちとなる。家に帰ったのは四時
で、それから、銀座に出かける仕度をする。
今夜は、今村昌平監督の新作「カンゾー先生」の一般
試写会日である。主な出演者が監督を囲みながら舞台挨
拶をしなければならず、僕もその出演者の中に入ってい
る。
六時に打ち合わせがあって、六時半よりマスコミのイ
ンタビューが始まる。七時より開場で、入ってくる観客
を出迎える。七時半より、舞台挨拶となり、映画は八時
に上映される。去年の七月から九月まで、岡山県でロケ
ーションしたものだが、「うなぎ」以来、再絶好調の監
督の、日本型レジスタンス・野性ロマン・私的思い入れ
熱き二時間十分の大作だ。
坂口安吾の原作を昭和二十四年に読んでから、今村氏
は、それを秘めやかに温めていたらしいが、原作は短い
話なので、脚本は思いきって、ふくらまされている。瀬
戸内海を背景にした実直このうえなき町医者の、終戦直
前に至るヒューマンストーリーである。その医者を支え
るのか、じゃまするのか分らないが、薬チュウの外科医
と酒と女に溺れた破戒坊主が現われる。この坊主が僕の
演じたキャラクターだが、熱い岡山で三ヶ月楽しく演じ
させてもらった。
いつも三人つるんで、時代の共同幻想に対して私的幻
想の極地に遊ぶ。てなふうにはなっていないかもしれな
いが、僕の登場意図は、そのつもりだった。脚本では、
対決すべき相手が、しょせん日本陸軍の、末期症状を映
すハリボテどもしか出てこないので、ここからいかに脱
線するかで、スクリーン上の厚みが変わる。時代の狂気
に対して、日本土人のロマンでは、勝ちめがない。ぢり
ぢりとした瀬戸の熱さの中で、今村組は、その一線に於
て格闘した筈である。
八百人ほどの客の前で、舞台挨拶が始まると、客の顔
が遠くに感じた。舞台が高いせいだろうか、館内の明り
がボンヤリとしているためなのか。司会者に呼び出され
るまで、すこぶる緊張してきた。するとまた、浅いプー
ルに置いてきた下の男の子が気になって、「美仁音、そ
ろそろ上ろう」などとつぶやいたりしてしまった。
八月二十二日 夕方刻をねらって、国立に向かう。JR
の駅で下り、タクシーで大学通りを四キロ走る。国立府
中インターチェンジに入るところに、ホテル〈ル・ピア
ノ〉があり、その手前のコンビニ・ローソン前で停める。
ホテル〈ル・ピアノ〉の構えを見るのは、ほの暗くな
るこの時間が最適だと思っていた。今年の二月二十五日、
自動車部品販売業に関わる三人が、共に自殺したのは、
そのホテルであり、時間は、午后六時と推察されている。
ローソンと反対側に、牛丼屋があり、午后四時にホテ
ルに入る前、三人は、そこで、並四百十円のどんぶりを
食べたという。ホテルの前を横切って、その店の前に立
つと、ガラス壁越しに店内が見えるが、テーブルが二つ
とカウンターの小さなもので、客は誰もいない。また雑
居ビルの一階にある店は、ローソンより見劣りのするも
う一つのコンビニとつながっていて、レジも隣り合って
いた。
入って、テーブルに着いてみた。
誰も注文に来ないので、また立ち上り出かかる。する
と、裏の駐車場から戻ってきた白いゴム長のおばさんと、
向かい合ってしまったので、また席につく。
並を注文すると、金を先ずレジで払えという。そこで
レジの前に立つと、コンビニの売り子が走ってきて金を
受け取る。おばさんも売り子も口数が少なく、伝票もく
れなかった。
奥まったキッチンの前で待つと、丼を差し出され、添
えもののショウガは、自分ですくう。ガラス越しにホテ
ルを見上げて、その牛丼を食べると、肉は硬く、脂らの
匂いがつよい。半分も食べずに箸を置き、水をさがす。
それもセルフサービスで、またキッチンの前に行かなけ
ればならない。
そろそろと、いつ帰ったか分らないように店を出る。
ホテルに向かい、部屋を取るつもりだった。安っぽく豪
華な自動玄関をくぐって、矢印どおりにカウンターに近
付くと、くもり硝子の仕切りがあって、二人の女性の影
がちらつく。一晩泊まりたいと言ったが、相手の首しか
見えない、硝子のすきまから、丁重に断られた。
玄関の自動ドアの前で、そのまま帰るのも惜しく、無
人の待ち合い所に一度坐った。その前にガラスで仕切ら
れた小さなプールがある。泳げるほどのものでないから
池というべきか。ハワイアンブルーの明りの中で、その
うねる水溜りは、眠りを誘うようにゆらめいていた。変
な仕掛けだった。それで女をかき抱きたくなるというの
か。化かされまいと目をこすっていると、一人の若者が、
白いゴム長で玄関から入ってきた。牛丼のどんぶりを片
手で持って、ロビーを横切り、階段を上っていく。どう
やら、出前を取った客がいるようだ。
八月二十三日 ぶどうの葉が気になる。
窓の前に植えたのは、四年前だが、今年の七月には毛
虫が湧き、葉が全滅した。塀に上って、枝を切った時、
素手でやったので、両手首が毛で腫れあがった。それか
ら一ヶ月、新たな葉がまた伸びてきたのだが、実はなら
ない。家の近くに廃屋があり、そこにも野生同然のぶど
うがなっているので、いつも見上げる。そこも毛虫にや
られたらしく、実も落ち葉も穴だらけになっていた。
その下を自転車で走り抜けると、いつもならば、甘酸
っぱい匂いに包まれるのだが、この八月半ば過ぎは、い
がらっぽいものが首にまきついてくる。
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