ロッキー・クルーズ
藤原新也
1
このあたりだな。
モーガンはそうつぶやくと、車のスピードを落としは
じめる。
ラングラー・ジープはゆっくりと路肩に停まる。
スイッチを切ると静寂があり、焼けたボンネットの軋
む音が聞こえる。
フロントガラスのむこうにはフリーウエイが延び、道
はなだらかなスロープを描きながら遠くで空に接してい
る。道の左右には赤色砂岩の平地が広がり、その彼方に
は乾いた山崖が隆起している。稜線にふちどられた山崖
の腹には地層が縞模様を描いており、それは帯状にいく
つもの山塊を綴合している。
助手席のドアーを開け外に踏み出すと、軽い眩暈を覚
えた。
背中にはウレタンの柔らかい感触が張りついたままだ。
走る風景の残像が網膜に刻まれていて、風景はゆっくり
と逆方向に回転している。ボンネットの軋みが鳴りやむ
と静寂は深まり、それと入れ替わるように小さな耳鳴り
が聞こえはじめる。
乾ききった鉱物的静寂の中で、柔らかな身体が頼りな
い。熱い砂の上に置かれたメロンのように、体から激し
い勢いで水気が蒸発していくような気がする。自らの在
り処を確かめるように右の掌で頭骨の曲面を二度三度撫
でまわす。眼の窪みの縁を指でなぞり、中指の爪で前歯
を弾いた。暗い口腔の中で白いエナメル質の音が小さく
響く。喉仏に手をやり、それからゆっくりと左右の鎖骨、
そして胸骨へと掌をすべらす。骨の隙間の奥で脈拍がわ
ずかに波打っている。それに掌を当てたまま、ゆっくり
と空を見上げた。
インディゴブルーの大気の遠くにジェット雲が音もな
くゆっくりと延びている。白銀色の細い条は東の山の稜
線からほぼ直角に突き出て、午前十時の太陽の方に向か
っている。微細な速度でゆっくりと尾を延ばしているそ
の針の先端に、空の染みのような小さな白い斑点がある。
あそこにもう一つの肉体が浮かんでいる。
不思議な感じがした。
見つめていると、針の先のジュラルミンがわずかにロ
ーリングし、一瞬それは太陽の光をはねて小さな閃光を
放つ。
「……ご苦労さんって言ってやりてぇよなぁ」
車から降りたモーガンは仁王立ちになり、乱れた長い
髪の毛をうしろで束ねながら言う。
「やつらはああやって俺たちを見張ってるのさ」
「……見張ってる?」
「レーダーでね。何時間も車をぶっとばしても車一台す
れ違わねぇような、こんなだだっ広い砂漠を走る車のス
ピード違反をめっけようとしてるんだ。そんなことやっ
て一体何の役に立つ。ご苦労なこった。レーダーの網に
かかると、車の走ってる方の街からパトカーがすっ飛ん
でくる。時には何時間もかけてな。そうやって大量のガ
ソリンをせっせとドブに捨てるのさ。たった一匹の砂漠
の小ネズミを捕まえるためにな」
フリーウエイの前方を眺める。
一直線に延びる砂漠の中の白い道に陽炎が立ち、空と
触れ合う遠くの切れ目はゆらゆらと揺れている。一瞬、
その一点にフロントガラスの光を反射させながらパトカ
ーが現れるのではないかという錯覚にとらわれる。
「逃げ道はいくらもある。
車のクルーズコントロールを120キロのちょっと手
前にセットするのさ。レーダーが反応するのは120キ
ロからだとデカが教えてくれた。ヨージの居場所を教え
たときに一緒にあの山の裏まで行った野郎だよ。あのと
き以来、デカの友達がたくさんできて、法の網をくぐる
色んな役に立つことを教えてくれるのさ」
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