東京駅と三色旗 ――辰野金吾・辰野隆(ゆたか)父子
出口裕弘
プロローグ 午餐会のメニュー
一八七九年六月四日の、ある午餐会のメニューをいま
私は眺めている。デザートを入れて全部で十三品、豪華
なメニューだ。“アントレ”のところを抜書きしてみよ
う。
――牛のヒレ肉・ベック風
――鹿の鞍下肉・オリーブ作り
――鶉の紙包み焼き
――仔牛の心髄肉・モングロ作り
――鶏の笹身・トリュフ、シャンピニョン入りソース
アントレというと語感は軽いが、正式には焼肉料理の
前に出る鳥獣肉の揚げもの、煮込み、パテなどの総称だ
から、分類の仕方としてはこれでいいわけだろうし、こ
のあと、野菜の皿を挟んで、ちゃんと“ロティ”つまり
焼肉料理として羊の股肉が供される段取りになっている。
だが、それにしても、いったいどういう人間がこれを全
部たいらげるのだろうと、目をみはらざるをえない。
原文フランス語のこのメニューには、残念ながら酒の
項目がない。そこで大きく時代を飛び越えて、一九○三
年九月二十五日に催されたさる午餐会のメニューを見る。
あいかわらずの豪華版である。
――フォワ・グラのリソル(パイ皮包みにして揚げた
もの)
――牛のヒレ肉・ゴダール風
――ヨークのハム・ゼリー寄せ
……そうした逸品とおぼしき料理名の左横に、それぞ
れの皿に合わせて出された酒の名称が記されている。
――ヘレス
――シャトー・イケム
――シャトー・マルゴー
――シャンベルタン
――シャンパーニュ・クリコ
――コンスタンス
……ヘレスはスペインのシェリー酒、コンスタンス
(英語読みでコンスタンシア)は南アフリカ産の往年の
高級ワインである。あとの四品はいずれも隠れなきフラ
ンスの名酒だ。
フランス語で書かれてはいても、これは二つとも、れ
っきとした日本国での午餐会のメニューである。一八七
九年は明治十二年、この年の六月四日、宮中、吹上御苑
の滝見御茶屋で、ドイツ帝国皇孫ハインリッヒ親王を迎
えての午餐会が催された。冒頭に紹介したのはそのとき
のメニューである。そして二つ目の献立表は、一九○三
年つまり明治三十六年九月二十五日、同じく皇居内の千
種の間で行われた午餐会のものだ。このときの主賓はイ
ギリス領カナダ総督ミントー伯爵の夫人と令嬢二人その
他、となっている。
このへんで種を明かすことにしたい。午餐会のメニュ
ーを眺めているところだと初めに書いたが、むろん私は
実物を所有しているわけではない。『天皇家の饗宴』と
いう本に掲げられた図版を眺めているにすぎない。
かつての天皇家の主厨長、秋山徳蔵氏を偲ぶ会(「秋
偲会」)が編著者となって、昭和五十三年に刊行された
本である。私は久しく存在すら知らずにいたが、先頃、
偶然目にとまって入手した。明治八年五月二十八日、英
国特派全権公使サー・ハリー・S・パークスほか九カ国
の公使を招いての午餐会を皮切りに、昭和十九年八月十
五日、小磯国昭新内閣の閣僚を豊明殿に招待した午餐会
まで、総計百五十回の“天皇家の饗宴”を紹介した大冊
である。すべてメニュー付きだ。
ただしこれは料理の本ではない。残念ながら食通を喜
ばせるようには出来ていない。そのときどきの国内外の
事情が詳しく説き明かされていて、特殊な角度からの明
治、大正、昭和三代史というべきものに仕上がっている。
しかし私にしてみると、さしあたってその三代史が問
題なのではない。天皇家の饗宴が、どうして初めからこ
うまでフランス料理一点張りだったのか、酒といえばフ
ランス産高級葡萄酒がなぜいつも主役だったのか、その
ことにいま、いちばん興味がある。
ヨーロッパ列強の使臣たちをもてなすのに、日本料理
ではいけなかったのか。昭和六年四月、シャム(現在の
タイ)皇帝夫妻が来日したとき、一度は豊明殿で完璧な
フランス料理の宴が張られはしたが、さらにそのあと霞
が関離宮で午餐会が催されたときは、シャム皇帝の希望
でこれまた完璧な日本料理が供されている。超一流のも
のらしく私にはどう読むのかわからぬ料理名が並んでい
るが、
――小鯛蘭虫作り
――二見鴨
――鮎山水焼き
――丁字茄子
などという上等そうな品名を眺めるうち、三十品にあ
まるこのフルコースの日本料理が、青い眼の王侯貴族顕
官たちの口にあわなかったはずがあろうかと、後代の私
たちが考えるのはごく自然なことだ。なぜ最初から伝統
料理でもてなそうとしなかったのか。
それこそが文明開化だったからである。さしあたり“
食”の問題に限るとして、この方面の文明開化がどんな
に凄まじかったかを示すいい例がある。明治六年十一月、
肉食の大流行につれて牛の密殺が横行し、政府は“屠牛
規則”を定めて出所不明の牛肉の売買を禁じたというの
である。かくては、鮎の山水焼きを西洋の貴顕たちに賞
味させようなどと考える人間が、ひとりとしていなくな
っても不思議とするには当たらない。
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