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一番寒い場所
車谷長吉

 頃日、仙台の野家啓一氏(東北大学哲学教授)の家へ
電話をすると、野家氏は学校へ行かれた直後で、嫁はん
の裕子さんが出て言われるには、野家氏は先頃大学の評
議委員に選ばれて忙しい上に、前々から仕掛りの「岩波
講座・現代思想」全十六巻の方の原稿の督促も厳しく、
併しこれは自分の担当原稿を書くだけでなく、この講座
の監修者でもあるから、ほかの人が書いた原稿にも全部
目を通して赤を入れねばならず、しみじみ疲れたと言う
て、神経性の下痢が数ヶ月も止まらないと言う。もう原
稿を書くのは厭だと言うています、とのことで、主人が
こんなこと言い出したのは、結婚以来二十数年、はじめ
てのことなんです、と裕子さんは心配そうだった。のみ
ならず、それほど多忙を極めているにも拘らず、つい先
達ても河北新報文化部の人が来て曰く、読書欄の書評委
員を引き受けてもらえないか、とのこと。ところが、野
家氏は厭だと言うて断われないたちの人なので、それも
引き受けてしまったとか。
 私にも身に覚えのあることだが、編輯者の原稿の催促
は、恰かも債鬼の借金の取り立てにも似て、情け容赦の
ないものである。自分の都合だけを考えているから、そ
ういうことが平気で出来るのだが、一つ終ればまた次ぎ
と、こちらの生命のリズムのことなど一顧だにせず、次
ぎ次ぎと「次ぎの原稿」を求めて来る。こちらの生命の
井戸の水が涸れるまで、徹底的に汲み尽くそうという腹
だ。
 現に私も野家氏と同じように、いま各方面の多くの編
輯者から原稿の催促を受けている。ために、去年の夏の
直木賞受賞以来、神経性の胃潰瘍に苦しめられ、隔週、
浦和の精神病院で精神安定剤、抗鬱剤、胃潰瘍の薬をも
らって服用しているものの、胃痛は治まらず、毎日、不
機嫌な怒りに囚われている。編輯者という債鬼は、こち
らの心の中の「一番寒い場所」を無神経につついて来る
のである。はじめは、お願いという形を取って菓子折り
や酒を持って来るのであるが、その菓子を喰うてしまい、
酒を呑んでしまうと、こちらとしては義理(又は、お義
理)が出来、するうちお願いが要求になり、やがてそれ
は強要、脅迫、恫喝という色をおびて来て、呶鳴られ、
すかされ、毆られ、宥められ、やいのやいの、果ては盲
滅法、遮二無二、書かされる破目に陥るのである。
 が、心を沈めて冷静に考えて見れば、原稿というのは
自分の魂のリズムであるから、自然体で書きたい時に書
きたいものを書くのが一番よく、強要されればされるほ
ど、厭気が差してしまうのである。原稿が書ける時は、
恰かも心の井戸から言葉の清水が湧き出るがごとく、次
ぎ次ぎに溢れ出て来る。抑えようとしても、抑え切れず、
滾々と出て来る。併し書けない時は、人からどう言われ
ようと、どう頭をこねくり廻そうと、駄目なものは駄目
である。そういう時は、また言葉が自然に沸騰してくる
のをじっと待つしかない。が、編輯者のがさつさは、そ
ういうことにはお構いなしである。
 誰の心の中にも「一番寒い場所」というものがある。
心にこれをやらなければいけないと思い決しながら、と
もすればそれが実行できない部分である。行動できない
部分である。文士は原稿を書くことによって、精神世界
を行動するのである。そもそも私が二十五歳の時、原稿
を書きはじめたのは、別壇、職業作家になりたいと思う
たからではなかった。書くことのはじまりを言えば、私
は「私が私であることの不快」に迷うて書きはじめたの
である。従って「売り原稿」を書きたいがために、文章
を書きはじめたわけではなく、言うなれば自己の「魂の
記録」を書きたい、いや、書かないではいられない、内
部の衝迫に押されて書き出したのである。
 併し文学には本質的に反社会性がふくまれており、書
くのは疚しいことであった。己れの振る舞いに何か不信
に似たものを絶えず感じ続けて来た。書かなければ、と
思い決しながら、ともすれば行動できないのは、この疚
しさあるがゆえである。併し同じ文学に携わっていても、
商売で文学をやっている編輯者には、自己の振る舞いに
対して疚しさがない。だから、平気で人に書くことを要
求できるのである。この裂け目が絶えず私の沈鬱な精神
過程を咬んでいる。気が滅入るのである。つまり、私の
書きたいのは自己の精神史としての私小説であった。F・
カフカ。宮澤賢治。あるいは、萬葉集の詩人たち。この
人達は文学を商売にしなかった。私はいま、くり返しそ
れを思うのである。