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瑠璃色の石
津村節子
  1

 唐草模様が透かしになっている風格のある鉄の門をく
ぐると、道の両側に桜並木が続いている。
 あれは二月のとりわけ寒い日で、頭上に差しのべられ
ている枝々は、蕾も固くかじかんだままであった。それ
がいま一せいに開花して、淡紅色の薄絹を掛け広げたよ
うに空を覆っている。
 桜は匂いが乏しいと思っていたが、立ち停って目を閉
じ、深々と息を吸い込むと、肺の奥まで芳香が満ちてく
るような気がした。私は、これから自分の前に開ける世
界への期待で、小さく身ぶるいした。
 私の傍らを、新入生たちが活溌な足どりで通り過ぎて
行く。高等学校を卒業したばかりの、自分よりも五つも
年下の少女たちである。
 一様に、紺やグレーのスーツに、清潔な白いブラウス
の衿をのぞかせ、髪もまだパーマネントウェーヴをかけ
たばかりの固い感じで、中にはストレートな髪を横わけ
しただけの者もいる。
 桜の下に立ち停っている私に気をとめる風もなく、み
な急ぎ足で入学式の行われる講堂の方へ歩いて行く。私
は、校門を振り返り、初めてその門をくぐった二カ月前
の日のことを思い浮べた。
 昭和二十年三月に、私は戦力増強のため戦時特例によ
って五年制の高等女学校を四年修了で繰上げ卒業になっ
たのだが、昭和二十五年に学習院に短期大学部が創立さ
れたことを知り、はずむ思いで受験を志した。一年間、
洋裁の仕事のかたわら受験勉強をしたが、旧制高等女学
校卒業では受験の資格はない。高等学校卒業の認定試験
はどこで受けることが出来るのか、と学習院に問い合わ
せたところ、当校でして上げましょう、という返事であ
った。
 受験会場は、学習院女子中等科、高等科、短期大学部
の置かれている新宿区戸山町で、門衛のいる校門をくぐ
って行くと、校舎はもと近衛騎兵聯隊の兵舎であったと
いう赤煉瓦の建物だった。
 四谷にあった華族女学校校舎が手狭まになり、明治二
十二年に永田町へ新築移転したのだが、火災によって焼
失したため青山に女子学習院が創立された。しかし、こ
れも戦災を受け、目白の徳川義親邸の一部を借用し、つ
いで音羽の護国寺の月光殿で仮授業を行っていたが、漸
く敗戦の翌年に現在の戸山に移ったのである。
 そうした事情を知らぬ私は、あまりに殺伐とした校舎
に驚いた。受験場と教えられた教室にはいって待ってい
たが、時刻になっても誰一人現われない。部屋を間違え
たのではない証拠に、粗末な薪ストーヴがその部屋だけ
に焚かれていた。
 やがて、答案用紙を持った男性がはいってきて、私の
前に置いた。その時認定試験を受けるのは、私一人だと
いうことがわかったのだった。