立ち読み:新潮 2019年2月号

チェロ湖/いしいしんじ

1 まっすぐな釣り針

 夏の夜明けが終わる。
 あいまいなすみれ色の空気の上に、東の山の端を越えて落ちてきた朝の光が、一瞬のうちに、垂らした絵の具のように湖面いっぱいにひろがる。岩間や茂みの下で、小さな薄闇たちが丸まって、最後の吐息をもらしている。
 東風はとうにやんでいる。平らに凪いだ湖の、ぜんたいが息を吸い、息を吐く。水の上に、音符のように跳ねる魚。音に反応し、オクターブ急降下して潜る魚。空気を刈り取るような声でヨシキリが啼く。鳥たちの声がつぎつぎにあがり、ふるえる銀の雲みたいに凝集し、ヨシ原上空を渡っていったかとおもうと、湖水の上でぱっと散る。無重力の静けさがただよう。
 湖にそそぎこむ浅い川から、さらに枝分かれした、ささやかな流れ。風もないのにヨシが揺れている。カヤネズミが身をひそめ、ノビタキが飛びたつ。
 三メートル高のヨシ原の上を、長大なタクトが一本、ななめ上方をむいて、かすかに揺れながら水平に移動してゆく。脇に流れるせせらぎの調子をとるように、ふわり、ふわり、レガートの振りで。朝の陽光が照りつけるヨシ原はホルンの表面のようになめらかな黄金色だ。
 タクトがヨシ原から離れる。五メートルほどの長さの、象牙色の渓流竿を、若い男の左手がまっすぐに支えている。波を立てず、きらめく陽光の上を歩く。裸足で、西洋の預言者のように水面に立っている。せせらぎがあまりに透きとおっているので、そのように見える。
 川底では砂地がうねり、大小の石がリズミカルに散らばっている。反射する陽ざしのせいでよくはみえない。つば広の麦わら帽をかぶってはいるが、若い男は偏光サングラスをかけていない。たちどまり、しばらくの間ずっと、動かずにいる。聞き耳をたてるかのように、軽くまぶたをとじて。二十代にはいったばかり、あるいは、ものごとを知りすぎた十代のような面差し。
 息を吸い、息を吐く。イソシギが啼く。竿を脇にはさむと、腰ベルトに引っかけたポーチに右手指を入れて、白いペースト状のコマセを練る。左指にぶらさげたらせんにまぶし、やわらかく握る。幹糸から広がる枝針が四本きらめいている。左手で竿を持ちなおし、右手指でナイロン糸をつまむ。またしばらく、じっと動かずにいる。澄みわたる青い光。せせらぎの静寂。
 イソシギが啼く。
 男は右手指の糸を離し、上空に大きく弧を描くように渓流竿をゆったりと振る。音がしなる。上流の、糸が届くかぎりの川面に重りが落ち、光の乱反射する水中へ、枝針とらせんを引きずりこむ。オレンジ色の浮子が流れを受けて川面を滑りだす。
 若い男はまた目を細め、竿を握りなおす。糸の先にあふれかえる音が、指の先へ伝わる。目でみるよりよほど水中はにぎやかだ。重りが引きずられ、石に当たる。何十もの口吻がらせんをつっつきまわす。川自体もうたっている。朝のぬるみ、水の甘さ、山から湖へ、うねりながら渡っていく旅のたのしみを。
 浮子が跳ね、沈みこむ。そのタイミングより早く男の指は生命のふるえに触れる。慌てず、いったん息を半テンポ、むこうに押し出すようにしてから、竿の先を、静寂を求めて立てる一本指のように、滑らかに手前にもたげる。しずくを飛ばしながら、銀色の生命が四つ、閃きながら手もとへ寄ってくる。竿は脇にはさみ、両手ですばやく針をはずし、足もとへ沈めた魚籠の暗い水へ落とす。
 釣れはじめると間はおかない。魚たちの食いついてくるテンポに合わせ、激しく竿を振りこむ。コマセももう不要だ。糸の着水した三秒後、枝針のすべてがいちどきにふるえ、竿を立てれば四尾の小魚がいっせいにあがってくる。
 半時間で百尾、一時間と少しで二百尾。
 湖のコアユは、子アユ、すなわち子どものアユではない。小アユ、つまり、そのサイズまでしか大きくなれない、小さなアユたちのことだ。
 三日前、大雨が降った。水かさのあがった湖から、逆流する銀の滝のように、コアユたちは堰を越え、川をさかのぼってくる。

 湖は、鳥の目で上空からみおろせば、楽器に似たかたちをしている。
 弦楽器。ネックを持ち、ペグのついたヘッドを下に、ボディを真上に振りかざす。逆立ちした、琵琶。ギター。チェロ。ウッドベース。
 古来、ゆたかにふくらむ広大なボディ部分は「北湖」、地勢の凝集したヘッド部分は「南湖」と呼び習わされてきた。もともとはもっと南の、山脈がそびえたつ向こうに位置していた。五百万年をかけ、繊毛におおわれた単細胞生物のようにのたくり、東西南北に移動しつつ、西の海に注ぎこむ川や、汽水湖、沼沢群と、地勢をさまざまに変えながら延命をつづけ、そうしておよそ四十万年前、現在の場所に落ちついた。いまのかたちもどうなるか、これからのことは誰にもわからない。
 ひとの住み暮らしていたあとが、二十万年前の地層から見つかっている。発掘された大腿骨、頭部の破片などから、当時、この一帯に住んでいた原人たちの体格が、他の大陸にくらべ、格段に大きかったことがわかっている。身長が平均で二メートル以上、最大で三メートル近くあった。成人の体重は、男女とも優に百五十キロあった。
 湖で獲れた魚貝の、滋養のせいではないか、といわれている。集落のそばの貝塚で大量にみつかったシジミの殻は、長径が六十センチほどもあって、原人たちはこれを、赤子のためのゆりかごとして利用したかもしれない。巨大な原人たちは、簡便な網やヤスで、三メートル超のコイやナマズをすなどった。見あげる高さのゾウ、水辺で眠るワニたちに対峙し、ときにこれらを食した。貝塚のそばで、クジラやアシカ類の骨も見つかっている。
 農耕がはじまった頃の人骨は発掘されていない。原人たちの骨格がいつ、どのように縮小したのかは諸説あり、いまだ結論はでていない。木片に字を書き残す文明の時代、墳墓から見つかった骨格によれば、その頃にはもう、ヒトの体格は、シジミやコイらの魚貝と同じく、現代と変わらないほどになっていた。加えて湖を渡る船のかたち、構造も、千年前といまとでさほど変化はない。魚たちをとらえる、漁のしかたもである。

 五百尾をこすと、若い男は釣りをやめる。時計を見る。午前の七時。魚籠を束ね、釣り竿を立てたまま、ふたたびヨシ原を踏み分けていく。小動物たちは、早くも夏の陽ざしを逃れ、泥や巣穴の奥にもぐっている。
 原を抜けた岸辺は陽光で真っ白い。岩の上に、濡れた長靴の跡を残しながら、氷を入れたクーラーボックスにコアユたちを流しこむ。縮めた渓流竿ふくめ、釣り道具はすべて、防水加工されたナップザックに収める。
 岸辺に近づく。岩をつかみ、泥土に長靴のつま先をかけ、三メートルほどの斜面をあがると目の前に、青稲をたたえた夏の水田がひろがっている。コアユの釣り場のせせらぎは、実は田んぼと水路でつながっている。フナやナマズたちは初夏、身をのたくらせて田んぼにはいり、稲の根元に産卵する。付近のこどもたちは腰まで田んぼにつかり、素手でつかんだ魚をさしあげては、大きく切り分けたスイカのように笑う。昔から、オカズトリ、と呼ばれている。
 田んぼのあぜ道を抜け、湖岸をぐるりと一周する「浜道」を渡ると、広大な北湖の西岸に出る。コンクリートの岸壁から、湖水に伸び渡した古い桟橋に、優美に長細い、マキの木製の小舟が泊まっている。
 支柱にもやったロープをほどき、桟橋から飛び移る。舟のまんなかにクーラーボックスを置き、麦わら帽の紐を顎の下で結わえる。舟は喫水が浅く、ほとんど揺れない。艫の内側に引きあげてあった2馬力エンジンを向こうへ押したおし、スクリューを水面下に浸してから、スターターのロープを思い切り引っぱる。
 ととととと。ピンポン球を打ちあわせるような乾いた音をたて、エンジンがまわりだす。クラッチをつなぎ、後ろ手に握りしめたハンドルバーの先の、ゴムのグリップに覆われたアクセルレバーをまわす。エンジン音のピッチがわずかにあがり、船体は桟橋を離れる。バーで舵を切ると、刃物をすべらせるように細く湖面を裂いて、小舟は南へ、西岸を右手に見ながら進みだす。

(続きは本誌でお楽しみください。)