立ち読み:新潮 2019年2月号

「ポスト」をめぐって――「後期印象派」から「ポスト・トゥルース」まで/蓮實重彦

始まりをめぐる曖昧さについて

 初めにひとことお断りをさせていただきますが、わたくしは、文系のスピーチにあたっての「パワーポイント」による資料の投影にはきわめて懐疑的な人間であります。あれは、その瞬間に聴衆をふとわかったような気持ちにさせはするものの、じつは見るはしから忘れさせてしまいもする邪悪な装置だということを、体験的に知っているからであります。それより、紙の資料の配布の方が、記憶に残るという点では遥かに有効だと確信しております。とはいえ、酷暑のせいでといういいのがれが有効に機能するとも思えませんが、紙の資料を準備する時間的な余裕はありませんでした。したがいまして、今日はわたくし自身の声のみで勝負させていただきますので、よろしくご理解たまわればと思っております。
 それでは、『「ポスト」をめぐって』という題名でごく曖昧に予告されていた講演を、『「後期印象派」から「ポスト・トゥルース」まで』という副題を提起することで、始めさせていただきます。その副題によって、これが官職などの「地位」にあたる「ポスト」ではなく、ある事態の「のち」という時間的な前後関係に関するものであることをご理解いただけると思います。「後期印象派」という美術用語は、フランス語では《Post-impressionnisme》となりますから、それが講演の題名にふさわしいものであることも、すぐさまご理解いただけると思います。
 とはいえ、そこにはたちどころに複数の問題が浮上して、事態の曖昧化を加速させずにはおきません。そもそも、「ポスト」について語ることが、新たな「ヒューマニティーズセンター」の発足を祝福するにふさわしいかどうかは、まったく明らかにされていないからであります。また、国際的にも国内的にも多少は知られている蓮實重彦という固有名詞の持ち主によってその祝福の主体が担われるという事態が、このセンターの未来にとって有意義なことであるか否かも、詳らかにされてはおりません。なぜ、「ポスト」なのか、なぜ、蓮實なのか。必ずしも明瞭な輪郭におさまっているとはいいがたい「ヒューマニティーズ」なるものと、その二重の疑問とがどのようにからみあうのかという点も、いたって不分明のままであります。
「ヒューマニティーズ」については、この祭典の主催者がその命名の責任をとられるべきものでありますから、講演者たるわたくしにはいかなる責任もありませんが、にもかかわらず、それについてはのちほど簡単に触れさせていただくつもりでおります。また、講演者の選択も主催者によるものであります。しかし、石井副学長なり齋藤機構長なりが、八十二歳にもなるこの後期高齢者をそれにふさわしい人物だと判断された理由は、まったく推測できぬでもありません。あの図体が大柄な男なら、例外的な酷暑の季節であろうと、みだりに熱中症で倒れてみせたりはしまい肉体的な健壮さだけは持ちあわせているはずだと確信された、あるいはそう盲信されたのでありましょう。
 その鄭重なご依頼に対して、わたくしは、『「ポスト」をめぐって』というお話ならできるかもしれないと確かにお答えはしております。しかし、石井、齋藤両氏とごく最近お目にかかったとき、わたくしはちょうど東大病院に入院しようとしておりましたので、ことによると、お二人はしまったと舌打ちされたのかもしれません。だが、さいわいにも、さる名医によって、数年前からわたくしのさる臓器に棲みついていた十二個ものポリープはごくあっさりと除去されてしまったので、三日目には無事退院することができました。数日後、そのポリープが悪性のものではなかったとのご報告を受けて以後、愚かとしかいいようのないこの異常な天候にもかかわらず、ごく平静な日常生活を取りもどし、こうして、いま、複数の匿名の視線に曝されることになったのであります。
 わたくしは、これまで、こうした公式の空間で、あるいはごく私的な文筆の瞬間においても、わたくし自身についてあれこれ語ることは意図的に避けてまいりました。しかし、ここでは、蓮實重彦という存在が、国際的にもある程度の評価を受けている人間だということを、ごく客観的にお話しておくことがよかろうと判断いたしました。今日、こうして皆様方の視線を受け止めている男が、いかがわしい詐欺師のような者ではないということを、ごく率直に告白しておくのがよかろうと判断したからであります。すでに八十歳をすぎた老人だから、何をしても許されようという自堕落な思いからではなく、今日のこの式典で、何ごとかを語る確かな資格の持ち主だとまではいわぬにせよ、それなりにふさわしかろう人物でもあることを皆様にご理解いただくのが、せめてもの礼儀というものだろうと判断したからであります。
 わたくしは、書かれたものだけから判断されると、年上の作家や批評家をもあっさり罵倒しかねない傍若無人な男とも思われておりますし、三島賞受賞の記者会見で、テレビという醜悪な装置の画像でお目に触れたかもしれない野蛮で凶暴な振る舞いなどもしばしば披露しております。しかし、それはあくまで「作家」や「批評家」としてのあざとい演技にすぎず、ここでは、東京大学名誉教授の称号にふさわしい「研究者」として振る舞うだけのアカデミックな社交性は見失っておりませんから、どうかご安心下さい。このわたくしは、しかるべき場にたてば、礼節をわきまえた慇懃な紳士でさえあるといえる個体なのであります。
 ただ、蓮實重彦について流通している社会的なイメージがいかなるものかをみずから確かめるべく、数日前の深夜すぎに、これまではまずやったことのないいわゆる「エゴサーチ」なるものにふと手を染めてしまいました。その結果は惨憺たるものでありました。さすがに2ちゃんねるやツイッターは避けておきましたが、日英仏独の四カ国版が存在するWikipediaなるものの粗雑さにはいい加減うんざりするしかありませんでした。また、わたくし自身の年譜や業績を網羅したかなり信用のできそうな日本語のサイト「蓮實庵」(http://okatae.fan.coocan.jp)なるものにも遭遇したのですが、そこでは、海外におけるわたくし自身の仕事ぶりについてはほとんど触れられておりません。わたくしとは縁もゆかりもない未知の存在であろうそのサイトの管理人の方は、ことによると、こうした場所に出没しておられる可能性も大いにあろうかと推察されるのですが、あえて非礼をかえりみずに申してしまえば、その方にとって、蓮實重彦の海外での業績などあってなきものに等しいという姿勢が透けて見えてしまいました。わたくしの著作の韓国語への翻訳については一部で触れておられますが、いわゆる横文字の学術論文やエッセイについてはほとんど無視しておられる。ところが、蓮實重彦という存在は、ついせんだって、オーストラリア系の英語のサイトマガジン『ローラ』《Lola》(http://www.lolajournal.com)が、その生誕八十歳を祝福して特集号を刊行してくれるほどには、国際的にそれなりの敬意を受けとめている老人なのであります。そうした文献を考慮せずに蓮實重彦についての年譜を構成することが、どうして可能でありましょうか。
 フランス文学、とりわけギュスターヴ・フローベールという19世紀のフランスの作家について見れば、ついせんだって、海外から驚くべき提案を受けてすっかり考えこんでしまいました。2021年、すなわちフローベールの生誕二百周年にあたるいまから三年後に、彼の生まれ故郷であるフランス北西部のノルマンディー地方で盛大な記念行事が行われるので、その開催にしかるべく名前をつらねてほしいというメールを、ごく親しいフランスの友人から受けとったのです。2021年といえば、あの愚かな東京オリンピックもすでに終わり、日本経済はかつてない不況のまっただ中であえいでおりましょう。そんなとき、八十五歳にもなっているこの後期高齢者がのこのことノルマンディ詣でをするとはいかにも考えにくい。そもそも、当人が生きているかどうかさえ、確かではないのですから。

(続きは本誌でお楽しみください。)