#01
1916(大正5)年12月9日。
夏目漱石、永眠。
#02
作家デビューは、
38歳のとき。
#03
「漱石」とは、
「負け惜しみが強い頑固者」
という意味。
#04 本名は、金之助。
#05
ひと月に4kgの
ジャムを舐めた。
#06
執筆にゆきづまると
鼻毛を抜いて
原稿用紙に並べた。
#07
漱石のデスマスクは
朝日新聞社
大阪本社にある。
#08
最期のことばは、
「何か喰いたい」
#09
葬式の受付係は、
芥川龍之介だった。
#10
デビュー作は、
『吾輩は猫である』。
#11
東京都新宿区喜久井町、早稲田駅近く、
夏目漱石生家の前の通りの坂は
「夏目坂」と命名されている。
実はこの坂、漱石の誕生前から既に
その名で呼ばれていた。
#12
日本でいちばん
売れている文庫本は、
新潮文庫『こころ』。
#13
身長159センチ、
体重53キロ。(23歳時)
#14
「ロマン」に、
「浪漫」と字を当てた
はじめての人。
#15
日本で初めて
「印税契約」をした作家。
#16
『こころ』は、
自費出版だった。
#17
夕食には牛すき焼きを
欠かさなかった。
#18
夏目家に伝わる
「糠みそ」から日本最古の
乳酸菌が見つかった。
#19
おしるこを飲み過ぎて、
盲腸になった。
#20
お墓は東京池袋、
雑司ヶ谷霊園にある。
#21
天然痘の跡を気にしたのか
左側から撮った写真が多い。
#22 お酒が飲めなかった。
#23 朝食は、いつもトースト。
#24
落語好き。最後に聴いた噺は
三代目柳家小さんの
「うどんや」。
#25
新潮文庫の漱石作品
売上げTOP3は、
『こころ』『坊っちゃん』『三四郎』。
#26
貴族院書記官長の娘
「鏡子」とお見合いし、
29歳で結婚。
#27
樋口一葉と夏目家に
縁談話があった。
#28
ロンドン留学中、妻に
「頻りに御前が恋しい」
と手紙を書いた。
#29
門下生への手紙に
「女程いやなものはなし」
と書いた。
#30
飼い猫は、
「ねこ」と呼んでいた。
#31
飼い犬の名は、
「ヘクトー」だった。
#32
東京帝国大学の講師時代、
年俸は800円。
(当時は米10kgが1円29銭)
#33
『吾輩は猫である』の
タイトル候補は、『猫伝』。
#34
自宅の裏庭にアイス製造機
を所有していた。
#35
朝9時から最後の取組まで
観戦するほどの相撲好き。
#36 正岡子規が、大親友。
#37 一生を借家で過ごした。
#38
豚汁の中にあんこを入れた
親友と絶交した。
#39
8人兄弟の末っ子。
産まれてすぐ
里子に出された。
#40
『こころ』とは別に、
「心」という掌編がある。
#41
『硝子戸の中』は、
「がらすどのうち」と読む。
#42
芥川龍之介の「鼻」を激賞。
作家デビューの
きっかけを作った。
#43
病床の正岡子規のために
手紙でロンドンの様子を
伝えた。
#44
落花生を砂糖でかためた
菓子が大好物。
#45 生涯に17回引っ越しした。
#46
ロンドン留学中、
自転車の練習に明け暮れた。
#47
新潮文庫の
夏目漱石作品は、
全部で17冊ある。
#48
江戸時代(慶応3年)
生まれである。
#49
作家としての
活動期間は、
わずか12年だった。
#50
妻と自分の身体を
ひもで結んで寝た。
#51
飼い猫が死んだとき、
墓標に「猫の墓」と書いた。
#52 手紙は燃やして処分する派。
#53
絶大な人気を誇る
小泉八雲の後任として、
東大で英文学を教えた。
#54
44歳で、
痔の手術を受ける。
#55 2男5女のビッグダディ。
#56
戒名は、
「文献院古道漱石居士」。
#57
百閒、寅彦、和辻、芥川等
多くの俊英が週に一度
漱石を囲んで議論した。
この集まりを「木曜会」という。
#58
総理大臣(西園寺公望)
からの宴会の誘いを
断った。
#59
国から文学博士号を
授与されたが蹴った。
#60 2月21日は夏目漱石の日。
#61
松山中学の教師時代、
2年間で教科書3章しか
進まなかった。
#62
ロンドンに派遣されたのは、
「英語授業法」調査のため。
#63
ホルマリン漬けの脳が、
東大医学部に
保存されている。
#64
1867(慶応3)年2月9日。
夏目漱石、誕生。