新潮社

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2』ブレイディみかこ
発売日:2021/09/16 
四六判変型 1,430円(税込)

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2』ブレイディみかこ

試し読み公開中!

いろいろあって当たり前。
ライフってそんなもんでしょ。

13歳になった「ぼく」の日常は、今日も騒がしい。フリーランスで働くための「ビジネス」の授業。摂食障害やドラッグについて発表する国語のテスト。男性でも女性でもない「ノンバイナリー」の教員たち。自分の歌声で人種の垣根を超えた“ソウル・クイーン”。母ちゃんの国で出会った太陽みたいな笑顔。そして大好きなじいちゃんからの手紙。心を動かされる出来事を経験するたび、「ぼく」は大人への階段をひとつひとつ昇っていく。そして、親離れの季節が――。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2

目次  試し読み】

  1. うしろめたさのリサイクル学 
  2. A Change is Gonna Come ―変化はやってくる― 
  3. ノンバイナリーって何のこと?
  4. 授けられ、委ねられたもの
  5. ここだけじゃない世界
  6. 再び、母ちゃんの国にて
  1. グッド・ラックの季節
  2. 君たちは社会を信じられるか
  3. 「大選挙」の冬がやってきた
  4. ゆくディケイド、くるディケイド
  5. ネバーエンディング・ストーリー
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1 うしろめたさのリサイクル学

 別に「こんまり」ブームに乗ったというわけでもないのだが、わが家にも一度買ったものは捨てられないタイプの人間(配偶者)がいるので、壮大なクリアアウト(不用品の一掃)をはじめることになった。
 わが家の場合、「DIYをするする詐欺の常習犯」である配偶者が、日曜大工用品店がバーゲンをやっているときにバスタブだのフロアリングの床だのドアだのを買って来ては何十年も放置するという癖がある。だから、車庫や狭い家の一部がそうしたもので埋まっていて生活スペースを著しく侵食しているという深刻な問題を抱えていた。よって片づけと言っても、「こんまり」シリーズに出てくる人たちのように黒いごみ袋に収まる程度のスケールではない。
 建設機器レンタル会社からスキップを借りた。スキップというのは、廃棄物入れのコンテナのことである。英国では家を建て替えるときとか改装するときとかに、鉄でできた大きな箱状のコンテナに工事で出た廃棄物を入れて、クレーンで持ち上げてトラックで運び去る。うちは改築するわけでも工事が入るわけでもないのだが、片づけにこれが必要になったのだった。
 トラックで大型コンテナが運び込まれると、それだけで家の前庭が埋まってしまった。が、配偶者は物を捨てるのが何よりも苦手な人間なので、「もったいない」、「いつか本気でDIYをするときに」とかぐずぐずしている。従って大きなコンテナも底のほうの20%ぐらいに廃棄物が溜まっている段階で止まってしまった。
 と、そんなある日のことである。
 休日の朝6時頃、2階の部屋で寝ていると、家の前で、ゴトン、ガタタン、と大きな物音がした。うちの前にスキップがあったことを思い出し、わたしはベッドから飛び起きた。反射的に誰かがごみを入れに来たと思ったのである。家の前にスキップを置いておくと、どさくさに紛れて近所の人が粗大ごみを入れるというのはよく聞く話だからだ。配偶者がちっとも物を入れないから、これ幸いと誰かが活用しに来たのだろう。
 廊下に出ると息子も部屋から出て来ていた。2人で窓から外を見ると、すでに配偶者がバスローブにスリッパ履きで前庭に出て、スキップの脇に立っている長身の男性に何か言っている。男性は、アングロサクソン系ではなかった。少し離れたところに白いバンが止まっていて、その横に立っている女性は、地面につくような長いスカートをはき、頭にネッカチーフのようなものを巻いている。
 いきなり配偶者がすごい勢いで家の中に入って来るのが見えた。スキップの脇に立っていた男性がその後を追うようにこちらに来て、玄関の前に立っている。きっと配偶者に怒鳴りつけられ、リヴェンジしようとしているのに違いない。玄関の脇に積み上げられた煉瓦れんが(これもDIYするする詐欺の産物だ)の一つでも手に取って窓ガラスに投げられたりしたらどうしよう。と思っていると配偶者が再びドアを開けて外に出て来た。が、なぜか両腕に息子が数年前まで乗っていた自転車を抱えている。
 それを受け取った男性は白いバンのほうにスタスタ歩いて行った。バンから男性がもう1人降りてきて、車の後部のドアを開けて自転車を中に積み込んでいる。配偶者が家に入って来て玄関の扉を閉める音がした。
 わたしと息子は急いで1階に降りて行った。
「鉄くずを集めてる移民だった。ほとんど英語はわからない。自転車も渡しといたよ。ほかにもまだ捨てるものが出てくるから、定期的に見に来いって言ったら、『エヴリデイ、エヴリデイ』って言ってたから、また来ると思う」
「ということは、あの人たち、スキップにごみを入れに来たんじゃなくて、中の物を取って行こうとしていたの?」
 眠そうな目をして息子が言った。
「ああ、鉄がついている粗大ごみを探していたんだ」
「でも、鉄のごみなんて持ってってどうするの?」
「スクラップのメタルを引き取るところがあるから、そこに売るんだよ」
「お金になるの?」
「いや、こないだ車のバッテリーを5つ持って行ったら、30ポンドだった。持って行く労力とガソリン代を考えると、ほとんど無駄と言ってもいい」
「なんで車のバッテリーを5つも持ってたの」
 今度はわたしが聞くと配偶者は言った。
「いや交換とかするたびに自然に車庫に溜まっていって……」
 そりゃ物も増えていくはずだと呆れたが、走り去る白いバンを窓から見ていると、これはどこかで見たようなシーンだなと思った。そして、ああ、『ベネフィッツ・ストリート』だと気づいた。
 2014年にチャンネル4が放送したその番組は、住人のほとんどが生活保護受給者という実在のストリートで密着取材したドキュメンタリーだった。放送当時、「貧困ポルノ」と呼ばれたり、いわゆるチャヴ層をステレオタイプとして描いて悪魔化する保守派のプロパガンダと批判されたが、第2回はルーマニアからの移民の家族を描いたものだった。彼らは英国に来たばかりで、粗末な家に大家族で住み、白いバンで近隣を回って鉄くずを集めて売る仕事で生計を立てていた。
「まるで『ベネフィッツ・ストリート』のルーマニア人家族みたいだね。たくさん鉄のスクラップを集めても買い取り先に買いたたかれて、すごい生活が苦しい家族の話だったよね……」
 と言うと、配偶者がハッとしたようにわたしのほうを見た。
 あの番組では、舗道に捨ててある粗大ごみを持って帰るルーマニア移民の家族に、ベネフィッツ・ストリートの貧しい人々がひどい言葉を浴びせたり、彼らの作業を妨害するシーンがあった。自分たちがいらないから捨てているごみを取って行こうとしている人たちにどうしてそんなに腹が立つのか、彼らへの憎悪をむき出しにしていた。
「俺が家から出て来たとき、きっと文句を言われると思ったんだろうな」
「いろんなところで言われてるかもしれないからね。それに、そんなスリッパ履きでいきなり出て来られたら……」
「あの人が家の前に立ってたとき、うちに攻撃して来るんじゃないかって思った」
 と息子が言った。
「『ウェイト、ジャスト・ウェイト』って言って自転車取りに行ったら、黙ってついて来たんだよ」
 配偶者は心なしか瞳を潤ませている。
「バンの中には小さい子どもも乗ってたよ。ほんとの家族のビジネスだ。よし、鉄のついた粗大ごみをがんがんスキップの脇に置いていこう。スキップの中に入れちゃったら、けっこう深いから外に出すの大変だからな」
 貧乏なアイルランド移民家庭の出身である配偶者はこういう話にめっぽう弱い。これをきっかけにして、ようやく彼は本腰を入れてクリアアウトを始めることになったのだった。

ミクロの視点は中2病?

 翌日から、毎朝ほんとうにルーマニア移民たちがうちに来るようになった。ガタガタ音がするなと思って窓から外を覗くと、配偶者がスキップの脇によけておいた鉄の背もたれがついたベンチとか、古いボイラーとかを、男性たちが一つずつかついで白いバンに積んで帰って行く。
 なぜ彼らがルーマニア人だとわかったかというと、配偶者が家の前で時おり彼らと言葉を交わすようになったからだ。若い男性のなかにはけっこう英語を喋れる人もいるようで、来るたびにメンバーには新しい顔が混ざっていた。いったい何人でこの仕事をしているのかわからないが、時には高齢の女性がいたり、ジャージの上下を着たティーンの少女が混ざっていたりして、本当に『ベネフィッツ・ストリート』に出て来た移民の家族みたいだ。
 4日目のことだった。配偶者が、前の職場のロゴが入った黄色い安全ベストを5、6着見つけて、「いまの職場では着られないから」と言ってスキップの中に捨てておいたら、いつものように鉄くずを取りに来ていた男性たちがそれを見つけてビニールから出して羽織りはじめた。男性の1人が白いバンのほうに何かを叫ぶと、小学生ぐらいの少年が降りてきて、黄色いベストを手に取り、うれしそうに羽織ってぴょんぴょんジャンプし始めた。自分も大人たちの一員になったような気分になったのだろう。少年は小躍りするようにして大人が鉄のパイプを運ぶのを手伝っている。フランスでは黄色いベスト運動、ブライトンでは黄色いベスト労働が展開されているぞ、と思いながら窓の外を眺めていると、車庫から配偶者が大きな黒いビニールのごみ袋を抱えて出て来た。
 配偶者が男性たちに何か言ってその袋を渡した。男性の1人がそれを開けて中身を出すと、見たことのある柄のベビー服が出て来た。息子が赤ん坊のときに着ていた服だ。わが家は配偶者のほうがこういうアイテムにセンチメンタルになるタイプであり、わたしがリサイクルに出そうとしていると、「それはダメだ。思い出があるから」とか「それを着ていたときめちゃくちゃかわいかった」とか言ってどこかにささっと持っていき、いまだに隠し持っていたのだった。
 黄色いベストを着たルーマニア人の青年がにっこり笑って配偶者の肩を抱き、握手していた。彼らが白いバンに乗っていつものように去って行ったあとで配偶者に聞いてみると、あの青年の妻は妊娠中でもうすぐ予定日ということだった。配偶者とルーマニア人たちはすっかり友達みたいになっているのだ。彼らの家には子どもが数人いるようなので、息子の服で処分するものがあったらあげようと配偶者は言った。
 夕方、息子が学校から戻ってきたときに、小さくなった服があったらまとめろと配偶者が言っていることを伝えると、彼は「いいよ」と言って、自分の部屋のクロゼットを開けて服を出し始めた。
「いらなくなった服はこれに入れて」と黒いビニールのごみ袋を渡してわたしは階下に戻った。しばらくして息子の部屋を覗いて見ると、半分膨れたビニール袋の傍らに彼が黙って座っているので声をかけた。
「どうした? 疲れちゃった?」
「っていうか、いろいろ考え始めちゃって」
「何を?」
 息子は戸口に立っているわたしを見上げながら言った。
「僕は自分のごみを誰かにあげようとしてるのかなって……、こうやってごみ袋にいらなくなった服だけ入れている自分のことをちょっと考えちゃって」
「ああ。……うしろめたい気分になっちゃったのか」
「だって、どうして買ったばかりのトレーナーとかスニーカーは袋に入れないんだろうって。ほんとうに誰かに何かをあげたいんなら、新品をあげるべきだよね」
「じゃあ入れたらいいじゃん」
「え。でも、このスニーカー、ずっと欲しかったんだもん……」
 新しいスニーカーを握りしめた息子を見ながらわたしは言った。
「『あげる』っていうのと『リサイクルする』ってのはまた違うと思うよ。今回は、たまたま誰が使うかを知っているから、『あげる』って感じになっているけど、例えば母ちゃんと一緒に慈善センターにリサイクルの服を持っていくときとかは、それを使う人が誰だかわからないし、不要なものを持ち寄ってシェアする、っていう考えしかないから、『あげる』とかそういうこと考えないでしょ」
「うん。あげてるって感覚はない」
「合理的なことをやっている意識しかないから、うしろめたさなんて感じないよね」
「確かに感じない」
「それに比べて一対一の『あげる』と『もらう』になると、ちょっとセンチメンタルなものがくっついてくるよね。だから『いいことをした』とか『いや、これは悪いことなのでは』とか考える」
「うん」
「でも引いた目線で見たら、これもリサイクルなんだから、不要なものは世の中に流せ、っていう、とりあえずその感覚だけでやったらいいんじゃないかな」
 わたしはそう言って半分膨れたビニール袋の中を覗いてみた。
「それに、不要なものを社会に流すだけで『いいこと』だよ。それすら流せない人、けっこういるからね」
「ははは」と息子は笑った。物を溜め込む配偶者に対する皮肉だと受け取ったのだろう。
 とは言え、息子の言う「うしろめたさ」はけっこう深いところを突いている。
 毎朝わが家の前からメタルがついた粗大ごみを拾い、配偶者の昔の職場の安全ベストを拾い、息子のベビー服を持って帰る人々は、わが家の不用品を活用する人々であり、マクロの構図で見ればわたしたちはリサイクリングの循環チェーンの中に組み込まれた人間たちに過ぎない。鉄くずはスクラップメタル業者に売られてそこからまたどこかの工場に搬入されて、何かの製造に使われるのだろうし、黄色いベストやベビー服は使用後また誰かに譲られるのかもしれないし、リサイクルの服置き場に持っていかれてアフリカの子どもたちに送られるかもしれない。不用品たちは遠くまで旅を続けるのだ。
 しかしミクロにわたしたちのところだけを切り取れば、不用品を渡すのはわたしたちで、受け取るのは彼らだ。この狭いところだけを見れば「あげる」「貰う」の構図になって、確かに息子が言ったようなうしろめたさというか、感情的な居心地の悪さはある。だからこそ、じゃあどうして自分に必要な品は他者に渡せないのだろうという、ある種の道徳的というか感情的な問いも生まれるのだ。
 ここは微妙なバランスが必要なところなのである。マクロに傾きすぎてもパサパサになるし、ミクロに傾きすぎても中2病になる。
 と考えたところで息子はほんとうに中学2年生だったと気づいた。
 あはは、言い得て妙だな、と変に感心して笑い出したわたしを怪訝そうに見ながら、息子は再びビニール袋の中に服を詰め始めたのだった。

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循環と逆流

 それから数日が過ぎ、わが家の前のスキップも3分の2以上が埋まった頃のことだ。ある夕方、近所に住む肉屋の大将がうちのドアをノックした。ちょうど車庫からごみを運んで来ていた配偶者がそれに気づき、大将のほうに近づいて行って何か話し込んでいる。
 しばらくして、手袋を外しながら家の中に入ってきた配偶者が言った。
「近所で文句が出てるんだってよ」
「え、何が?」
「うちのスキップのこと。俺たちのとこに毎日来ているルーマニア人たちが、近所を回って、庭に停めてあった子どもの自転車とか、捨てるつもりがないものまで黙って取って行ってるって」
「それ、誰か見たの?」
「見たやつがいるんだって。コミュニティ・センター(公民館のようなもの)のパブで噂になっているらしい」
「……」
 肉屋の大将は、どういう経緯でルーマニア人の家族がうちに来るようになったのかとか、いつ業者がわが家のスキップを引き取りに来るのかとかいうことを質問してきたらしいが、はっきりそうとは言わなくとも「彼らを来させるのをやめさせてくれないか」という近所の人々からの強い要望を言葉の端々に滲ませていたという。
 さらに、子どもの世界はもっとあからさまだった。翌日、学校から帰ってきた息子は、近所に住む少女から文句を言われたと言った。
「うちのせいで毎日ルーマニア人が近所を荒らすようになったから、みんな迷惑してるって。彼らに鉄くず渡すのをやめて欲しいって言われた」
 ほんとうに、いよいよ『ベネフィッツ・ストリート』みたいな展開になってきたのだ。
「『あなたのお母さんは中国人で、ルーマニア人じゃないよね、なのにどうして仲良くしているの?』とか言うんだよ」
「いや、むしろ仲いいのはわたしじゃなくて、父ちゃんのほうなんだけどね」
「うん。僕も彼女にそう言った。それと、母ちゃんは中国人じゃなくて日本人だって訂正しておいた」
 と息子は鼻息を荒くしている。
「実際に庭に置いていたものがなくなったりしているのかな。それとも単なる噂なのかな」
「本当かもしれないし、そうではないかもしれない。わからないからこちらも適当なことは言えない」
「でも本当に被害が出ているのなら、ちゃんと警察に届けたほうがいいよね。言ってくる場所が違うんじゃないかな」
 息子とわたしが話しているのを聞いていた配偶者が言った。
「明日の朝、ルーマニア人たちが来たら、単刀直入に聞いてみる。彼らが取りやすいように、俺が粗大ごみをスキップの脇に置くようにしたから、もしかしたら英国人は家の前に不要物を置く習慣があると思っているかもしれない。そう思って犯罪をおかしてたらまずいしな」
 翌日の朝、いつものようにやって来た青年たちに配偶者がスキップの脇で話をしているのを、わたしは2階の窓から見ていた。それでなくともコックニー訛りが強くて外国人にあまり英語をわかってもらえない配偶者は、身振り手振りで何かを一生懸命に説明していて、3人の長身の青年たちがじっとそれを聞いている。
「やってないって言ってたよ」と家の中に戻ってきた配偶者は言った。
「ちゃんとあんたの英語、わかってたの?」
「1人はわかってた。何も取ってないって言っていた」
 その翌日から、ルーマニア人の家族はぱったりうちに来なくなった。まだ片づけは終わっていないので、相変わらず配偶者がスキップの脇に鉄がついた不要物をよけておくのだが、彼らがそれらを取りに来ることはなかった。
「どうしちゃったんだろう」
 配偶者が言うのでわたしは答えた。
「あんたが単刀直入にあんなことを聞いたから、気分を害したんじゃないの?」
「それか、うちに迷惑がかかると思って来るのをやめたのかもね」
 と息子も言う。
「いや、俺はそういうつもりで言ったわけじゃないし、まだたくさん鉄のついた物があるから、これからも毎日取りに来いよって言ったんだけど……」
 配偶者は心なしか寂しそうにしていた。結局、彼らはそれっきり鉄製の粗大ごみを取りに来ることはなく、建設機器レンタル会社がスキップを回収に来て、わが家のクリアアウトは終了したのだった。
 しかし、うちの前庭からスキップが消えて数日が過ぎた頃、うちの前にまたあの白いバンが停まった。玄関のベルが鳴ったので、ちょうど学校に行くところだった息子がドアを開けると、ルーマニア人の青年の1人が黒いビニールのごみ袋を抱えて立っていた。
「グッド・モーニング」と青年は言って、その袋を息子に渡した。
 急いでわたしもキッチンから出て行くと、ルーマニア人の青年がこちらを向いた。
「それ、何ですか?」とわたしが聞くと青年は答えた。
「ベビー服、いりません」
「どうして?」
「ベビーは生まれた。でも、死んでいました」
 たどたどしい英語で青年はそう言った。
 わたしと息子が絶句していると、朝食を食べていた配偶者も居間から出て来た。
「それは……、残念だったな……。ワイフは大丈夫か?」
「はい。いまはすっかり元気。スキップ、もうないですね」
 と青年に言われて、配偶者が答えた。
「ああ、業者が取りに来たから。しばらく鉄のついたものは脇によけておいたんだけど、もう君たちは来ないと思って全部スキップに入れて渡してしまったんだよ」
「OK。サンキュー。サンキュー・ヴェリ・マッチ」
 と青年は右手を差し出し、配偶者と握手してから、くるりと後ろを向いて白いバンのほうに歩いて行った。車の中から、黄色いベストの青年たちや高齢の女性がわたしたちのほうに手を振っている。
 走り去って行くバンに手を振り返しながら息子が言った。
「だからしばらく来られなかったのかな」
「処分してくれてもよかったのにな」と配偶者が呟く。
「リサイクリングが逆流して戻ってきちゃったね」と息子がわたしのほうを見て言った。
 ほんとうにマクロな視点で見れば、これは循環の逆流である。
 けれどもミクロに見れば、それにはちょっとした感傷がつきまとう。
 スキップも鉄くずも消えたうちの前庭が妙にがらんとして寂しく見えるのは、きっとそのせいだ。

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2 A Change is Gonna Come ―変化はやってくる―[→]

この本をできるだけ多くの人たちに読んでほしいと思っています。
応援していただけると嬉しいです。
(編集H&新潮社「チーム・ブレイディ」一同)

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【特別試し読み】『THIS IS JAPAN―英国保育士が見た日本―』ブレイディみかこ

著者プロフィール

ブレイディみかこ

ブレイディみかこブレイディ・ミカコ

ライター・コラムニスト。1965年福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。2017年、『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)で新潮ドキュメント賞を受賞。2019年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞、Yahoo!ニュース | 本屋大賞 ノンフィクション本大賞受賞などを受賞。他に、『ワイルドサイドをほっつき歩け――ハマータウンのおっさんたち』(筑摩書房)、『THIS IS JAPAN―英国保育士が見た日本―』(新潮文庫)、『女たちのテロル』(岩波書店)、『女たちのポリティクス――台頭する世界の女性政治家たち』(幻冬舎新書)、『他者の靴を履く――アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)など著書多数。

著者プロフィール

ブレイディみかこブレイディ・ミカコ

ライター・コラムニスト。1965年福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。2017年、『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)で新潮ドキュメント賞を受賞。2019年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞、Yahoo!ニュース | 本屋大賞 ノンフィクション本大賞受賞などを受賞。他に、『ワイルドサイドをほっつき歩け――ハマータウンのおっさんたち』(筑摩書房)、『THIS IS JAPAN―英国保育士が見た日本―』(新潮文庫)、『女たちのテロル』(岩波書店)、『女たちのポリティクス――台頭する世界の女性政治家たち』(幻冬舎新書)、『他者の靴を履く――アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)など著書多数。

ブレイディみかこ
単著
『花の命はノー・フューチャー』(碧天舎、2005年7月刊/増補してちくま文庫へ、2017年6月刊)
『アナキズム・イン・ザ・UK』(Pヴァイン、2013年10月刊)
『ザ・レフト──UK左翼セレブ列伝』(Pヴァイン、2014年12月刊)
『ヨーロッパ・コーリング──地べたからのポリティカル・レポート』(岩波書店、2016年6月刊)
『THIS IS JAPAN――英国保育士が見た日本』(太田出版、2016年8月刊)
『子どもたちの階級闘争──ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房、2017年4月刊)
『いまモリッシーを聴くということ』(Pヴァイン、2017年4月刊)
『労働者階級の反乱──地べたから見た英国EU離脱』(光文社新書、2017年10月刊)
『ブレグジット狂騒曲──英国在住保育士が見た「EU離脱」』(弦書房、2018年6月刊)
『女たちのテロル』(岩波書店、2019年5月刊)
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、2019年6月刊)
共著
『保育園を呼ぶ声が聞こえる』(國分功一郎氏、猪熊弘子氏との共著/太田出版、2017年6月刊)
『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』(松尾匡氏、北田暁大氏との共著、亜紀書房、2018年4月刊)
『人口減少社会の未来学』(内田樹氏によるアンソロジーに寄稿、文藝春秋、2018年4月刊)
『平成遺産』(武田砂鉄氏によるアンソロジーに寄稿、淡交社、2019年2月刊)
『街場の平成論』(内田樹氏によるアンソロジーに寄稿、晶文社、2019年3月刊)

 1 うしろめたさのリサイクル学
 2 A Change is Gonna Come ―変化はやってくる―

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