新潮社

新潮社定期採用2018
新潮社はこんな仕事をしている

インタビュー
新潮文庫nex創刊

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刊行前夜

――刊行前夜のお話から伺います。新潮社の中で「新潮文庫nexを作ろう」と動き始めたのは、いつ頃からだったのですか。

 文庫の中に新しいエンターテインメントの枠組みを作りたい、と考え始めたのは、2012年の初夏ですね。僕はこの年の4月に週刊誌から文庫編集部に異動したんですが、改めて「新潮文庫って、すごいな」と思った。年間2000万部を売り上げて、発売日になれば書店の文庫売り場の中でも一番良い場所に置かれて、夏の100冊の盛り上がりも圧倒的で。でも一方で、ある種の「王道パターン」があって、「こういう本を出す」「こんな造本にする」という、暗黙のルールのようなものがある気もしてきました。もちろん、年間で200点以上を刊行するわけですから、文庫には多様性が求められていますし、かつ、「これをやっては、ダメ」と規定されていたわけじゃありません。けれど、なんとなく「この枠に収める」みたいな“前提”を感じました。
 それで、僕は当時、26歳だったわけですが、単純に「もっとかっこいい本を作りたい」と思ったんですよね。現実問題として、若い読者は減ってきていて、自分に近い20代や30代に新潮文庫を読んでもらう方法を考えたかった。夏目漱石であったり、ドストエフスキーであったり、いかにも「新潮文庫」という本を仰々しく「読む」よりも、若い読者に「もっと気楽に、まずは小説を読んでみようよ」と声をかけたくて。
 映画やTVドラマに少女漫画の原作ものが増えたり、文庫書き下ろし小説も当たり前になってくる中で、エンターテインメントの入り口を軽くしよう、という時代の気配を感じてもいましたし。

――コンセプトとして、新潮文庫nexは何を目指したのでしょうか。

 若い読者にとっての小説の入り口になること、です。この場合の「若い」は、20代から40代ぐらいまでをイメージしています。それぐらい文庫読者の年齢層が上がっていた。映像、漫画、スマートフォン……と、娯楽が多様化して、若い読者にとって「本を読む」ということが当たり前の日常ではなく、非日常的な行為になってきている、という危機感がありました。だから、「小説って、面白いぞ!」と改めて思わせたかったんです。文庫の「新しい入り口」で小説に興味をもってもらって、本を読んでもらえるようになれば、新潮文庫は近現代を問わず面白い作品をたくさん収録しているので、その先の読書も魅力的に映るんじゃないか、と。

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若い読者にとっての「小説の入り口」を目指して。

2013年9月20日、午前3時のメール

――新潮文庫nexは2014年9月から刊行が始まりましたが、この時期に始めることは初期の段階から決めてありましたか?

 はい。2014年9月に新潮文庫が創刊100年を迎えるとわかっていたので、新しい基軸を打ち出すとしたら、ここだろう、と思いました。
 2013年の3月1日にたたき台となる編成案を文庫部長に出してOKを貰ったんですが、課せられたハードルが2つあって、「ラインナップを強くすること」「継続的に刊行すること」という点です。この段階では、編集部の有志が作家に声をかけている状態で、しかも編成表には「この人にも書いてもらえたら」という願望も入っていたので、創刊に向けた準備はここからが本番でした。

――作家への原稿依頼が本格化した?

 そうです。もちろん、僕一人でやっていたわけではなく、社内でいえば、2012年5月に文芸誌「yomyom」がリニューアルし、ここで編集長になった先輩がnexの始動以前から若い読者を見据えた連載をたくさん始めていて、nexでの原稿依頼にあたっては、本当にいろいろな相談に乗ってもらいました。指導や助言のほかに、ラインナップにいたら面白いと思う作家を紹介してくれたりもして。それから、文庫編集部においても「十二国記」「守り人」シリーズを担当している先輩はじめ、何人かの編集者が面白がってくれて、部内にチームができていきました。

――ラインナップとして「いける!」と思えたのは、いつ頃だったんですか。

 2013年の夏が転機だったと思います。何人かの作家と出会ったり、執筆を快諾してもらえたのが、この時期でした。一人は、河野裕さん。僕の文庫への異動前に刊行された「サクラダリセット」というシリーズが大好きで、新刊が出る度に本屋さんに通ったんですが、この時期に改めて読んだら止まらなくなってしまって……。7巻を夜中までぶっ続けで読んで、「若い読者に読んでもらいたいのは、まさにこれだ!」と。いま考えると恐ろしいことなんですけど、この時に僕、河野さんにツイッターからダイレクトメール(DM)で原稿依頼の連絡をしてるんですよ。あまりに感動して、連絡先を調べる時間も惜しくて。ツイッターのDMは当時、1回140字までしか送れなかったんですが、連続して何回も送っています。これが9月20日ですね。それより以前に個人のアカウントで河野さんをフォローしたら、あちらからもフォローしてもらえていて、だからもう、ここから送ろう、と。

――それが初めての連絡ですか?

 はい(笑)。しかも、読み終わったテンションのまま、午前3時にメールを送ってる。いや、笑えない話なんですけどね。でも、ありがたいことに、河野さんからレスポンスをいただけて、関西でお目にかかれることになった。本当に嬉しかったですね。この出会いが『いなくなれ、群青』へと繋がっていきます。
 この時期は象徴的な出会いがいくつかあって、『天久鷹央の推理カルテ』シリーズ知念実希人さんは、単行本を担当していた先輩がnexの企画を知って、「凄い才能の書き手がいる」と引きあわせてくれた。竹宮ゆゆこさんと初めて会ったのも9月です。僕の担当以外のところでも、多くの作家が新潮文庫nexに興味をもってくれて、各担当に原稿やプロットが届き始めた。このあたりからですね、これはいけるぞ、って確信できたのは。
 思いの丈を全部込めて、役員会に『「新潮文庫nex(仮)」創刊に関する企画書』を提出したのが、2013年の11月頭です。

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――結果は?

 やれ、と。

――とんとん拍子に進んでいますね(笑)

 そうですね(笑)。出版環境が年々厳しくなる中で、「何か新しいことをしなければいけない」みたいな空気は社内に確実にあって、現場の「やりたい!」という声が通りやすい状況だったと思います。危機だからこそ、冒険しよう、と。その点は、本当に恵まれていました。

――そのまま刊行開始まで順調に?

 うーん(苦笑)。いや、そんなに簡単ではなかったです。売る体制を作っていく必要がありました。新潮社という会社は、社内のインフラが凄くしっかりとしているんです。100年以上続いている会社なので、編集、営業、宣伝などの各セクションが「こうやれば、上手くいく」という成功体験、ノウハウをたくさん持っているんですよ。「新しいことをやろう」という総論は、会社に認められましたし、現場の人たちとも共有できた。でも、「今までと違うものを作り、違う売り方をしよう」と言えば、「新潮社のやり方は、別にあるよ」との意見が出てきた。
 その意味で一番大きかったのは、デザインの方向性が決まったことですね。見た目って、インパクトがありますから。それを見てもらうことで、社内でも「こういった作品を売るのは、どうしたらいいだろうね」って考えてもらえました。

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