Special Contents Part I(後編)
井上夢人 Interview
この小説は本になりません
――インターネット文学作法―― 井上夢人
(「季刊・本とコンピュータ」3号―1998年冬―より転載)
◆前編
ゲームから小説へ、ハイパーテキスト考、etc.
◆後編
文学的実験、メディアと小説、etc.
+「デザイナーも苦労してます」(向井裕一さん/谷口純平さんに聞く)
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◆後編
聞き手:津野海太郎(『季刊・本とコンピュータ』編集長)
――20世紀をつうじて、中身だけじゃなく、しばしばメディアもふくめて、いろんな文学的実験がなされてきたと思うんです。ただそれは、あくまでも少数の選ばれた読者とともに、大多数の人びとの小説についての惰性的な思いこみを壊すという破壊的な意図が強調されていたわけですけど、井上さんの場合はそれとはちょっとちがう。破壊的に攻撃するというよりも、できるだけ大勢の読者に破壊作業そのものをたのしんでもらおうという意図があるんじゃないですか。
いっしょに歌って踊ってもらったほうがたのしいという気持ちがつよいんですね。(笑)少数の人たちに向けて小説を書くのも一つの道だと思いますが、ぼくは全体を急激に変えられるとは思えないんです。ほんの少しずつでも、こういう面白さもありうるんじゃないか、という提案をつづけていきたいとは思いますけれども。
――いままで小説は本というかたちで、つまり印刷した複数の紙を綴じて表紙をつけた箱型のモノにおさめられて読まれてきた。その箱がつまり井上さんのおっしゃるメディアですね。井上さんの実験は、仮にその箱から小説をとりだしたとして、それでも小説は成り立ちうるのか、成り立つとしたら、その剥きだしのままの小説とはいったい何でありうるのか、という問いにもかかわってくるわけですね。
ええ。本ができる以前、もっとさかのぼれば文字ができる以前に、語り部が神話や物語を口づたえに語りつたえ、歌いついでいた。ぼくはそれが小説の原型じゃないかと思うんです。口承文芸では、語り手によって、あるいは、その物語が語られる時や場所によって、さまざまなバージョンが生まれてきます。それが口承文芸がもっていた自由さなんですね。語り部という特殊能力をもった人間自体がメディアになって、聞き手たちといっしょに物語を自由に変化させていく。そのころの感覚がハイテクノロジーによってよみがえってくるというようなことだって、もしかしたら起こりうるんじゃないかと思うんです。
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――たとえば99人だけじゃなく、100人目、101人目、102人目の乗客が登場する別バージョンが勝手に生まれてくるかもしれないと……。
実は、すでに作家の我孫子武丸さんと岬兄悟さんに声をかけて、乗客を提供していただいたんですよ。(笑)ほかにも、「あなたもこの電車に乗客を乗せてみませんか」と読者に呼びかけて、その応募作品も一つのっています。だから私の書いたもののほかに三つの別バージョンがあるわけですね。こちらが箱を用意して、その中で遊んでもらったわけで、とても面白い体験でした。
――そうすると、デジタル化によって小説が別のものに変質するというよりも、小説という枠がちょっと堅くなりすぎたと以前から感じていたところに、パソコンなりインターネットなり、たまたまそれを柔らかくする道具があらわれたという感じのほうに近いのかしら。
おっしゃるとおり、小説はまだ相当な力をもっていると思うんですけど、それでもぼくは、どこか窮屈になっている部分があると感じてしまうんですね。それを突き破るというか、ひょこっと外に飛び出してしまう余力も小説には十分にあると思う。だから『99人の最終電車』も、ゲームとしてではなく、あくまでも小説として書きたいし、小説として読んでもらいたいんです。
駒形千佳子
三宅の一日恋人 |
桜井奈緒子
結婚サギ |
佐山美智子
男になった女(読者の投稿作品) |
沢井清
延原の後輩 |
庄司加奈子
矢萩の知人 |
鈴木みどり
湯川のフィアンセ |
関万里子
小早川、根本らの同僚 |
外舘桐恵
舟木、姉崎の友人 |
高須伸嗣
戸籍上の名前は伸子 |
竹内重良
警察官 |
千吉良理華
チャイナドレスの女 |
鶴見七郎
額田雪絵のボディガード |
手賀徹矢
嘉野内、鏡、鈴木、湯川らの友人 |
飛沢賢治
秋葉と南雲の友人 |
鳥塚弥生
水商売の女 |
南雲明久
飛沢と秋葉の友人 |
浪内勝己
サラリーマン |
奈良岡裕基
手賀、嘉野内、鏡、鈴木らの友人
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西尾琢郎(仮名)
『99人の最終電車』の編集者 |
額田雪絵
お嬢様 |
根本陽広
小早川、関、武藤の同僚 |
能瀬朝子
殺人計画を練る女 |
延原昌也
沢井の先輩 |
芳賀喜智
大金を拾った男 |
長谷川幸太
高級腕時計を買った男 |
畑美香
鏡、鈴木らの友人 |
平岡芽衣
米村の愛人 |
深沢英和
警察官 |
舟木知美
姉崎と外舘の友人 |
舟山新吉
牧の部下。安江の同僚 |
細谷敏弘
新妻に悩む男 |
牧百合子
舟山、安江の上司 |
松尾昇
早川美佳にふられる |
松戸征夫
科学者(我孫子武丸氏の作品) |
真鍋朱美
ストーカーに狙われる女 |
水口徹也
女になった男(読者の投稿作品) |
溝江賢三
溝江絢子の夫 |
溝江絢子
溝江賢三の妻 |
三宅聡
駒形千佳子の一日恋人 |
宮地峰生
門田、櫛部らの友人 |
武藤薫
小早川、関らの同僚 |
米良ヒロコ
内海の友人 |
物部真吾
記憶喪失の男 |
八重樫巧
電子メールを書く男 |
安江努
牧の部下。舟山の同僚 |
矢萩浩幸
庄司加奈子の知人 |
山脇英介
山脇祐子の息子 |
山脇祐子
山脇英介の母 |
湯川潤
鈴木みどりの婚約者 |
米村正紀
平岡芽衣のヒモ |
龍造寺公哉
読心術者 |
涌島道博
門田、櫛部らの友人 |
P13AX
殺人マシン |
「こうして並べてみると壮観ですね」
「書く方も大変ですが、読者も大変ですね、これは(笑)」
「自分で気に入っている登場人物はいますか?」
「読者に妙な人気があるのはいますよ。西尾琢郎(仮名)なんかは、狂言回しみたいなキャラクターで、話が進むたびに多くの反響があります。私も書いていてたのしいですね」
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――それにしても、すごい枚数になるでしょうね。
ちょっと前にしらべたら四百字の原稿用紙に換算すると三千枚。1998年の夏には終わらせたいというのが現在の目標ですが、そうなると計算上、どうしても四千枚ぐらいになってしまうんです。(笑)
――終わったあとはどういうかたちで出版するんですか。もちろん普通の本にはならないですよね。
最終的にはCD-ROMに焼き込むかたちを考えています。だから編集の人たちとは、いまわれわれがやってるのは「ベータ版」だといってるんですよ。コンピュータのソフトウェアを実際に売り出す前に、そのひな型をユーザーに提供して、具合のわるいところや使いづらいところを指摘してもらって、あらためて製品版に向けて作りなおす。それがベータ版ですけど、それと同じような考え方をしていて、現在、インターネットで読んでいただいている読者の声なんかを取り入れながら、最終的にはCD-ROMのかたちにしていこうと思ってるんです。
――でも完成品のための準備の過程というだけじゃなく、ウェブ版には、それ自体が2年間にわたるたのしいイベントなんだという面もあるんじゃないかな。たとえば作者の苦闘ぶりをリアルタイムでたのしめるとか。(笑)これがCD-ROMできちっと完結した作品になってしまうと、その種のたのしみはなくなってしまうかもしれませんね。
それはそうなんですが、やはり固定しておく部分も必要じゃないかと……。でも、たしかにインターネットというのはライブ感覚なんですね。CD-ROMが音楽でいうCDだとすると、まるでコンサートをやってるような感覚。生ですからとちりもあるし、一曲おわると拍手がくる、あるいはブーイングがくる。これは書きはじめてからようやく気づいたことで、ぼく自身、いままでは小説でライブができるとは思っていなかった。そういう興奮は書き手の側にもたしかにありますね。
――井上さん、たしか音楽をやってらしたんじゃないですか。
前にちょっとバンドにいたことがありまして。(笑)ビートルズにとち狂った世代で、いまだにそれが抜けないんです。
――映画もやってらしたでしょう?
浮気者なんです、あちこちに首つっこんで。(笑)ぼくの中にはつねにフレームという考え方がある。それは映画をやっていたことの後遺症だと思います。小説を書いているときも、フレームの内と外という考え方がなんとなくあるんです。
――井上さんは『99人の最終電車』をハイパーテキスト・エディターで書いてらっしゃいますよね。文章を書くソフトをコンピュータの世界では「エディター」というけど、本来であれば「ライター」ですね。タイプライターと同系の道具なんですから。それが「エディター」になる。やっぱり映画と同じで編集するんですね、あれは。「おれはエディターじゃ書かない、ライターで書くんだ」というような人は、井上さんのような試みには手をだしにくいかもしれない。
エディターという感覚はつよいですね。切ったり貼ったり実際に編集作業をやりますし。ただ、それはあくまでもぼくの場合ということで、ものをつくる人間が自分の身についたやり方を変えるのは非常にむずかしいし、もしかしたら、それはやってはいけないことなのかもしれない。知り合いの編集者に聞いたところでは、いまはもう75パーセントの小説家がワープロやパソコンを使って原稿を書いてて、新人賞なんかでは100パーセント近くになっているらしいですけど、手書きの人だってまだ25パーセントはいるわけです。そういう方にとっては、手書きでなければ絶対に書けないものがあるのかもしれないと思いますし、それは大切にしていかなければいけないと思うんです。
――いろいろ多層的にあったほうがいい。ハイパーテキストだって、いろいろある方法のうちの一つにすぎないということですね。
ええ、こんなものも一つどうかね、ということですね。ぼく自身、ハイパーテキストだけでやっていこうなんて考えたこともありませんし、紙の本はもちろん、なにかハイパーテキストじゃない電子テキストの方法を見つけたら、それもやってみたい。そういう意味では面白い時代だと思います。昔、草創期のテレビにかかわった人たちは、ものすごく面白かっただろうと思いますけど、いま私たちが置かれている状況も負けず劣らず面白い。せっかくそういう時期にいあわせた以上、何かやらなきゃ損だと思ってるんです。
(NHK教育TV 未来潮流「編集者・津野海太郎と考える。電子時代、本は消えるか消えないか」を元に再構成)
デザイナーも苦労してます
◆向井裕一さんに聞く
最初にやったのは、井上さんが出してきたアイデアを検討して、構造デザインのプランをつくったことです。画面が完成するまでに1ヶ月ぐらいかかったかな。
この『99人の最終電車』の構造は、毎回更新していくものではないので、いちど決めると最後まで変えられない。それにインターネットの世界では、ブラウザやプラグインの機能もどんどん新しくなっています。だから、なるべく単純な機能で、必要かつ充分な構造デザインにしたんです。いってみれば舞台の大道具とか小道具みたいなものです。井上さんも、文章を読むのに邪魔にならないような、癖のないデザインが欲しかったと思いますよ。
CD-ROM化するときには、新しい機能を使うなどして、インターフェイスを大幅に変えることになるでしょう。独自のブラウザをつくったり、縦組みで表示することもありえます。
現在、小説のなかで1分の時間が動くたびにおこなう作業は、次のようなものです。
まず、井上さんから、次はここに誰がいるという指示を書き込んだ駅ごと・車内ごとの人物配置の表が送られてきます。それをもとに毎分ごとに、7、8箇所のインターフェイス画面をつくるんです。それだけでなくて、フレームがあるブラウザと、ないブラウザに対応するように、それぞれ2種類のデザインをつくっているので、ちょっとめんどくさい。(笑)
ぼくは本の装丁もやっていますが、本に比べるとウェブは構造が目に見えにくいですよね。デザイナーはその構造を目に見えるようにするのが仕事なんじゃないかな。
◆谷口純平さんに聞く
ぼくは、この小説に登場する人物全員のイラストを描いています。本当は服装まで描いた方が特徴が出るんですけど、顔だけしか表示できないので、読者が一発で見分けがつきやすいようにシンボリックな描き方になりました。イラストというよりは、アイコンですよね。
最初の数十人については、井上さんの文章が先にあって、それを見ながらイラストを描いていたんですが、進んでくるにつれて、そうもいかなくなりました。(笑)
描いているうちに、最初とはキャラクターの描き方が違ってきたと思います。ぼくの読みこみ方が変わってきたんでしょう。
トップページは毎週新しいイラストに変わります。もう七十数枚は描いたかな。全部を並べて見せたら、結構、壮観だと思いますよ。
もし井上さんが小説を書く前に、イラストの顔を見て多少でもインスパイアされてくれているならば、とてもうれしいですね。
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