|
これは宇宙人による人体実験なのだろうか? 僕はそのサンプルとして
選ばれた一人なのか?
あるいは偶然同じ時刻に幽体離脱を行った二つの魂が、お互いに戻る肉
体を間違えてしまった結果なのだろうか?
いや、原因などはどうでもいい。重要なのは現状をどう克服し、解決す
るかということだ。
それは僕が抱えているもう一つの大きな問題に対しても同じこと。祐子
にふられた原因などはどうでもいい。重要なのは今のこの暗澹たる気持ち
をどのように克服するかということだ。
水口徹也は自嘲気味に小さく笑った。
今頃、祐子はあの男の腕に抱かれているのだろう。僕の知らない表情を
あいつだけに見せているのだろう。
徹也の目の前には発車寸前の最終電車が停まっていた。プラットホーム
はしんと静まり返っていて、他には誰一人見当たらなかった。
祐子は幸せの絶頂。かたや僕はなにをするべきか分からないまま、こん
な寂しい場所をうろうろと歩き回っている……。
胸につかえたまま、いっこうに消えようとしないどんよりとした気持ち。
祐子に「別れましょう」と言われたときよりも、ずっと辛く切ない気分だ
った。
祐子には会うべきじゃなかった。
徹也は前歯で下唇を強く噛んだ。
祐子と会ったところで、こうなることは十分に予測できたはずだ。もし
かしたら彼女の気持ちが変わるかも……そんなことをちょっとでも考えた
僕が馬鹿だった。
――今日は祐子の結婚式だった。
徹也が祐子と出会ったのは大学三年生のとき――徹也の主催する「怪奇
現象クラブ」へ彼女が遊びに来たことがきっかけだった。
「あたしの住んでいるアパートにね、女の幽霊が出るのよ。昔、その部屋
に住んでいた学生が首吊り自殺をしたらしいんだ。管理人さんはそんな話
でたらめだって、笑い飛ばすだけなんだけど、でも幽霊が出るのは事実な
のよ。あたし、これでも霊感は強い方なんだから。お願い。君の力でなん
とかしてくれる?」
超常現象に関しては誰よりも詳しい徹也だったが、実際に超能力など持
っているはずもなかった。それなのに祐子は「徹也君って超能力が使える
んでしょ?」と、とんでもない依頼を持ち込んできたのだ。
男子学生のアイドル的存在だった祐子の頼みだ。徹也も前々からひそか
に憧れていた女性だった。断ることなどできるはずがなかった。
徹也は祐子の部屋で、除霊の真似事をした。驚くことにそれ以来、幽霊
は出なくなったということだった。
「ありがとう。あなた、すごいわ」
祐子は飛び上がって喜び、徹也の唇にキスをした。最高の気分だった。
これといってなんの取り柄もない徹也に、尊敬の眼差しを向けてくれる女
性がいたことが嬉しかった。
そんなことがきっかけとなり、いつしか二人は恋人同士の関係となって
いった。
おまえにあんな可愛い彼女ができるなんてと、周りの人物にはかなりや
っかまれたものだ。
結婚するなら彼女以外は考えられない――徹也はそう考えていたし、祐
子もそうなのだろうと信じて疑わなかった。
だが卒業式の日、彼女は思いがけない言葉を口にした。
「あたし、結婚するの」
寝坊して朝ご飯食べそこなっちゃった――そんな台詞と聞き間違えるよ
うな、実にあっけらかんとした口調だった。
「ディスコで知り合った人なの。学校の先生でね、それほどハンサムって
わけじゃあないのに、でもなんだか暖かいのよねえ。一緒にいてほっとす
るっていうか」
あまりにも唐突な事態に、徹也はなにも言い返すことができなかった。
「結婚式には絶対来てね」
徹也は黙って頷いた。なにか言い出せば、醜い自分をさらけ出してしま
いそうで恐ろしかった。
「――僕と君は……恋人同士じゃなかったのか?」
別れ際、ようやく口にできたその言葉も、祐子のころころと明るく響く
笑い声に一蹴されてしまった。
「そうよ。あたしたちは恋人同士だった。いやだ、もう。いまごろなに言
ってるのよ。あなたと付き合って、とっても楽しかったわ。ありがと。こ
れからは友達として、仲良く付き合っていきましょうね」
あっけない恋の幕切れに、返す言葉など見つかるはずもなかった。
徹也は電車の中の様子をうかがった。髪の長い学生らしき青年と、ジャ
ンパーを着たあまり風貌のよくない男が座っているだけだ。
どうする? 乗るのか?
自分の姿を、他人にじろじろと見られたくはなかった。今は長い髪を後
ろで束ね、白のシャツとズボンを身につけ、できるだけ男に近い格好をし
ているつもりだった。しかしどんなに外見を偽って見せても、やはり徹也
は女性なのだ。誰もが女性として見るに決まっている。
僕は男だ。女じゃない――。
発車のベルが鳴り響いた。
徹也は他の乗客に気づかれないように、音をたてずに電車に乗り込み、
そしてドアのそばに隠れるようにしゃがみ込んだ。
(C)1996 KENJI KURODA/JUSTSYSTEM
|