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 23:57 浅草駅-田原町駅
 平岡芽衣
(ひらおか めい)


     電車の心地よい揺れに身をまかせて、芽衣は正面のシートへ腰を下ろした男にチラリと目を上げた。
 
 誰かに似てる……。
 芽衣は、そう思った。ホームのベンチに座っていたときにも、この人のことが気になって仕方なかった。どうして気になっているのかわからなかったが、目の前に座られてみて、ようやくその理由がわかった。誰かに、似ているのだ。
 
 でも、誰だろう?
 
 だめなんだ、あたし。記憶力ってのが、まるでだめ。
 社会科、苦手だったもんなあ。県庁所在地なんか、いまだにあやふや。この前まで栃木の県庁所在地は栃木だって思ってた。まあちゃんに「宇都宮だろ、ばあか」って笑われた。だけど、そういうのへんじゃん。静岡の県庁所在地は静岡だよ。だから、栃木も栃木にするべきだ。茨城は茨城のほうがいいし、埼玉だって埼玉が一番自然。覚えること少なくてすむじゃないか。
 ぜったい、文部省の陰謀よね。そういうことして、テストとか難しくしてるのよ。
 
 誰だったかなあ……。
 
 正面の男と目が合って、芽衣は慌てて車内の中吊り広告のほうへ視線をあげた。
 
 いっけない。あんまり見つめたりして、へんなふうに勘違いされたらたまんないわ。すぐに勘違いする男って、いるんだもの。
 でも、誰かなあ。有名人って顔じゃないよなあ。テレビに出てる人だったら、だいたいわかるんだけど。このテの顔って、テレビ向きじゃないもん。どっちかっていうと、タクシーの運ちゃん? 降りたとたんに顔忘れちゃう。
 誰かなあ。
 
「お待たせいたしました。銀座線、ご利用いただきましてありがとうございます。この電車は、上野、日本橋、銀座、赤坂見附方面、渋谷行です。お出口は、途中、末広町まで左側です。まもなく田原町、田原町です」
 
 車内のアナウンスが告げた。
 ふと、芽衣は、正面の男の顔を見返した。
 
 田原町……田原俊彦……トシ君。
 そうか、と芽衣は思い出した。トシ君とこ、よく訪ねて来てた人だ――。
 また男と目が合って、芽衣は、思わず彼に、ウン、とうなずいた。

 
   正面の男 まあちゃん

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