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 23:57 浅草駅-田原町駅
 沢井 清
(さわい きよし)


    「いいボディって、それ、どういう意味ですか」
 
 電車が動き出して、沢井は延原に訊いた。
 言ったことが聞こえなかったのか、延原は「なに?」と大声で訊き返してきた。
 いや……と、沢井は口を閉じた。
 
「なんか、言わなかった?」
「いえ、こっちのことです。なんでもないです」
 もう一度、沢井は首を振った。
 酔いは、完全に冷めていた。
 
 丸山知子の笑顔が、沢井の中によみがえった。
 ほんの数時間前だ。資料を持ってコピー機のところへ行くと、丸山知子がマシンに用紙をセットしていた。
「あ、コピー?」
 知子は、沢井の手の資料を指さしながら訊いた。
「やってあげる」
「いえ、自分で……」
「あたしのほう、たくさんあるの。待たせることになっちゃうから。沢井さんの、先にやっちゃうわ」
 そう言って、知子はニッコリと笑った。
 
 あの、知子を、この延原が送って行った――。
 
 突然、延原が顔を寄せてきた。
 ギョッとして、沢井は彼を見返した。
「あのさあ、オレたちの仕事ってのはさ、やっぱり、人間関係だからさ」
「…………」
 なにを言ってるんだ、こいつ?
 
「人間関係!」
 聞こえなかったと思ったのか、延原は、沢井の耳元で大声を出した。沢井は、眉をしかめた。
「オレたちの仕事は、人間関係!」
 面倒くさくなって、沢井は、曖昧にうなずいた。
「ええ、そうですね」
「だからさ、もっとこう、沢井君も、そういうとこ知らなきゃだめだよ」
「はあ」
「はあ、じゃないの。まず、遊ばなきゃだめ」
 
 今度は人生訓でもたれようというのか?
 いいかげんにしろ、と沢井は唾を吐きたいような気分になった。
 なにが、遊ばなきゃだめ、だ。
 
「あのさ、真面目なんだよな。沢井君、真面目なんだよ」こちらが黙っているのをいいことに、延原は、得意げに続ける。「いいんだよ。真面目は、大いに結構なんだけども、そればっかりだと仕事が堅い一方になっちゃうんだね」
 
 うんざりした。
 なにを言ってるんだ、このバカは。
「どういうことですか?」
「もっと、遊ぶの。遊んで、人間関係の、この、なんというかなあ、機微みたいなものをね、知らなきゃだめだね」
「キビ?」
「そう、サトウキビ、なんちゃって。いや、つまり、遊びの基本は、まず、なんといっても、女ね」
「女……」
「そう。昔から言うだろ? 飲む、打つ、買う、ね。今度、連れてってやるよ。いい女の子がいっぱいいるところ、知ってるからさ」
 言って、延原は、また沢井の肩を叩いた。
 
 なるほど、と沢井は延原の顔を見返した。
 このバカ野郎は、その遊びの基本を実行するために、客のカネに手を出したというわけか。
 誰にも知られていないと思っているのだろうが、ちゃんとわかっている。今日までは、気が引けて報告もしないでおいてやった。
 いいか、僕は、あんたの生命線を握ってるんだ。
 
 見つめていると、なにを勘違いしたのか、延原は沢井にウインクをしてみせた。

 
   延原昌也

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