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 23:57 浅草駅-田原町駅
 山脇祐子
(やまわき ゆうこ)


     浅草駅のホームの光が電車の後ろへ消えて去ると、祐子は小さく息を吸い込んだ。
 
 もう、戻らない。
 もう、ぜったい、あの人のところには戻らない。
 
 なんべん殴られただろう。なんど蹴られただろう。ものを投げつけられ、唾を吐きかけられ、服を引き裂かれ、髪を持って引きずり回された。
 会社では、ろくすっぽ口もきけない人が、家に帰ると別人になる。
 
 食わせてやっているなんて、よくそんなことが言えるものだ。毎月毎月、5万、10万と実家から援助をもらって、それでようやくやっているんじゃないか。なにが、食わせてやってる、だ。
 
 祐子は、横の英介に目をやった。
 英介は、祐子の腕に寄りかかり、とろんとした目を正面のシートに向けていた。
 
 この子のためにと思って、ずっと我慢してきた。
 お義母さんが、辛抱してくれと言う理由も、いつも英介のことだった。
「つらいのは、よくわかるわ」
 なにが、あなたにわかるの?
 殴られたことがあるの?
 抜けるほど髪をつかまれたことがあるの?
 あなたの息子じゃないか。あの人は、あなたが育てたんじゃないか。あんな人にしたのは、お義母さんじゃないか。
 英介のためなんて、あなたの口から聞きたくない。
 
 そう、この子のためにも、もっと早く家を出るべきだった。
 なにも言わないけれど、この子もきっと苦しんでいる。毎日のように父親が母親を殴っているのを見て、すごく傷ついているに違いない。
 
 ごめんね、と祐子はもう一度英介を見た。
 母親の腕にもたれたまま、英介は小さな寝息を立てはじめていた。
 
「お待たせしました。銀座線、ご利用いただきましてありがとうございます。この電車は、上野、日本橋、銀座、赤坂見附方面、渋谷行です。お出口は、途中、末広町まで左側です。まもなく田原町、田原町です」
 
 アナウンスの声に、腕に触れている英介の肩がピクリと動いた。

 
   山脇英介

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