|
「トシ君のところに来てた人よね」
芽衣は、正面の男に声をかけた。
聞こえなかったとみえて、男は、なに? と言うように芽衣を見た。
だから芽衣は男のほうへ身を乗り出しながら大きな声で言った。
「トシ君のとこに来てた人でしょ!」
しかし、男には、やはり聞き取れなかったようだ。
地下鉄って、これだからなあ。
芽衣はため息をつき、シートから腰を上げた。男の隣に席を移した。
ちょっとビックリしたように、男が芽衣を見返した。芽衣は、男に笑っ
て見せた。
ちょうど、そのとき、電車が田原町の駅に着いた。
ドアが開き、駅の構内アナウンスが響く。
「田原町です。ご乗車ありがとうございます。渋谷行です」
芽衣は、あらためて男に言った。
「トシ君のところに来てた警察の人だよね?」
今度はさすがに聞こえたらしく、男が驚いた顔を向けてきた。
「そうでしょ? やっぱりそうだよ。警察の人だよね」
男が、落ち着きを失ったように車内を見回した。
その様子が、なんとなくおかしくなって、芽衣は、クスッと笑った。
女の人から声をかけられたことってないのかしら、この人。
そんなにドギマギしなくたっていいのに。
奥さんいるのかな。いるよね、いくらなんでも。こんなおじさんが独身
じゃ、気持ち悪い。
でも、指輪してないなあ。
指輪してなくても、結婚してる男っているけどね。
でも、きっと、まじめな旦那してんだろうな。あ、ちがうか。刑事さん
って、忙しいんだ。事件があると家に帰れないぐらい忙しい。そのほうが、
奥さん、楽かな?
べつに、あたしが心配してあげる必要ないんだけど。
ドアが閉まり、電車が走りはじめた。
芽衣は、また男に話しかけた。
「誰だったけかなあって、ずっと考えてたの」
男が、顔をゆがめた。
「人違いをされてるんじゃないですか?」
「人違い?」芽衣は、笑いながら首を振った。「まさかあ。だって、ぜっ
たいそうだよ。トシ君とこに来てた人じゃない。3べんぐらい見たもん。
トシ君に訊いたら、刑事さんだって」
「トシ君って、誰?」
「やだ、覚えてないの? 神坂敏夫」
あ、と男が眼を見開いた。
芽衣は、ね? と彼に笑いかけた。
|