23:58 浅草-田原町駅-稲荷町 |
「トシ君のところに来てた人よね」 芽衣は、正面の男に声をかけた。 聞こえなかったとみえて、男は、なに? と言うように芽衣を見た。 だから芽衣は男のほうへ身を乗り出しながら大きな声で言った。 「トシ君のとこに来てた人でしょ!」 しかし、男には、やはり聞き取れなかったようだ。 地下鉄って、これだからなあ。 芽衣はため息をつき、シートから腰を上げた。男の隣に席を移した。 ちょっとビックリしたように、男が芽衣を見返した。芽衣は、男に笑って見せた。 ちょうど、そのとき、電車が田原町の駅に着いた。 ドアが開き、駅の構内アナウンスが響く。 「田原町です。ご乗車ありがとうございます。渋谷行です」 芽衣は、あらためて男に言った。 「トシ君のところに来てた警察の人だよね?」 今度はさすがに聞こえたらしく、男が驚いた顔を向けてきた。 「そうでしょ? やっぱりそうだよ。警察の人だよね」 男が、落ち着きを失ったように車内を見回した。 その様子が、なんとなくおかしくなって、芽衣は、クスッと笑った。 女の人から声をかけられたことってないのかしら、この人。 そんなにドギマギしなくたっていいのに。 奥さんいるのかな。いるよね、いくらなんでも。こんなおじさんが独身じゃ、気持ち悪い。 でも、指輪してないなあ。 指輪してなくても、結婚してる男っているけどね。 でも、きっと、まじめな旦那してんだろうな。あ、ちがうか。刑事さんって、忙しいんだ。事件があると家に帰れないぐらい忙しい。そのほうが、奥さん、楽かな? べつに、あたしが心配してあげる必要ないんだけど。 ドアが閉まり、電車が走りはじめた。 芽衣は、また男に話しかけた。 「誰だったけかなあって、ずっと考えてたの」 男が、顔をゆがめた。 「人違いをされてるんじゃないですか?」 「人違い?」芽衣は、笑いながら首を振った。「まさかあ。だって、ぜったいそうだよ。トシ君とこに来てた人じゃない。3べんぐらい見たもん。トシ君に訊いたら、刑事さんだって」 「トシ君って、誰?」 「やだ、覚えてないの? 神坂敏夫」 あ、と男が眼を見開いた。 芽衣は、ね? と彼に笑いかけた。 |
正面の男 |