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 23:58 渋谷-表参道駅
 米村正紀
(よねむら まさのり)


     へ、つまらねえヤツだ。
 米村は、長髪野郎を見据えながら鼻を鳴らした。
 
 と、長髪野郎がいきなりシートから立ち上がり、ドアへ歩いた。
 
 なんだ、もう降りるのか。
 いよいよ、妙なヤツだ……と、長髪野郎を眺めたまま米村は思った。
 表参道で降りるんだったら、なにも銀座線に乗ることはないじゃないか。半蔵門線に乗り換えるつもりなら、やってることが逆だ。それとも千代田線に乗り換える? それだって、半蔵門線から乗り換えりゃいい。
 バカじゃないのか?
 
「おめえ、バカかよ」
 
 声に出して言った。
 しかし、長髪野郎の耳には、米村の言葉が届かなかったようだった。ドアの窓を見つめたまま、手すりにつかまって突っ立っている。
 
 あ、いやだね。窓に映った自分の顔に見とれてやがる。
 見とれるようなツラかよ。
 お前、街歩いてても、しょっちゅうウインドウに映った自分の顔、見てるんだろう。その手のヤツだ。ほら、なんて言ったっけ? ナルキスト……ちょっと違うな。サンキストじゃないし、ええと……まあ、いいや。その、なんとかってヤツだ。ぶん殴ってやりたくなるようなヤツだ。パンパーン、と横っ面張り倒して、鼻の穴に指突っ込んでグリグリグリグリしてやって、ついでに歯の一本か二本へし折ってやって、耳そぎ落として、キンタマ蹴り上げて、唾吐きかけてやりたくなるようなヤツよ。
 
 きっと、ああいうヤツは、手帳に女の誕生日かなんかメモしてあるんだぜ。それで、その誕生日になると、花かなんか持って女のマンションへ行くわけよ。インタホン鳴らして「あ、ボクだけど」とか言って。
 なにが、ボクだ、この腑抜け野郎。
 
 デートのコースはお決まりで、ホテルの最上階のラウンジかなんかに予約が取ってあるんだろうが。それで、プレゼントが指輪とかネックレスとか。もちろん、ホテルの部屋も予約してあるわけだ。してないわけないからな。どうせ、全部親のカネだろう。え? 親のすねばっか、かじってやがって。
 
 次第に腹が立ってきた。
 
 食事が終わったら「なんだったら、部屋を予約してあるんだけど」とか言って。女は「あら、お食事だけじゃなかったの?」「いや、ちょっと腹ごなしですよ。ははは」
 
 この、ばかやろう!
 
 思わず、シートを立って長髪野郎に飛びつきそうになるのを、米村は床を蹴りつけることで我慢した。
 今日は、大事な仕事が後に控えてるんだ。
 大事の前の小事ってことだ。ぐっと我慢、ってことだ。
 
 ありがたく思え、と米村は、ドアの窓に目を向けたままの長髪野郎をにらみつけながら鼻を鳴らした。
 今日が他の日だったら、お前なんぞ、ボコボコにしてやってたんだぞ。
 あやまっても、許しちゃやらなかったんだぞ。このサンキスト野郎め。
 
 電車が表参道駅に滑り込み、米村は腕の時計に目をやった。
 11時58分……いや、もうすぐ59分になる。
 電車が停まり、ドアが開いて、最後にもうひと睨みと、米村は長髪野郎のほうへ目を向けた。
 
 あれ……?
 
 長髪野郎は、降りる様子もなく、ドアの前に立ち続けていた。
 なんだ、あいつは?
 米村は、横のドアから乗り込んできたカップルが、自分の斜め前に腰を下ろすのにチラリと目をやりながら思った。「すいてますね」とが言い、クスッとが笑った。
 
 どいつも、こいつも、腑抜けばかりだ。
 米村は、息を吸い込んだ。

 
    長髪野郎 乗り込ん
できた男
乗り込ん
できた女

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