笑顔を作っていたが、英介のそのとろんとした眼は眠ったままだった。
「英ちゃん、英ちゃん」
言いながら、祐子は英介の肩を揺すった。
「英ちゃん、次よ。降りるわよ」
言うと、英介が眼をこすり上げた。
「どこぉ?」
「上野。電車、乗り換えるの。次で降りるんだから、起きて」
英介は、不思議そうな顔で、キョロキョロと車内を見回した。その眼を、母親の方へ向けてきた。祐子は、大丈夫、と英介にうなずいてみせた。
「ねえ、あの人たちは?」
英介が、訊いた。
「あの人たちって?」
「いたでしょ。ここに」
可愛らしかった。なんて可愛いんだろう、この子。思わず、英介に微笑んだ。
「誰が?」
訊くと、英介は首を傾げた。
「夢見てたのね」
祐子は、微笑みながら英介を抱き寄せた。
電車が、上野駅に滑り込んだ。
ああ、と祐子は一瞬眼を閉じた。
乗り換えの時間が少しある。お母さんに電話をかけておこう。いくら何でも、急に英介と押し掛けたりしたら、お母さんだってびっくりするだろう。
腕時計を眺め、英介の手をとって、祐子はシートから立った。
「さ、降りるよ」
祐介も、ピョン、と座席から飛び降りた。
赤と緑のジャケットを着た奇妙な男から英介をかばうようにして、祐子はゆっくりとドアに進んだ。
ホームには、ドアの向こうに若い男が二人立っていた。一人は勤め人風で、もう一人はヘッドホンステレオを耳に差し込んだ学生風だった。
ドアが開き、駅のアナウンスが「上野でございます。この電車、渋谷行でございます」と告げた。
いきなり、祐子は右の肩を後ろから押しのけられた。
あ……。
慌てて、祐子は左に避けながら英介の手を握りしめた。
あの、奇妙なジャケットの男だった。男は、何かに怯えたような素振りで駅のホームに駆け下りた。
「なに、あの人……」
言いながら、祐子はホームへ降りた。
そのとき、英介が、あ! と声を上げた。
「お父さん!」
祐子の手をふりほどき、英介が階段に向かって走り出した。
「…………」
祐子は、その場に立ちすくんだ。
夫だった――。
祐子には、信じられなかった。
あの人が、上野で待ち伏せを――。
夫は、駆け寄った英介を抱き上げ「やあ、英介」と、息子に笑いかけた。
祐子は、唾を呑み込んだ。
「お父さんも来たの?」
と、祐介が言った。夫は、その言葉に笑いかけている。
「みんなで行くんだね」
英介が、また言った。
違うの、英ちゃん、違うの……。
「みんなで、おうちに帰ろうな」
「帰るの?」
「そうだよ。だって、もう遅いだろ。帰って寝なきゃ」
夫は、祐子には一瞥もなく、そのまま英介を抱いて階段を上りはじめた。
「英ちゃん……」
祐子は、小さく言った。声が、自分でもわかるほど震えていた。
父親に抱かれた英介が、祐子のほうを見た。
どうして……どうして。
「はい、ドア閉まります」
アナウンスが告げた。
足が動かなくなっていた。
すべてを奪われたような気持ちがした。
英介が、父親の腕の中から、またこちらを見た。
違うの、英ちゃん……違うの。
祐子は、違う違う、と口の中で言い続けた。
階段を上る夫と、その腕の英介の姿が見えなくなり、祐子は、ようやく足を踏み出した。
いやだ、絶対に、いやだ!
祐子は、もう一度唾を呑み込み、階段へ走った。
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