「英ちゃん、英ちゃん」
お母さんが、肩をつかんでゆすっている。
うるさいなあ……と、英介は思った。
もう起きるの? まだ、眠いのに。
「英ちゃん、次よ。降りるわよ」
「…………」
英介は、手の甲で眼をこすりあげた。
「どこぉ?」
「上野。電車、乗り換えるの。次で降りるんだから、起きて」
ちゃんと、起きてるじゃないか、もう。と、英介は、顔をしかめた。もう、ずっと前から起きてるんだから。だいたい、こんな地下鉄の中でなんて眠れないよ。
あれ……?
と、英介は、自分の周囲を見回した。
さっきまで頭を撫でてくれていた女の人がいなくなっていた。
その女の人の隣に座っていた男の人もいない。
トカゲは……と、見ると同じ洋服を着た男の人に変わっていた。さっきまでトカゲが座っていたところに、同じ赤と緑の洋服を着た男の人が座っている。
へんなの……と、英介は思った。
見上げると、お母さんが、うん、とうなずいた。
「ねえ、あの人たちは?」
訊くと、お母さんは英介を見返した。
「あの人たちって?」
「いたでしょ。ここに」
お母さんは、クスッと笑う。
「誰が?」
「…………」
英介は、首を傾げた。
へんなの。
「夢見てたのね」
お母さんは、英介の肩をぎゅっとつかみながら言った。
夢……?
もう一度首を傾げたとき、電車の窓が明るくなった。
上野だった。
「さ、降りるよ」
言いながら、お母さんは、英介の手を握って立ち上がった。英介も、シートから飛び降りる。床の上に立って、もう一度、周りを見回した。
お母さんと手をつないだまま、英介は正面のドアの前まで歩いた。電車が停まる。
ピンポンピンポン、とチャイムが鳴って、ドアが開いた。
「上野でございます。この電車、渋谷行でございます」
お母さんと降りようとしたとき、赤と緑の服を着た男の人が、お母さんを押しのけるようにしてドアから飛び出した。
「なに、あの人……」
お母さんが、つぶやくように言った。
ホームには男の人が二人、英介たちが降りるのを待っていた。
「あ!」
と、英介は、その男の人たちの向こうに目をやって声を上げた。
「お父さん!」
ホームの一番端の階段のところに、お父さんが立っていた。
英介は、お母さんの手をふりほどき、お父さんのところへ走った。
「やあ、英介」
お父さんは、軽々と英介を抱き上げた。
「お父さんも来たの?」
抱かれながら訊くと、お父さんは、ニコニコしながらうなずいた。
「みんなで行くんだね」
「そうだよ。みんなで、おうちに帰ろうな」
ええ? と英介は、お父さんを見返した。
「帰るの?」
「そうだよ。だって、もう遅いだろ。帰って寝なきゃ」
「…………」
英介は、なんだかへんな気持ちがしてお父さんに抱かれたまま後ろを見た。
電車を降りたところに、お母さんが立っていた。
お父さんは、お母さんのほうを見ようともしないで、英介を抱いたまま階段を上りはじめた。
英介は、お父さんの顔を見た。その目を、ホームに立ったままのお母さんに移した。
なんだか、お母さんが急に小さくなったみたいに見えた。
「はい、ドア閉まります」
駅のアナウンスが、そう言った。
英介には、そのとき、お母さんが小さく首を振ったように見えた。
お父さんは、ズンズンと階段を上っていく。お母さんの姿が階段の壁に隠れて見えなくなった。
なんだか、英介は、泣きたいような気持ちになった。
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