その驚異的な新しい能力は、最初の数日、龍造寺に大きな興奮をもたらした。
とにかく、他人の心の内側が、手に取るように見えてしまうのである。
街を歩き、道行く人々の一人一人に注意を向けるだけで、その人が考えていること、思い描いているもの、心に秘めた感情などが、次々に龍造寺の中へ流れ込んでくる。まるで、それは龍造寺自身が考え、感じているように伝わってくるのだ。
これは彼にとって実に愉快な能力だった。
最初の1週間――つまり《第7日》まで、龍造寺は街を歩き回っては人の心の〈盗聴〉を続けた。
しかし、そんなことを続けるうちに、彼は次第にその能力の行使を息苦しく感じるようになってきた。
なぜなら――。
世は、あまりに悲しみに満ちていたからだ。
人々の心は、傷つき、そして病んでいた。
苦悩、悲哀、憤怒、愁嘆、失意、憎悪、羨望、怨恨……。
人々は、悲しみを抱えてさまよっていたのだ。
それを、龍造寺は7日のうちに知ったのである。
ああ、なんと悲しいことだろうか。
そして、彼は悟ったのだ。
彼らは救いを求めている。そして、その傷ついた彼らを慰め、癒し、導くことができるのは、龍造寺公哉――すなわち自分しかいないのだということを。
それが、私の使命なのだ。
ふと、龍造寺は、ホームをこちらへ歩いてくる婦人の姿を認めた。
40代の後半だろうか、淡いグリーンのスーツに身を包んだ婦人は、チラリと龍造寺に視線を向け、その眼を伏せるようにして彼の脇を通り、ホームの端まで歩いて行った。
龍造寺は、婦人に意識を向けた。
――無理だわ。どうしたって、無理よ。
そんな言葉が、龍造寺の心を打つように響いた。
婦人の心の声だった。その叫びは、重く、深く、沈んでいる。
ああ、ここにも……と、龍造寺は思わず眼を閉じた。
ここにも、悲しみを抱えた人がいる。
――そんな大金を、私にどうやって作れと言うのでしょう?
婦人の心の叫びが続く。
――あの人は、借金だけを遺して、死んでしまったわ。一所懸命に看病を続けて、そのあげくに遺されたものが、とうてい払いきれないほどの借金の山だったなんて。
――どうしてなの? どうして、私だけが、そんな目に遭わなければならないの?
龍造寺は、婦人を憐れんだ。やさしく彼女を抱きしめ、慰めてあげたいと思った。
一瞬にして、彼には婦人の苦境が見て取れた。このような能力を与えられてしまったがために、否応なく見せつけられてしまう他人の不幸……。
しかし、と龍造寺は心の中で婦人に言った。お前だけではないのだ。人生の奈落に落とされたものは、お前だけではない。多くの人々が、苦しんでいる。お前よりも、もっと過酷な人生を歩んでいるものも数多くいるのだ。
――私がもっと若ければ、身体を売ってでも返すことはできたでしょう。10歳、いえ、20歳も若ければ。
――今日も、何人もの人に会ったわ。でも、誰もが助けては下さらなかった。精一杯のおしゃれをして、精一杯の笑顔でお願いをしたけれど、誰も、私を助けてくれない。たった1円だって、貸すと言ってはくれなかったわ。
――どうすればいいの? 誰か、教えてちょうだい。誰か、助けて下さい。
婦人は、小さく溜息をついた。
彼女とともに、龍造寺も、ふう、と息を吐き出した。
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