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前方に渋谷方面行の連絡通路が見えている。そのホームの端まで歩いて
きて、松尾は足を止めた。
振り返ると、早川美佳がギクリとしたように松尾に目を上げた。
美佳は、ふっ、と寂しそうな笑いを口許に浮かばせながら、ゆっくりと
口を開いた。
「ごめんなさい」
言って、美佳は松尾の視線を避けるように、その目を伏せた。
いや……と、松尾は後の言葉を呑んだ。
どうしてなのか、今の彼にはまったくわからなかった。なぜ、美佳は、
プロポーズしたとたんに、別れたい、などと言い出したのか。松尾のこと
が嫌いだというなら話はわかる。しかし、美佳は何度も松尾に好きだと言
った。
「あなたにとって……僕は、どういう人間なんですか。遊びだったんです
か?」
「ちがいます」と、美佳は首を振った。「そういうことじゃないんです。
ごめんなさい」
髪をかき上げる。額にかかる前髪がうるさくて仕方ない。
「他に、好きな人がいるんですか?」
美佳は首を振る。
「じゃあ、どうしてなんですか。はっきり言ってください。僕が嫌いなの
か、夫として不足なのか、理由を聞かせてください。もちろん、今日の今
日、お返事が伺えるとは思っていません。考えてくださいと言ってるんで
す。どうして、結婚してくださいと言ったとたんに別れるなんてことにな
ってしまうのか、僕にはよくわからないんですよ」
美佳が目を上げた。
ふう、と息を吐き出し、その口許をゆがめた。笑おうとしたのか、泣こ
うとしたのか、よくわからなかった。その両方だったのかもしれない。
「松尾さんは、私のこと、何もご存知じゃないんです」
「……いや、そりゃあ、僕たちは知り合ってからまだ2ヶ月ちょっとだし、
お互いに知らないことはたくさんあります。でも、じゃあ、何もかも知っ
た後じゃないと、美佳さんに結婚を申し込んではいけないんですか?」
「何もかも知ったら」と、美佳はむりやり作ったような笑顔を返してきた。
「松尾さんは、私に結婚の申し込みなんてしませんよ」
松尾は眼を瞬いた。
「どうして……なんで、そんなことがわかるんですか」
言うと、美佳は、また首を小さく振った。
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