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 24:12 銀座駅
 兼平てるみ
(かねひら てるみ)


     調子に乗って、ことみはさらに言った。
「普通だとさ、女の子が身体張って舞台を作るっていうと、きわどい衣装だとか、ちょっとエッチっぽいネタとかさ、そんな感じでやるわけじゃない?」

 ニタニタ笑いながら、てるみはことみの貧弱な胸に目をやった。
「まあ、そうだね。そうしたくてもできない人もいるけどね」
「人のこと言えたボディじゃないでしょ」
 切り返され、てるみは笑ったままうなずいた。
「言えてる」
 胸の貧弱さでは、いい勝負だ。べつに勝負してるわけでもないが。

「もちろん、悪いわけじゃないよ」と、ことみは取り繕うようにつけ足した。「どんな売り出し方だって、悪くないとは思うけど。でも、そういうのって、自分たちには芸はありませんって言ってるのと同じだと思うんだよね。それだけじゃ、すぐに消えちゃうと思うしさ。長続きしないんじゃどうしようもない」
 なるほど、とてるみはホームの天井に目を上げた。

 なるほどとは思うが、ことみが言うように、だから殴り合いなら芸になるとも言えない。所詮、素人の殴り合いだ。女子プロみたいなトレーニング積んでるわけでもないんだし。
 ふと、目を上げた。
 トレーニング……か。なるほど。

「あのさ」
 頭の中に浮かんだイメージに相槌を打ちながら、ことみに言った。
「なに?」
「とっくみあいの喧嘩見せるのと、おっぱいの谷間見せて売り出すのと、どう違う?」
「…………」
 ことみが目を瞬いた。

「ことみはさ、舞台で殴り合いをやって、それを見せれば、すぐには消えないと思う?」
「……えっと」
「芸がないってことでは、あんまし変わらないような気がするな。最初は面白がってもらえるかもしんない。だけど、ひっぱたいたり、蹴り入れられたりって、胸見せたり、お尻振ったりするのとそんなに違わないでしょ」
「…………」

 眉の間に皺を寄せ、ことみは、うーん、とうなるようにして、てるみを見つめた。
「だって、色気で勝負するんだったら、そのまんまでいいかもしれないけど、殴り合いするには体力も鍛えなきゃならないわけだし──」
 違う違う、とてるみは首を振ってみせた。
「色気だって鍛えなきゃなんないよ。売り物にするんだったら、色気を保つために、懸命に努力しなきゃなんないさ。そういうことじゃ同じだよ」
「……そうか。それもそうか」
 溜め息をつきながらことみは肩を落とした。

「まもなく電車が参ります」と、アナウンスが、やたらさわやかな声で言った。それを聞きながら、てるみは、ふん、とうなずいた。

 そういうネタは、いままでぜんぜん考えていなかった。昔のしゃべくり漫才は、今の時代にはあわない。そんなことは、わかってる。でも考えるネタはしゃべくりのネタだった。どんなボケをやって、どうつっこむか。
 そうじゃないのかもしれない。発想を、180度変えるってのはいいことかもしれない。

 てるみは、考え込んでいることみの肩をポンポンと叩いた。
「でも、面白いよ」
「え?」ことみが、面食らったように訊き返す。「面白いって?」
「ことみのアイデア。身体使って勝負するって」
「だって、芸がないってのは同じだからって……」
「そう」と、てるみは大きくうなずく。「だから、それを芸に磨けばいいわけよ」
「…………」
 ぴんとこない、という表情でことみがてるみの顔を覗き込む。笑いながら、下唇をひとなめした。

「たとえばさ、ことみがあたしを殴るとするじゃない?」
「……うん」
「それを、あたしが避けたらどう?」
「避ける?」
「次にあたしがことみに蹴りを入れるんだけど、それをことみは、さっと避けるわけ」
「……なに、それ」

 ことみには、イメージが湧いてこないらしい。
 じれったいなあ、このー。

「避けるのもさ、ギリッギリで避けるのよ。髪の毛一本の差って感じで」
「…………」
「たとえばよ? すごいスピードで殴り合いとかするんだけど、実際は一発もあたってないの。殴って殴られて、蹴って蹴られて。全部、ギリギリで避ける。アザができるとか、痛がってる顔で笑わせるとか、そういうんじゃなくて、動きの面白さを作るんだよ。その動きを見せる」
「ああ……」

 ことみの表情が明るくなった。

「殺陣をやるってことね」
 ことみが、うなずきながら言う。
「タテ?」
「ほら、チャンバラの殺陣師っているじゃん」
「ああ、そうそう。それよ、計算された殴り合いを見せるわけ」

 殺陣か、なるほど。
 つまり、そういうわけよね。あれは、計算された動きを美しく見せる演出なわけだから。
 ……いや、よく知らないが、そうだと思うし。

 ホームに電車が入ってきた。
 その騒音にもめげず、ことみが大声を出して言う。
「すごい練習しないと、できないね」
「アザだらけになるのは、たぶん練習のときだと思うよ」
 うなずきながら、てるみは到着した電車のドアが開くのを眺めやった。
「うん……そうだね。そうだね」
 なんだか、ことみのほうがアイデアに興奮している。電車が着いたことも気がついてないんじゃなかろうか。

「乗ろうよ」
 言うと、ことみが顔を上げた。
 やっぱり、気がついてなかったらしい。
 ふう、とてるみは息を吐き出した。


 
    ことみ 

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