![]() | 24:13 銀座駅 |
保険会社は、ほんとうに喋れないのかどうか、調べたりするんだろうか? どうやって、調べるのだろう? 指がなくなったなら、それは見ればわかる。だけど、喋れないのかどうかを、どうやって確かめるのだろう? 拷問……? まさか、と古関は思った。 保険会社ってのは、どこも大企業だ。大きなビルを構えた一流企業だ。いくらなんでも、そんな大企業が拷問のようなことをするわけはないだろう。 いや……。 断言はできなかった。 たとえば、絶対に喋らないと決意していても、何度も殴られたりしたら、そのうち「やめてください」と言ってしまうのではないか? 真っ赤になった焼きゴテを顔の前に差し出されて、押しつけられそうになったら、「ごめんなさい、うそです。喋れます。ごめんなさい」と言ってしまうのではなかろうか? そうかもしれない、と古関は思った。 5千万円なのだ。 なんやかんや言いながら、保険会社だって大金の支払いは渋るに違いない。 払わないためには、なんだってやるかもしれないのだ。 かなり前だったが、綾瀬の野郎が妙な図鑑を見ていたことがある。訊くと『拷問の歴史』なんて名前の本だった。図版がたくさん載っていて、それが全部拷問の機械だの、拷問されている様子なんかなのだ。 見ていて気持ち悪くなった。 今でも覚えているのは、「鉄の処女」という名前の拷問装置だった。人がすっぽりと収まるような大きさの──つまり棺桶ぐらいの大きさがある女性の形をした箱なのだ。正面のところが観音開きになっていて、そこに人間を入れる。ところが、その箱の中には、たくさんの鉄のトゲが内側に突き出している。もちろん、トゲは観音開きの扉の内側にもついていて、閉めると……。 うう……と、古関は思わず肩をそばだてた。 あんなのはいやだ。絶対にいやだ。あんなの、中に入れられなくても、見せられただけで、ごめんなさい、と謝ってしまいそうだ。 水責め、というのもいやだ。 あれは、両足を縛られ手も後ろで縛られ、逆さにぶら下げられて水槽の中に落とされる。ゴボゴボと水を飲み、おぼれるまでロープを引き上げてはもらえない。それを何度も繰り返されるのだ。 そもそも、古関はカナヅチだ。手足が自由だって泳げないのだ。ぶら下げられたら、ほんとに死んでしまう。死にそうだというところで引き上げられ、また落とされるなんて……それは死ぬ恐怖を何度も何度も味わわせるってことじゃないか。 考えているだけで息苦しくなってきた。 日本の古来の拷問では、五寸釘を打つというのがあったらしい。手の平とか足の甲に五寸釘を打つ。その釘の上に火のついたロウソクを立てるのだそうだ。すると、熱く溶けたロウが傷口に流れ込み、とてつもなく痛いというのだ。 あったりまえだ。そんなの痛いに決まっている。釘を打たれるのだって痛いなんてもんじゃないだろう。さらに溶けたロウなのだ。 聞いたところによると、イエス・キリストが十字架に磔になったときも、手と足に釘を打たれたらしい。 なんだか、お尻の辺りがモゾモゾしてきた。 とてもじゃないが、そんな拷問をされたら黙っていることなんてできないだろう。とすると、やっぱり保険会社は喋れないかどうかを調べるために拷問するんだろうか──。 そんなテストに耐えなきゃならないとしたら、自分で指を切り落とすほうが、まだマシかもしれない。 そう、と古関はうなずいた。 だから、指を失った場合は1割で、喋れなくなった場合は10割なのだ。 古関は溜め息を吐いた。 拷問か……いやだなあ。 その時、前方で突然、女性の悲鳴が「キャーッ!」と上がった。タレントを目の前にして発する悲鳴ではなく、怖いものを見たときの叫び声のように聞こえた。 飛び上がりそうになって、古関は前に目を上げた。そして、さらに飛び上がりそうになった。 男が1人、火だるまになってホームの中央に立っていた──。 叫び声を上げ、燃え上がっている身体の火を消そうと、もがき苦しんでいる。 拷問……? 古関は、ごくりと唾を呑み込んだ。 まさか……これ、拷問なの? いや、そんなバカな、と古関は自分に首を振った。 男は、ホームの上を転げ回っている。まだ身体からは火が上がり続けている。それを消そうというのか、2人の男が駆け寄ってきて、自分たちの着ていた上着を脱ぎ、火を吹いている男に叩きつけている。 拷問なんて……ここは銀座の地下鉄ホームじゃないか。 いくらなんでも、こんな場所で拷問するなんて、非常識すぎる。 それとも、保険会社のテストってのは、こんなものなんだろうか? 恐ろしすぎる。これでは、保険金を受け取ろうという人間がいなくなってしまう……。 古関は、ギュッと歯を噛みしめた。 金はほしい。もっといいところに住みたいし、もっといいものを食いたい。パチンコ屋の店員なんて、いつまでもやっているのはいやだ。どうせなら自分でパチンコ屋を持ちたい。 お金はほしい。 でも、こんなのはいやだ。 ほんとうに喋れないのかどうか調べるために、火炙りにされるなんて、絶対にいやだ。 こんなことをされたら死んでしまうではないか。 ようやく男の身体の火は収まってきたようだが、もう男の身体はぴくりとも動いていなかった。 死んでしまったら、死亡時の保険金しか受け取れない。 それを受け取るのは、自分じゃない。古関の場合は、親もいないし子もいない。だから保険金は勝恵のところへ行くことになる。 そんなの、あんまりだ。 そう思った瞬間──。 銀座駅のホームが、いきなり膨らんだように見えた。目の前が真っ白に反転し、そして正面の窓が車体ごと古関に向かって押し寄せるように──。 古関の意識は、そこまでだった。 |
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男 |