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 23:56 浅草駅
 松戸征夫
(まつど まさお)


     感無量であった。
 長い間、学会でも近所でも馬鹿にされ続け、二十年連れ添った妻も、とうとう五年前に娘を連れて実家に帰った。重要なパーツを買う金がなくて、秋葉原のジャンク屋で万引きをして警察のお世話になったこともあった。
 長い長い、苦難の年月だった。
 素晴らしい発明が完成したと思ったら、ほんのちょっと前にアメリカで特許が出されていたりなどということは数しれない。無事に特許の申請が受理されても、誰一人その素晴らしさを理解せず一銭にもならないことはそれ以上。
 タイムマシンを完成させたと狂喜していたら致命的な欠点が発見されたこともあった。未来にしか行けないのだが、六十分先の未来へ移動するのにどうしても六十分かかってしまうのだ。ワームホールを利用した原理自体は素晴らしいものだと確信していたが、これでは何の役にも立たないと彼も認めざるを得なかった。
 六年前に発明した、残飯を使って特製スープを作る「リサイクル調理器」――これも誰一人見向きもしなかった――がなかったらとうに餓死していたところだ。あの特製スープも、妻が逃げた原因の一つだったようなのだが。
 ――どうしてかな。あんなにうまいのに。
 松戸は不思議に思ったものだ。
 あの、酢やレモンでは出せない、えもいわれぬ酸味。
 たとえ今度の発明で一生かかっても使い切れないほどの金が転がり込んでも、彼は毎日あの特製スープを飲むつもりでいた。普通の残飯を入れてもあれだけうまいのだから、高級料理を入れたらもっとうまいに違いない。キャビアに、フォワグラに……あと何だったっけ。とにかく三大珍味だ。それを入れて毎日飲んでやろう。それでもとても全部は使い切れないほどの金になるはずだ。
 そう、今度の発明は間違いなく莫大な利益を生み出すことだろう。そして名誉。惜しみない賞賛。
 これまでわたしを馬鹿にしてきた連中の、驚き、羨む顔が早く見てみたいものだ。
 そうほくそ笑んだとき、階段を駆け下りてくる足音を聞いた。慌てて振り返ると、子供を連れた母親が彼に向かって突進してくるところで、素早く飛びすさらなければ一緒に階段を転がり落ちていただろう。

「渋谷行の電車、まもなく発車いたします。ご乗車になりまして、お待ちください」

 危ない危ない。この一時間あまり、“フィールド”の試験運用を行っているが、人の多いところでは使わないようにしてきた。ぶつかる恐れがあるからだ。
 しかし、テストの目的は都会に飛び交う様々な電磁波やノイズの“フィールド”に対する影響を調べることなのだから、いつまでもスイッチを切っておくわけにもいかない。彼はある程度“フィールド”の有効性を確認した時点で、今度は自動改札に挑戦してみることにしたわけだ。自動改札も光センサーを使用している以上、“フィールド”は有効なはずなのだが、やはり実際やってみるまで何が起こるかは分からない。
 果たして、“フィールド”をまとった松戸はあっさりと自動改札をすり抜けた。
 “フィールド”はやはり大成功だ! わたしはついに、H・G・ウェルズの夢物語を現実にしたのだ! おまけに今気がついたが電車も乗り放題だ!

「一番線、渋谷行き発車です。ドア、閉まります」

 松戸はついうれしさのあまり、さきほどぶつかりかけた親子の後を追って目の前の電車に乗り込んでいた。

(C)1996 TAKEMARU ABIKO

 
    子供 母親

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