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   23:57 浅草駅-田原町駅 延原昌也


              隣で沢井がなにか言ったように思えて、延原は彼のほうを見た。
 電車の走行音にかき消されて、話が聞こえにくい。
 
「なに?」
 声を上げて訊き返すと、沢井は戸惑ったように首を振った。
「なんか、言わなかった?」
「いえ、こっちのことです。なんでもないです」
 と、沢井も大声で答えた。

「あのさあ」と、延原は沢井に顔を寄せるようにして言った。「オレたち
の仕事ってのはさ、やっぱり、人間関係だからさ」
 よく聞き取れなかったのか、沢井が眉を寄せて延原を見返した。
 延原は、さらに沢井に顔を近づけた。耳元で声を張り上げる。
「人間関係。オレたちの仕事は、人間関係」
「ええ、そうですね」
「だからさ、もっとこう、沢井君も、そういうとこ知らなきゃだめだよ」
「……はあ」
「はあ、じゃないの。まず、遊ばなきゃだめ」
 沢井が延原を見返した。
 
「あのさ、真面目なんだよな。沢井君、真面目なんだよ」
「…………」
「いいんだよ。真面目は、大いに結構なんだけども、そればっかりだと仕
事が堅い一方になっちゃうんだね」
「どういうことですか?」
「もっと、遊ぶの。遊んで、人間関係の、この、なんというかなあ、機微
みたいなものをね、知らなきゃだめだね」
「キビ……」
「そう、サトウキビ、なんちゃって。いや、つまり、遊びの基本は、まず、
なんといっても、女ね」
「女?」
「そう。昔から言うだろ? 飲む、打つ、買う、ね。今度、連れてってや
るよ。いい女の子がいっぱいいるところ、知ってるからさ」
 
 言って、延原は沢井に笑いかけ、彼の肩をポンと叩いた。
 車内アナウンスが、次の停車駅を知らせていた。
 
 そう、こいつに遊びを覚えさせることだ……と、延原は思った。遊びを
覚えさせ、そして溺れさせる。金を使い、足りなくなり、会社のカネに手
を出させる。
 急ぐ必要があった。もう、あまり時間がない。
 早いうちに、補填しておかないと、エライことになる。
 
 沢井が、延原を見ていた。
 延原は、片目をつぶってみせた。


 
   沢井 清

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